□title list□
 ※水色部分にカーソルを合わせると
 メニューが出ます

游移不定(ゆういふてい)

     ※ふらふらゆれ動いて定まらないさま。また、ためらってなかなか決心がつかないこと。

カタバさんからメールが届いてる。それはわかってる。
『俺は今日もコンビニのチーズ蒸しパンとお茶です』
当たり障りのない返信しか出来ない。

どうして、気づいてしまったんだろう。この気持ちが、恋だなんてことに。
気づかなければ、いつもどおりの返信ができた。届くメッセージを楽しみに待てた。
今は苦しくてたまらない。

油断すると、指が勝手に『好き』だとか『会いたい』とか打ってしまいそうで、つらい。
「セイーー、お前、今日も食べねーの?」
「うん。…食欲が、ないんだ」
スオウはいつもどおり。今日は豚キムチ定食らしい。

食堂でいつもの昼休み。端の方のいつもの席を取って、二人向い合って座っていた。
「お前、家でちゃんと晩飯食ってるか?昼食べないってのは、前からあることだけどさ、なんか昨日から様子、変だぜ?」
「そ、そうかな?」
「そうだってー。…あのよ、なんかあったんだったら聞くぜ?俺やミコトで良かったら。そのための友達だろ?違うのかよ?」

大きな口を開けて、もりもりご飯を食べながらスオウが言った言葉に少しだけ驚いた。食欲がない以外はなるべく顔や態度には出さないようにしていたつもりだったのに、どうしてわかったんだろう。

確かに、何でも好きなことを言い合えるのが友達なのかもしれない。だけど。
「…でも、友達だからこそ言えないってことも、あるんじゃないのか?」
俺の言葉にスオウは一瞬箸の動きを止めてポカンとした後。

「そういう考え方はなかったぜ」
しみじみと呟くように言った後、再び定食を口に運び始めた。

あれ。
もしかして何か気づいてるのかなと思ったけど、それって俺の考えすぎだったんだろうか。
いや、それとも、いつものあれか。

スオウは、本当に、本気でなにも考えていないくせに、ズバッと感覚だけで本質を突くといったようなところがあった。
どうしてその答えを選んだのか説明できないくせに、正解を選ぶ。野生の勘が鋭いのかもしれない。

「よし、セイ!とりあえず話してみろよ。本当に、友達だからこそ言わない方がいい事情なのかどうなのか、聞いてみてから俺が決める。もし本当に、お前が言う通りだったら、俺はすぐ忘れる。聞いてないことにするから、とりあえず話してみろ!」

「無茶苦茶だ…」
これでスオウは、大真面目だから困る。どうにかして説き伏せようにも、とりあえず話してみろと言って引き下がらない。

しかもしつこい。この日はなんとか逃げたものの、翌日になってもまだ、話してみせろと言ってきかない。
「わかった、俺が悪かった。悩みごとなどなにもない」
「お前、それはずりーぞ!絶対あるんだろうがよ!言えよ!」

今日は焼き魚定食を食べながら、相変わらずスオウが食い下がる。
しかも。

「ほら、お前魚好きだろ?食えよ」
取り分けて、箸で一口分差し出された鯖の誘惑に負けて、ついつい、パクっといってしまった。

「よし食ったな!これで話すだろ!食ったんだからな!」
「そういうつもりだったのかよ!」
「そう!昨日食い終わってからなんだよなー、気づいたの。肉じゃなくて魚にすれば絶対お前食うよなって。食ったからには話せよって言えるかなって」

正直、バイト先のまかないや、家に帰る途中で買ったコンビニおにぎりなんかは、一応寝る前に食べてはいたけれど、それでも食欲がないのは事実で、あまり食べられないのはいつも以上で。

どうやってはぐらかそうどうやって逃げようと考えている間に、スオウが珍しく真剣な表情になっていることに俺は気づかなかった。

「なぁ、セイ」
「なんだ…?」
顔を上げて、向き直ると、まだ食事中だというのに箸を置いて、真剣な顔つきのスオウがまっすぐ俺を見つめていた。

「違ったら悪い。…正直に言ってくれ。お前さ、先週の飲み会の後、カタバさんに送ってもらったんだろ?…あの人と、なんかあったのか?」
スオウのこれは理屈じゃない。

そのものごとについて、本当に、ほんの片鱗しか知らないはずなのに直感だけで本質を見抜く。正直、自分にはないスオウのそんなところに惹かれていたし、羨ましいとさえ思っていた。恐らくこの件に関してだけは、無意識のスオウ本人よりも俺の方が知っているかもしれないほどに。

ただ、今回は正解だとは言い切れない部分もある。なぜなら、なにかあったのかと聞かれても、特別なにもないからだ。

「やっぱり、言えない」
「なんだよそれ!!セイ!お前今日バイトないだろ!付き合え!絶対理由聞くまで帰さねえ!」
「ふ、ふざけるな…!」
そうは言ってみたものの。こうなるとスオウは俺より頑固かもしれない。絶対に逃がしてもらえないのは火を見るより明らかだった。

「お、お前も今日バイトないから、すぐミコトと会うって言ってただろ?」
「なんだよ、ミコトいたら言えねーの?わかった、ちょっと待ってろ電話する」
「お、おい、スオウ!」

俺が止めるより早く、スオウは電話を掛けてしまった。
いる場所が離れているとはいえ、同じ学内にいるのは間違いない。向こうも当然昼休み。すぐに電話に出たミコトに、『セイと大事な話があるから今日会うの遅くなる』なんて。どうやら、ミコトも、怒るわけでもなく、スムーズに話は進んでいるみたいだ。

ミコトにまで迷惑が掛かってしまった、これでもう逃げられない。逃げるわけにはいかない。
「大丈夫だってよ!だったら友達と買い物行くとか言われたわ」
スオウとミコトがいつから付き合っているのか知らないが、付き合いが長くなると急な予定変更もそれで済んでしまうものなんだろうか。

「これで俺の方は問題ない。…話してくれるまで帰さねぇからな」
こうなったら、もう腹をくくるしかないようだ。スオウはすぐ忘れるなんて言ってるけど、正直今日で友達としての縁を切られかねない。

「なぁ、スオウ…。お前、本当になに聞いても引かないか?」
念を押しすぎてしつこいくらいなのはわかっていたけれど、それでも不安はおさまらない。

「は?俺が?…大丈夫だと思うぜ。…だって、お前、それでそんなに悩んでんだろ?話聞いてやるくらいしかできねーかもしれねーけどよ」
迷いなく言い切るのはスオウの性格だし、スオウには裏表がないことは、誰よりも俺が一番知っている。

それでも、こんなことを話してしまっていいのだろうか、気持ち悪いとか言われないだろうかという恐怖は消えなかった。
「なんだよもう、その暗い顔!安心しろって!お前の相談の内容がどんなものだったとしても、お前のこと絶対嫌いになったりしねーから。これだけは約束する」

どうしてスオウはいつも、俺の不安を汲み取って、欲しい言葉をくれるんだろう。恐らく、本人には本当に、深い考えなんてないんだろうけれど。
「…ありがとう」
「あのな、まだなんにも聞いてないんだからそれは言いっこなしだ」

ぺちっと軽く頭を小突かれて。食べ終わった定食のトレーを片付けてから、俺達は午後の授業へと向かった。
午後の授業の後は、スオウの部屋へ行くことにする。
スオウの一人暮らしの部屋は学校から歩いて20分くらいのところにあって、普段スオウは自転車で通っていた。

ゆるい下り坂になっている道を、自転車を押すスオウと並んでゆっくり歩く。どうしても、校内の空き教室や、カフェだとか、他の人が来るかもしれないところでは話したくなかった。

途中でコンビニに寄って、お茶とお菓子とジュースを買ってから入るスオウの部屋。
しょっちゅうミコトが来ていて、邪魔したくないせいで俺がこの部屋に来るのは多分10回目くらいだと思う。これだけ毎日一緒にいる割に、そんなに多くはない。

テーブルの上に買ってきたお菓子とジュースを並べて、どかっと床に座ったスオウが口を開いた。
「正直に言ってくれよ。カタバさんに関係ないことは、ないんだろ?」

琥珀色の瞳が真っ直ぐに自分を見つめてくる。
ここまできて、隠すつもりはもうなかった。
「あの飲み会の時さ、…俺、カラオケ着いてすぐ寝ただろ?それで、カタバさんが迎えに来てくれて」

「そうそう、お前一瞬起きたんだよ、電話鳴って。それでな、『はい』って出た瞬間にまた寝落ちしたから、俺が代わりに喋ったらさ、迎えに行くって言うからさ」

送ってもらった先が俺の部屋じゃなくて、カタバさんの部屋だったこと。着いた瞬間、玄関で盛大に吐いて、どうやらカタバさんまで被ったらしいこと。それなのに全部片付けてくれたらしいこと。その後、着替えさせてくれて、起きてから洗濯してくれたこと。朝食を一緒に食べたことなんかをまとめて一気にスオウに話した。カタバさんが出してくれた朝食は、写真に撮ってあったから、それも見せながら。

「時々こうやって、また一緒にご飯を食べてくれって言われたんだ。それで、俺、気づいたんだ」
「……なにが?」
朝食の写真を見ていたスオウが、俺のスマホをテーブルの上に置いて、真っ直ぐにこちらを見つめている。俺は、その視線に耐えられなくなって膝を抱えて床に視線を落とした。

「…俺、あの人のこと好きなんだって。俺も、男だし、あの人も、男なのに、好きなんだ。…どうしたらいいか、わからないんだ」
お前にどんなこと言われたって、お前のこと嫌いになったりしない。スオウはさっきそう言ってくれたけど、やっぱり気持ち悪いとか言われたらどうしようと思って、顔を上げられずにいた俺の耳に届いたのは、意外な言葉だった。

「……お前さ。やっと気づいたんだ」
「…………は?」
「だってお前さぁ、先週までの、あの人にメール返してる時の顔、すごかったぜ?完全に恋してたもん」

気持ち悪いと言われるかもしれない、だからその覚悟はしておかなければならない。そう考えて、備えていた以上の衝撃に、俺は返す言葉が見つからなかった。

「すっごい嬉しそうだったしさぁ、なにより暇さえあればなんか送ってただろ?だから正直心配だったんだよなー」
「し、心配って、なにが?」
「んー?なんかさー、変なのに騙されてんじゃねーのかなーとか」
「そ、そうだったのか…」

驚きと衝撃で、二の句が継げずにいる俺を気にすることなく、スオウは淡々と続けた。
「いい人でもできたのか?って聞いてみたら自覚なさそうだったから余計な。まー相手も男だから、美人局とかはないだろうと思ったけどよー、それにしたって、セイがこれだけマメにメール送ってて、それにいちいち返信してくる男ってなんなんだ?暇なのかよ?とか思ってたんだぜ」

「つ、つつもたせって、なんだ?」
「んー?…ほい」
口では説明しにくかったのだろうか。すぐに自分のスマホで出した検索結果の画面をスオウは見せてくれる。

「お前が人見知り発動しないなんて、ほんと珍しいのにさ、そういうのだったらほんとやだなーって思ってたんだよ。…でもさ、俺も実際会ったから言うけど、いい人そうだったし」
そもそも、これで帰れと言って俺に1万円くれたんだから絶対美人局ではないよなと思って安心してると話しながらスオウは笑った。

「で、お前、どうしたいの?…どうしたらいいかわかんないっていうけど、あの人のこと、好きなんだろ?」
「ど、ど、どうしたい、って、言われても…!」
スオウにスマホを返して、それからまた、俺は膝を抱えて下を向いてしまう。

悩みを告白したところで、スオウは引きもしなかったし、気持ち悪いとも言わなかった。それは予想外ですごく喜ばしいことだったけど、その先を聞かれるだなんて、想定していなかった。当然、考えたこともなかったし、この気持ちを、誰かが肯定してくれるだなんて夢にも思わなかった。

「んあーーーーー」
がりがりと好き勝手に跳ねた髪の毛をかきむしるような仕種を見せたスオウが。
「これ言っていいのかどうなのかわかんねーからさ、言わないつもりだったんだけどよ。…多分、あの人も、お前のこと、相当好きだぞ」
「……え?」

これ以上何を言われても驚かないと思っていたのに、それ以上の言葉が飛んできて、俺は何度目かの絶句をした。
「俺、お金もらって先に帰ったんだけどさ。お前寝てただろ?あの人さぁ、お前のこと、お姫様抱っこしてたんだぜ?普通男にはしねーし、女相手だって、好きでもねーやつにはしねぇよ?」

カタバさんにお姫様抱っこされる自分の姿を想像しようとして、急に恥ずかしくなってきた。どうせなら、起きてる時にして欲しいと思ってしまったからだ。

「だいたい、お前が吐いたゲロ片付けてくれて、その上でまた一緒にご飯を食べて欲しいって言われたんだろ?それって完全に口説き文句じゃん。…そもそもな、好きじゃなきゃ目の前で吐いたようなやつに二度と会いたくねーって。お前、脈ありまくりなんじゃね?」

「そ、そんなこと言われても困る」
「なんでだよ。いいじゃねーか、両想いかもしれないんだぜ?」
「だって、だってそれ言われたとき…」

自分の気持ちに気づいてしまって、カタバさんモテそうなのにとか、いっぱい迷惑かけたのにと言った俺に返ってきた言葉は『どうやら俺は、君がいいらしい』だったのだ。そりゃあ、自分はカタバさんに無理に結婚を迫るようなことはないだろうから、と思って、その時は全然気づかなかったけど、もし、スオウの言うとおりなら、もしかして俺は、口説かれていたのだろうか。

「セイ。…お前さ、1回ちゃんと会って、話してきた方がいいんじゃねーの?」
「だって、そんな…!」
「だから、俺は話聞いてやることしかできねーよって最初から言ってんじゃん?いくらでも聞いてあげるけど、俺に言ってたって解決しねーよ?だいたいお前、もし両想いだったとして、どうしたいの?付き合うの?」

好きな人ができた、その次はどうするの?と。すぐにそういった発想が出てくるのは、さすがスオウが彼女持ちということなんだろう。俺なんか、好きかもしれない、どうしようっていう、それだけで思考停止していたのに。

「でも、俺もカタバさんも男…」
「それ関係ないじゃん?お前の気持ちはどうなのって聞いてんだよ。男同士で付き合ったらダメだって決まってるわけじゃねーし、多分世の中にそんな人たくさんいるだろうし」

「たくさん、いるのかな…?」
「いるんじゃねーの?テレビにオネェタレントが出てる時代だぜ?…まぁ、残念ながら俺は、そういう経験ないけどさ。でも、だからって、それだけでお前のこと嫌いになったり軽蔑したりはしねーよ?」

涙が出そうだった。
気持ち悪い、もう友達やめる。そう言われても仕方ないとまで覚悟を決めていたのに。

「で、お前、どうしたいの?さすがに俺も、男と付き合ったことはねーし、男とヤったこともないからさ、あんま相談には乗れないけど」
「いや、待て!ちょっと待て、なに言ってるんだ?」
誰かが、スオウはうちの学部で一番リア充だって言ってたけど、俺はようやく今その意味がわかった気がしていた。

「なんか変なこと言ったか?だって、誰かを好きになったら次どーすんの?って考えるのは普通だろ?キスしたいとか、思うじゃん、普通に」
「ふ、普通なのか…?」
「…したくねーの?」

そこまではっきり言い切るということは、いつもスオウとミコトはしてるんだろうなという考えが一瞬浮かんだが、そのすぐ後に、自分とカタバさんの場合を考えてしまって、俺は再び膝に顔を埋めた。

したい。
そう、俺はカタバさんとキスしたいんだって、スオウに言われてようやく自分の気持ちに気がついたからだ。

「お前、そこまで悩むってことはさ、男の人好きになったの初めてなんだろ?」
「あ、当たり前じゃないか!」
むしろ男の人もなにも、こんなに誰かを好きになったのは初めてかもしれない。

「だよなぁ…。俺もあんまそっち方面は詳しくないからさー。ただなぁ、幸か不幸か、今ミコトが一緒に買い物行ってるやつが超詳しい。女の子なんだけどよ、ちょっと電話してみっか」

「は…?ちょ、お前、なに言って…」
「おう、ミコト?俺、俺。お前まだツクヨと一緒にいるか?」
俺が慌てて止めるより早く、ミコトが応答してしまったみたいだった。

話が違う。
いや、そもそも、スオウにしか話さないとか、そういうことは言ってないけれど、それにしてもどうしてこうなった。

スオウに話したことが、ミコトの耳に入るかもしれないっていうのは、俺だって考えなかったわけじゃない。もしかしたらスオウに絶縁宣言をされるかもしれなかったわけで、そうなったら当然、どうしてそうなったのかミコトに説明するだろうから。

そこまではぎりぎり許容範囲だけれど、どうしてそこに、もう一人、しかも俺の知らない子が入ってくるんだろうか。

「こんにちはー、初めましてー。ツクヨ・オトエヒナですー」
更に言うなら、どういうわけか、スオウに連れて来られたのは、そのツクヨって子の家だった。

実家住まいらしく、電車に揺られてやってきたのは大きな一軒家。自分よりだいぶ小さくて、おっとりした感じで、のんびりした口調でしゃべる子だったから、まだマシとは言え、俺の人見知りがそんなもんで治るわけがない。

「セイは人見知りだからあんまり気にしないでやってくれ。ツクヨ、めっちゃライトなやつ貸して。セイに見せてやって」
「ライトなやつでいいんですかー?」
スオウの隣、部屋の隅っこに小さくなって座っていた俺の前に差し出されたのは、ノートと同じくらいのサイズで、表紙に美形の男が二人描かれた、薄い本。

「……漫画?」
「おう!男同士で付き合ってるやつ。読み終わったら言えよ、ツクヨめちゃくちゃいっぱい持ってるから」
「こっちの本棚全部そうなんですー。見たければ、えっちなのもいっぱいありますからー」
「………」

どうしてこうなった。
というか、移動中の電車の中で、スオウがメッセージのやり取りをしていたのは知っているけれど、一体俺のことをなんて話したんだろうか。

「いやぁ、エロいのは俺は遠慮するわぁ」
「そう言いながら、スオウ君、結局は全部読んで帰るよねー」
……ツクヨが言った言葉を聞き逃すことができなかった。

「スウちゃんはね、今流行りの腐男子なんだよ、きっと!!でも意外だなぁ、セイちゃんも興味あっただなんて!これでもう、隠さなくて済むから嬉しいなぁ」
ミコトが何を言っているのかさっぱりわからない。けれど、一瞬スオウが目を合わせてきて、小さく頷いたのを見て、適当に話を合わせておけってことなんだろうと理解した。

「じゃ、じゃあ、ちょっと、借ります…」
「そんなに身構えなくても大丈夫だよー。その本、キスしかしてないしー」
あっけらかんと言われたってことは、きっとミコトはこの本を読んだことがあるんだろう。多分、スオウも。

恐る恐るページをめくると、表紙に描かれていた男のキャラ2人の話が始まる。このアニメなんだっけ、このキャラ、見たことある気はする。
「あっ、スウちゃんだめだよ!そっちは今日買ってきた新刊なんだから!ツクヨちゃんが買ったんだから、あたし達はツクヨちゃんが読んでから!」

16ページかそこらしかなかった漫画は、当然あっという間に読み終わってしまう。
漫画だったせいだろうか、綺麗に描かれた男が二人、キスをしていたって、気持ち悪いとかそういったことは全然なくて、むしろなんとも思わなかった。もしかしたら、スオウもこんな感じだったのかもしれない。

「読み終わりました?じゃあ次こんなのどうでしょう?一応やることやってますけど、そのものは描かれてないから大丈夫かなーって」
読み終わるたび読み終わるたび、ツクヨにどんどん次のを渡されて、黙って俺は渡されるがままに薄い本を読んだ。

その間、スオウとミコトも、二人並んで座っているくせに、まったく喋りもしないで、同じように薄い本読んでいる。
この段階になってようやく、スオウが俺を拒絶しなかった理由が、もしかして見慣れていたからなんじゃないかってことに気がついた。

『男同士で付き合ったらダメだって決まってるわけじゃねーし、多分世の中にそんな人たくさんいるだろうし』っていうあのスオウの言葉は、きっとこの漫画の中の世界だったんじゃないだろうか。

「男しか出てこないですけどね、こういうの描いてるのもほぼ女の人だし、読んでるのもほぼ女の人なんですよねー」
いつの間にか、ミコトの隣から、少し近くに、ツクヨが寄ってきて座っていた。

「そ、そうなんだ…」
次にツクヨが渡してくれた本を黙って受け取って、そのままなんの疑いもなく、開いた。
それは、出てきたキャラ二人が、付き合うことになって、いざという日にどっちがどっちをするんだって、揉めているというような内容のもの。

結局はこっちの、髪も短くてガタイがいい方がする方で、小さくて髪の毛は長めで可愛い方がされる方に回るんだろって思ったところで、すっかり感化されている自分に気づいて頭を抱えたくなった。

そして、残念なことに俺が思ったとおりに話は進んで行って。その本は、けっこう赤裸々に、男同士でヤっているところが絵に描かれていた。
男同士って、やっぱりそうなんだ、そうやるんだって思ったところで、突然、自分のことを考えてしまった。

顔が赤くなっているのがわかる。自分の異変に、すぐ前に座っていたツクヨも気づいたみたいだった。
「ああ、ごめんなさい。そっかー、さすがにこれはちょっと早かったかー」
「そ、そうだな、さすがにこれは…」
「おいツクヨ!ライトなやつって言っただろー?今日初めて見るやつに、いきなり生々しいの見せんなよ!」
「ごめんねセイちゃん。ええっとね、これは今日あたしが買った、日常系4コマギャグだから、これでも見て」

ミコトに差し出された本を黙って受け取った。
どうやら、上手い具合にみんな誤解してくれたようで助かるけど、俺が赤くなってる理由はなにも生々しい男同士のセックスが描かれたページを見てしまったからじゃない。
そのページのキャラを、脳内で自分とカタバさんに置き換えてしまったからだ。

そう、はっきりとエロいのを見せられたせいで、自覚してしまった。
確実に俺は、カタバさんとああなりたい。キスだってしたいし、あの人に、抱かれてみたい。
悶々としながら、そんなことを考えていたせいで、ミコトが渡してくれた4コマ漫画の内容は、ほとんど頭に入ってこなかった。

結局2時間くらい、ツクヨの家での漫画鑑賞会は続いて、ようやく帰ることになった。
「また読みたかったらいつでも来てくださいねー」
「おう、また来るぜ、ツクヨ!」

ほとんど話していないし、ただただ漫画を読んでいただけなんだけど、なんとなくツクヨに対する警戒心みたいなものは解けたような気がする。スオウやミコトが一緒にいて、ミコトの友達だっていうのが最初からわかっていたからかもしれない。

「あ、あの、今日は、ありがとう…」
やっとのことで、それだけ伝えると。
「はいー。上手くいったら、いろいろ教えてくださいねー」
待って、なにが?なんのこと?

尋ね返したいが、どうやらツクヨの言葉はスオウやミコトには聞こえなかったようだ。
「おーい、セイ、おいてくぞー」
「セイちゃーん、帰ろうよー」
俺だけ一人ここに、ツクヨの家の玄関に、いつまでも残って問いただしていたら変だろう。

(聞こえなかったことにしよう、そうしよう)
俺は、考えることを拒否して、小さく頭を下げて、ツクヨの家を後にした。

帰り道で、スオウがどうしてああいったBL同人誌(というらしい)を読むようになったのか、その経緯を二人が話して教えてくれた。
珍しくスオウがミコトの家に行った時、隠していたのを見つけてしまったのがことの発端だったらしい。
その見つかった本が、あまりエロいものじゃなかったせいもあって、スオウは『案外おもしろい』と思ってしまった。それ以来、ミコトもスオウに隠さなくなったんだとか。

見ているうちにだんだん慣れてきて、今ではどんなにエロいのも生々しいのも、スオウはけっこう平気だそうだ。
ただ、ミコトが買ってくる本は、さっきのような、エロい要素が全くない、日常系ギャグの4コマ漫画が多いらしいが。

「それじゃあセイ、また明日な」
「セイちゃんまたねー」
ミコトの家もここで乗り換えだったような気はしたが、どうせスオウのところに行くんだろうと思って、気にせずそのまま二人とは別れた。

家に着く頃、スオウからメールが届いていた。
『今日は、セイがたまたまネットでBLイラストを目にしてしまってちょっと興味を持ったみたいなんだけど連れて行っていいか?って言っておいたんだ。お前とカタバさんのことは、まだミコトにも喋ってないから安心しろ』

ツクヨの家に着いてすぐ、いきなり漫画を渡されたのはやっぱりそういうことだったんだなと納得する一方。
(まだってなんだまだって)
そりゃ、スオウがミコトに今日の俺の相談内容を話さないはずはないと、わかっているけれど。

それに、この先全くなんにも進展しない可能性だってある。
スオウは、一緒にご飯を食べたいっていうのは口説かれてるって言ってたけど、カタバさんはそんなつもりないかもしれない。

誰もいない、真っ暗で狭い部屋に帰ってきて、途中のコンビニで買ってきたおにぎりを食べた。
スオウに拒絶されるかもしれない。それは確かに、俺の中の不安材料の一つだったから、払拭されたことで少し安心したのかもしれない。
あの調子だと、多分ミコトも、気持ち悪いとか言わないだろう。むしろ、興味津々でいろいろ聞かれるかもしれない。うう、多分そっちの方が面倒くさい。

だけど。
結局一番大きな問題はなにひとつ片付いてないわけで、俺は、カタバさんに次会った時、どんな顔をしたらいいんだろう。

膝を抱えながらそんなことを考えていたら、そのカタバさんからメールが届いた。
『やっと仕事終わったー!帰るぞー!今日は疲れたからなんか買って帰る!』
ここのところ、2,3回に1回の割合でしか返信していなかったのに、それでもカタバさんはこうやって、相変わらず俺にメールを送ってくれた。

こんな時間まで仕事してる人なんだ、暇だからってことはないと思う。
俺のことが嫌いだったら、こんな風にメールなんてしてくれないと思う。

『お疲れ様です。…カタバさん、話したいことがあるんですけど、今度いつ会えそうですか?』
送ってしまった。

そう、カタバさんと一回会って、ちゃんと話さなきゃダメだって、スオウに言われるまでもなくそんなのわかっていたことだったんだ。

『もし、急ぐなら今からそっちに行こう。今どこにいるのだろうか?』
カタバさんからの返事は早かった。しかも今日会えるみたいだ。
『今は家です。なんなら、俺がカタバさんの家、行きましょうか?』

いきなり今日?とは思ったけれど、こんなのは早いほうがいい。決心がついた今日、スオウが後押ししてくれたんだっていうこの気持ちがまだ新鮮なうちに、勢いで言ってしまった方がいい気がする。

『こんな時間に出てきたら危ないよ。だいたいの場所は覚えてるから、近くに着いたらまた連絡する。…あ、セイ君の部屋で、なにか食べてもいいかな?買って帰ろうと思っている』
『もちろんですよ。それじゃあ、待ってます』

そう返信を送ってから、この部屋にはお茶とかお菓子の類がなんにもないことに気がついて、もう一度コンビニに行った。晩ご飯を食べるんだから、もしかしたらいらないかもしれないけど。

カタバさんが何を食べるかわからなかったから、適当に。飲み物は、晩ご飯と一緒に買ってくるんじゃないかなと思ったけど、とりあえず2Lのお茶が1本あれば足りるだろうか。

21時頃電話が来て、マンションの下まで降りたら、道路の向こう側に買い物袋を下げたカタバさんが立っていた。
顔を見た瞬間になんだかホッとして、ああ、やっぱりかっこいいなぁ、好きだなぁと。そんな気持ちが自然と溢れてきて、俺は自然と口角が上がるのを感じる。

「狭いですけど、どうぞ」
「人のことはあまり言えないが、セイ君の部屋も、物が少ないな」
「そうですね…。帰ってきて、寝るだけなんで。課題をやるときは、学校の図書館の方が机が広いし」

テーブルの上に、カタバさんが買い物袋を置く。
「セイ君はもうなにか、食べたか?」
「えっ…?……ええと、コンビニの、おにぎり…」
そんなことを聞かれるとは思っていなくて、でも、隠しても仕方ないから正直に答えた。

「きっとそうなんだろうと思っていた。だから寿司を買ってきたんだ、一緒に食べないか?」
カタバさんが袋の中から取り出したのは、スーパーのお寿司じゃなくて、なんと百貨店の、デパ地下のお寿司だった。

「えっ、でも、そんな…」
「一人で食べるより二人で食べた方が美味しいだろう。さすがに俺一人で食べるにはちょっと多いしな」
「え、っとあの……皿、取ってきます」

俺の好物が魚だって、覚えててくれたんだってことが、たまらなく嬉しかった。
皿と、コップ2つ出してきて、さっき買ってきたお茶を用意する。

「おお、すまないな。さて、セイ君、どれから食べる?」
テーブルの上には、蓋を外した状態の寿司が並んでいる。
一人前のがひとつと、あとはサーモンとマグロだけとか、そういうのがいくつか。時間が遅くて、あまり選べなかったらしい。

「お、俺、とりあえずイカもらいます」
「遠慮せずにウニとかイクラ食べていいんだぞ?とりあえず俺はエビもらいます」
「じゃあ次ウニもらいますから」
「いいぞー。それじゃあ俺はサーモンな」
「イクラもいっちゃいます」
「ネギトロはもらったぞ」

そんな感じで、交互に好きなネタを取り合いながら、食べた寿司は、本当に美味しかった。
カタバさんが、一人で食べるより二人で食べた方が美味しいって言ってたのは本当だと思った。

俺は当然、10個も食べる前にお腹いっぱいになってしまって、箸を置いたんだけど、残りは全部カタバさんが食べてくれた。残った分を無理して食べてたようには見えなかったから、もしかして俺が食べ過ぎて足りなかったとかだったらどうしよう。

「ちゃんと、お腹いっぱいになりましたか?」
トレーは洗ってから捨てようと思って、狭いキッチンに運ぶ。座っててくれていいのにカタバさんも手伝ってくれた。

「もうちょっとセイ君が食べるかなーとは思ったが、だいたい想像通りだぞ。前に一度、食べる量は見てるからな。……それよりだ」
再びこっちの部屋に戻ってきて座り、俺のコップにお茶を注ぎながらカタバさんが続ける。

「話とは、なんだろうか」
「あ、はい」
そう、すっかり楽しく寿司を食べてしまったせいで、忘れそうになっていたけれど、俺は今日、自分の気持ちを告げるつもりで、話があると言ってカタバさんを呼び出したんだった。

ちゃんと言わなきゃと思って、気合を入れるためにとりあえず正座すると、ちょっと驚いた表情をしたカタバさんも俺に合わせて正座になる。
「いや、あの、そこは別に」
「いや、なんとなく…」

そこで、会話が不自然に途切れてしまう。でも、呼び出したんだから俺から言わなきゃ。
それはわかっているのに、ここまできて、やっぱり最後の一言が言えない俺って、相当ヘタレかもしれない。
「あの、いきなり、あれなんですけど。……カタバさんって、俺のこと、どう思ってるんですか?」

やっと絞り出した声は小さくて、しかも恥ずかしくてカタバさんの顔も見れずに、俯いたままだった。
「セイ君のことを、どう思っている、か…」
突然、たぶん突拍子もないことを言っただろうけれど、カタバさんはあんまり驚いた様子はなかった。

「正直に言う。…君が好きだ。君さえいいのなら、付き合って欲しい」
「……!」
びっくりして顔を上げると、カタバさんは俺を見つめて、静かに微笑んだ。

「セイ君、好きだ。実は同性を好きになるのは初めてでな。多分至らないこともたくさんあるんだろうとは思うが………ええっ!?」
俺も好きだ、嬉しいってちゃんと言わなきゃならないのに、言葉より先に涙がボロボロ溢れてきた。

「そんなに泣くほど嫌だっただろうか…。すまない、今のは忘れて欲しい」
「……違います」
「え?なんて?」

嗚咽と混ざってしまったせいで、本当に俺の掠れた声はカタバさんには聞こえなかったみたいだ。だめだ、このままじゃせっかくの機会なのに俺の気持ちが伝わらない。

「俺も、俺も好きです。ほんと、好きすぎて、どうしたらいいか、わかんなっ、うれし…」
「…セイ、くん」

カタバさんが膝立ちになって、俺のすぐとなりにやってくる。両手で口元を覆って泣いている俺の前髪にそっと手を伸ばして。
「俺は、君を好きでいて、いいのだろうか」
声が出なかったから、そのままはっきりと、頷いた。その途端、カタバさんの逞しい腕でぎゅうっと抱きしめられた。
「ずっとこうしたかった。生まれて初めて、一目惚れというものを体験した。君に、嫌われなくて、良かった」

足を伸ばして座り直したカタバさんの膝の上に乗せられて、まだ震える背中を大きな手で撫でられる。広い胸に顔を押し付けていたら、だんだんと抱きしめられているんだっていう実感が湧いてきて、カタバさんの体温を感じて、嗚咽が治まってきた。

そのまま黙って抱きしめられている。しばらくの間ふたりとも、なにも言葉を発しなかったけど、落ち着いていて、一切退屈だとは感じなかった。
カタバさんの身体にそっと体重を預けてみる。知ってたけれど、実際に触れてみると、想像よりも、遥かに腕も首も太くて逞しくて、分厚い胸板から響く鼓動は俺を安心させてくれた。

「なぁ、セイ君。……その、キスしても、いいだろうか」
そうっと、まるで恐る恐るというように、頭を撫でられて俺はゆっくり顔を上げた。思っていたよりカタバさんの顔は近くにあって、恥ずかしくなって俺は視線を逸らした。

「…うん」
そう答えるのが精一杯で。そうしたら、カタバさんの、俺より少し大きな手が頬に当てられて顔を上げさせられた。

さっきまでよりも、ずっと近くにカタバさんの顔があって。反射的に俺は瞼を下ろした。
ちゅ
小さな音をたてて唇が重なる。ゆっくりゆっくり、ついばむように何度か重なって、それから不意に、深く唇を押し付けられた。

「ん……」
ほんのり。吐息が漏れて僅かに開いた唇の隙間から舌が入ってきて、こっちの舌先に触れる。
頭が真っ白になった。だけど、やめてほしくなくて、いつまでもキスしていたくて、俺はカタバさんの背中に腕を回してぎゅうっとしがみついた。カタバさんの俺を抱きしめる腕にも力がこもったのがわかって、そのまま。

多分5分位はずっとキスしていたかもしれない。唇が離れたのがわかって、瞼を開くと、名残を惜しむように細い糸が引いていて、真剣な表情のカタバさんの顔が目の前にあった。
「セイ君、好きだ」
「…俺もです。俺も、好きです、カタバさん」
もう一度重ねられた唇を、俺は幸せな気持ちで受け止めた。






















このページの文章・画像は引用を含んでおり、著作権は株式会社コロプラに帰属します。 文章・画像の無断転載は固くお断りします。
All fanfiction and fanart is not to be used without permission from the artist or author.