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ハッピーバレンタイン


登校して、玄関で靴を履き替えた瞬間、背中をポンと叩かれた。
さっき、正門の前にリムジンが止まっているのを見かけたから、多分スクナだろうと思いながら振り返る。

「おう、おはよ…」
「だーっはっはっっはっはっは、ちょっとなに、カタバくんなにその顔!!サイコー!!」
相手は予想通りだったのだが、予想外だったのはこの反応。
人がおはようを言い終わる前から突然笑い出すとはなにごとか。

なにもなくたって、スクナの周りから女が絶えることはないというのに、思い切り腹を抱えて笑っているものだから、いつも以上に人が集まってくる。
「お前は何がしたいんだ…」
「っていうか、それこっちのセリフ!ちょっとどうしたの?顔怖すぎて逆におかしい!!ハニーと喧嘩しちゃった?」

俺とセイの関係をスクナは知っている。
周囲に人がたくさんいるのがわかっていて、敢えてそういう言い方をしてくれるのはありがたいのだが。

「えええっ、カタバ君ってやっぱり彼女いたんだー!」
黙ってないのはスクナの取り巻きの女達である。
「やっぱりねー!だって、高校来てから誰とも付き合わないもんねー!」
「そうそう、中学の時は、あんなにとっかえひっかえだったのに!」

ああ、思い出したくない昔のことは、言わないで欲しい。
それがいくら事実だったとしても。

スクナと二人並んで、周囲をスクナの取り巻きの女子8人に囲まれた状態で階段を昇っていく。
「でも、今もカタバ君狙ってる子っていっぱいいるよねー」
「だよねー!だってぇ、カタバ君かっこいいしー、優しいしぃ、頭いいしー」
「なーに、君たち、僕のファンじゃなくてカタバ君のファンだったのー?」
スクナが不貞腐れたような声を出した。

「違うよぉ!あたしたちはスクナ君のファンー!」
「そうそう!スクナ君だーい好き!」
スクナの嗜好にケチをつける筋合いはない。キャーキャー言われて女の子に囲まれるのが好きなんだからそれは別にどうでもいい。ただし、俺を巻き込むのはやめてほしい。

「ねぇ、彼女達、今日はここまでね。今日はカタバ君の愚痴聞いてあげないといけないからさ」
2年1組の教室に着いてすぐ、スクナはそんなことを言い出した。
「別に俺は…」

「ここから先は、男同士の話になるからさ、ごめんね」
「はーい!」
「スクナ君またねー!」
お前に聞いてもらいたいなどと、一言も言ってない!…と言うより早く、女の子達はあっという間にいなくなってしまった。ずいぶんとよく訓練されたものだ。

「…で。マジで弟君に、なにやらかしたわけ?」
にこやかに扉の前で女の子達を見送っていたスクナの顔が、一瞬で豹変した。肩に腕を乗せて、耳元で、他には聞こえないような小さい声で。
「どーして俺がなにかした前提なんだ」
「あの大人しい子が、なんにもしてないのにそうそう怒るわけないじゃない。どーせカタバ君がなんかやらかしたんでしょ?」

お互い席に着いて、鞄から教科書を取り出しながら話は続く。どういうわけか、スクナは俺の前の席であることが非常に多い。くじ引きで席順を決めているはずなのだが。
「大人しいのもそうそう怒らないのも認めるが…。というかスクナ、そもそも前提から間違えている。別に、俺達は、喧嘩したわけじゃない」
「ええっ!?」

めいめいに朝の時間を過ごしていたクラスメート達が振り返るほどの大声を、スクナは出した。
「…お前、うるさい」
「だって!…っていうか、だったらなんでそんな顔してんの、朝から?」
教室に喧騒が戻ってから、声を潜めてスクナが問う。たいした話でもないが、ここまで来たら話さないとスクナは恐らく引き下がらないだろう。仕方なく、カタバは説明することにした。

「今度の週末だがな?」
「週末?土日?」
すぐにスマートフォンを出して、カレンダーアプリを広げるスクナ。横目でチラっと見ただけでもわかるほどに、予定がびっしりだ。

「セイが、スオウのところに遊びに行くそうだ」
「スオウ君って…ああ、わかったあの爽やかイケメンかー!…カタバ君、さっき土日って言ったよね?言ってない?どっち?」
「週末って言ってたから泊まってくるんじゃないのか?そんな細かいことまで聞いてないから知らんわ!……ええい、話は以上だ!」
「あーあ」

両肩を竦めて、スクナは盛大にため息を落とした。
「っていうかぁ、カタバ君、ようやく2月14日が何の日か、覚えたんだね」
「うるさい、放っておけ」
「今年は14日が日曜日だから、12日だなぁ、絶対何の日かわからずに混乱しそう、今から楽しみ!と思ってたのに」

毎年2月になると、ある日突然、下駄箱や机の上に、赤やピンクの装飾の箱が大量に現れて、それでようやくその日がバレンタインデーだということに気づく。だが当然、そうなるまで忘れているのだから、大量のチョコレートを持って帰るすべがない。鞄になど入りきるはずもない。中学の頃から、そんな俺に紙袋を差し出し、挙句家まで送ってくれるのはいつもスクナだった。

肩を震わせて笑っているスクナにしてみれば、モテる自覚はあるだろうに毎年毎年バレンタインデーのことをすっかり忘れていて、当日困り果てているカタバを見るのが実に楽しかったりするのである。

そもそも2月に入ったくらいから、女の子達は手作りにするのか、買うならいつ行くのか、更には誰に渡すのか。こそこそ話していて、遠くから見ていてもそわそわしているのがわかって、普通にしていれば、今年もその季節だと気づきそうなものなのに。

「でも変だね。カタバ君じゃないんだから、バレンタインだってわかってそうなのに。わかっててスオウ君とこ泊まりに行くなんて」
「…俺よりスオウの方がいいのかもしれん」
苦渋に満ちた表情でそう呟くカタバを覗き込み、スクナは目を丸くした。

「え?なに、あのイケメンそっち?」
「言ってなかったか?一回キスされてるぞ。…もちろん、断ったそうだが」
「そんなの初耳なんですけど!」

話してて当然という顔をされても困る。確かに、シラナミ家の兄弟の関係は知っているけど、知っているからどうこうしようなどという気は、スクナには全くなかったし、否定しない代わりに特別推奨もしていない。

ただ、弟の方のセイ君は、同じ年頃の男にしてはやけに綺麗な顔をしているとは思う。カタバ君が『そのへんの女よりあいつの方が綺麗じゃねーか!』って前に力説してたけど、まぁわからなくもない。
けど、それでもやっぱり自分の恋愛対象は女の子がいいと思うのが、スクナである。

「でもなーんか腑に落ちないなぁ?…誰か、あのイケメンと仲いい子いないかな」
言いながら、スクナはスマートフォンの操作を始める。慣れた手つきで、凄い早さで文章を打ち込んでいく。

「スオウと仲の良い子がいたからなんだと言うのだ?」
「だって、ホントに泊まるなら2人きりじゃないかもしれないでしょ?なーんか知ってる子いないかなーと思ってさ」
「わざわざその日に、誰も朝まで耐久桃鉄なんかしないだろーが?」

「うん、それ一番説得力ないのカタバ君だからね!毎年忘れてきたんだからね、今まで!覚えてる?あーもう、本命とくっついた途端、バレンタインを意識しちゃうとか!わかりやすくて、僕カタバ君のそういうとこ、すんごく好きだよ」
「…やかましい。お前に好かれても嬉しくないわ」

中学からずっと同級生というのは、いろいろ知っていて便利な分面倒くさいと思っているうちにチャイムは鳴り、先生が来て朝のホームルームが始まった。早速返信が来たのか、こっそり隠れて、ホームルーム中にスクナがスマホを弄っていたのが後ろの席の俺には見えていたが、気にしないことにした。

************

スクナが言うには、女の子同士の繋がりとは、インターネット上のネットワークのようなものだという。
それがどうした!と思っていたが、1時間目が終わる頃には、スオウと中学から一緒の子が10人程度、クラス内でもよく話しているという子が数人見つかったというのだから侮れない。

そして、スクナのネットワークを通しても、スオウが仲の良い男は全員一致でセイらしい。よく一緒にいる男はセイだけということか。胃が痛い。スオウが、アホだがいいやつだということは認めよう。ある意味、あいつのおかげで今の自分たちがあることも事実だ。しかし。

「ちょっと4階行ってくるねーん」
どうやら、小学校からスオウと一緒で、今もよく話しているのを目撃されている女の子がいるらしい。情報源となった女の子を2人引き連れて、上機嫌でスクナは教室を出て行った。

別に、だ。
いくら想いを伝え合って、身体の関係になったからと言って、週末友達の家に遊びに行くなとは言えないと思う。

セイは大人しいから、そんなにそんなに、昔から友達がたくさんいて、家に何人も連れてきたとか言うようなことはない。
それがいいとも悪いとも言うつもりはない。

そもそも、自分たちが恋人同士である以前に、実は兄弟であるという事実がある以上、この関係はスクナのような変人を除いては公にできないわけで、その観点から見ても、セイを束縛することなんて、自分にはできない。

自分はどうなってもいいが、セイだけは幸せになってもらわねば困る。というか幸せにしてあげたい。そのために自分にはなにができるのだろうかと、いつもいつもこうやって頭を悩ませているがさっぱりいい解決策は浮かばない。答の見つからないセイと自分の将来に比べたら、必ず答の出る学校の勉強など、他愛のないものにしか見えてこない。

カタバが一人、悶々と頭を悩ませている頃、スクナは4階の廊下で、一人の女子生徒を捕まえていた。
「はぁーい、初めまして。君がツクヨ・オトエヒナちゃん?」
「どなたですかー?」

髪の長い、おっとりした雰囲気のツクヨは、スクナを見上げて問いかけた。
「僕は2年1組のスクナ・フルクマ。ねぇねぇ、ツクヨちゃんって、スオウ君と仲いいんでしょ?ちょっと聞きたいことがあるんだけどー」
「スオウ君ですかー?小学校から一緒ですけどー。…あ、スオウ君」
そう、まさに。スクナがツクヨに、スオウのことを尋ねようと思ったところで、当の本人が現れた。

「ちょっと!スクナさんなんでこんなところにいるんだよ!…ツクヨ、知り合いか?」
スオウ一人増えただけで、数人が話の輪に入ったような賑やかさである。スクナにくっついて来た女子2人は、少し離れたところで待っているだけだというのに。

「いいえー全然!今初めて話しましたー」
相変わらずおっとりなツクヨとスクナを交互に見て、それからスオウは口を開いた。

「ツクヨにまで手ぇ出すのやめてくれよ?まースクナさん悪い人じゃねーけどな。あのさ、ツクヨ。相談あんだけどいいかな?」
自分が見境ないみたいな言い方をされてちょっとむっとしたけど、それを言ってしまうと休み時間が無くなりそうだから黙っておいた。

「いいけど、でもー…」
先に話しかけてきたのも、今話してる途中だったのもスクナだからという意味で、ツクヨは顔を上げた。

「いいよいいよ、スオウ君先どうぞ」
ツクヨと目が合ったスクナはすぐに視線の理由を察するが、当然、自分の用件は後だ。なぜなら、この先のスオウとツクヨの会話で、もしかしたら自分が知りたかったことが解決するかもしれないからである。

「ああ、そう?…あのさ、料理が苦手な人でも簡単に作れるチョコレートケーキのレシピとか知らねぇ?」
スクナに譲られて、スオウは遠慮無く、すぐに本題に移った。

「スオウ君が作るの?」
「いや…っていうか、俺はできれば手伝うだけ…にしたいんだけどなー。だからできるだけ簡単なやつで」
「バレンタインってこと?お姉さんか妹でもいる感じ?」
スクナが口を挟むと、スオウはそういうことにしといてくれと、なんとも歯切れの悪い返事を返した。

「スオウ君、たぶん、クックパッドで調べた方が早い気がするけど?」
ツクヨの言葉に、スオウは初めて気がついたというような表情を見せて。

「そうだな!そうだよな!サンキューツクヨ!じゃ、スクナさんもまたな!」
来た時同様、騒々しく帰っていった。

「…スオウ君行っちゃいましたけど、なにか聞きたかったんじゃないんですか?」
「ああ、いいのいいの。ところでツクヨちゃん、スオウ君って女きょうだい、いるの?」
もしかしたら、本当に妹に頼まれて手伝うのかもしれない。が、スクナの中でなにかが引っかかっていた。

「スオウ君一人っ子ですよ。誰と作るんでしょうね。まぁ、スオウ君、なんでもできるからなぁ…」
「彼、料理とかも得意なの?」
「はい、だいたいなんでもできるみたいです。…って、実際には調理実習と、炊事遠足しか見たことありませんけど。でも仕切るし、けっこう手早いし、包丁使うのとかも慣れてますよねー」
「いやぁ、十分!十分だよ!ありがとうねー」

待たせていた女の子2人に声を掛けて、スクナは4階を後にした。
これでピースは埋まった気がする。自分の予想が間違いなければ、スオウ君が一緒にチョコレートケーキを作る相手はセイ君で、そのチョコレートケーキは誰のためのものって言ったら、そりゃカタバ君しか有り得ないだろう。

だいぶ前に、カタバ君が『セイに料理なんかさせられるかぁ!』とか言っていたような気がするから、スオウ君がわざわざ、料理が苦手な子でも作れるレシピって言ってたその点もおそらく合っている。

多分大好きなお兄ちゃんに手作りしたいと思ったけど、自分一人じゃ無理だから、スオウ君に手伝ってもらうことにした、そんなとこなんだろう。
最初からそう、正直に言ってしまえばカタバ君があんな怖い顔で登校することもないんだろうけど、なんとなく当日まで秘密にしておきたいセイ君の恋心もわからなくもない。

「傍から見てるほうがよくわかることってあるもんだよねー」
「なにそれー!」
「カタバ君の悩みって解決したのー?」
「もう、僕から見たら、解決したようなものなんだけどね、本人達の問題だからねー」

ツクヨちゃんのことを教えてくれた女の子2人とは、昼食を一緒に食べる約束をして教室に戻ると、相変わらずカタバ君は眉間にシワを寄せて、次の授業の教科書を開いていた。読んでるのかどうかは知らないけど。
「ただいま」
「おう」

気になってないはずはないのに、なんだか気のない返事。考えないようにしてるのかもしれないけど、そんなの無理なくせに。
「どうだった、って聞かないわけ?」
「なにがだ!」

相変わらず鋭い視線。これがかっこいいっていう女の子もいるけど、正直睨まれてる気しかしない。自分の場合は単純に慣れてるから気にしないだけ。
頑張って頑張って顔に出さないようにしてるっていうのが想像ついちゃって、なんだか僕は、カタバ君にちょっと意地悪をしたくなってしまった。

「スオウ君の話。聞いてきたけど、バレンタインだってわかっててセイ君お招きしたみたいだよねー」
嘘は言ってない。断じて嘘は。
だけど、こちらの思惑どおりに勘違いしてくれたカタバ君は一瞬目を見開いて固まって、それから。

「せ、セイが、そうしたいなら、それでいい」
ボソっとそれだけをいうと、ふいと横を向いてしまった。

そうしてそのまんま、次の授業が始まって。やたら後ろの席から、シャーペンの芯が折れる音が聞こえたり、勢い良く消しゴムを使ったらノートが破れたりする音が聞こえて。スクナは笑いをこらえるのに必死だった。

でもあれだね、これ。弟君にフォロー入れといてあげないと、弟君が可哀想だよね。

************

2月13日。
セイは昼前に出かけて行ったようだ。

どうにも素直に見送る気になれず、自分の部屋に閉じこもっていたが、気になる。
気になって気になって仕方ない。正直なんにも手につかない。

いつも週末は何をしていたのだろうかと思い浮かべてみるが。模試でもない限り、いつもセイと一緒だったということに気がついて持っていた参考書を投げたくなった。

そうだ、今のような関係になるとかならないとか。そんなものよりずっと前、物心ついた頃から自分にはセイしかいなかったではないかと気づいてカタバはベッドに倒れこんだ。

このままではいけない、延々セイのことばかり考えてしまって何にも前に進めない。ベッドの下に伸ばした手の先には通学鞄があって、適当に取り出したのが化学の参考書だったから、適当なページを開いた。

なんでもいいから思考をセイから離そう。一旦セイから離れよう。偶然開いたページの化学反応式に酸化数を付けて、そのまま、ベッドの上でありとあらゆるページの化学反応式に酸化数をつけていった。

案外真剣にやり始めるとゲームのようなもので楽しくなってくる。
最初のページから、結局最後のページまで、酸化還元反応に全く関係ないところにまで酸化数を付け終わった後の気分も思考も、なんだかスッキリしていた。

「そうか、俺も作ればいいんだ」
女性から男性にチョコレートを贈る習慣。
それは日本だけのものではなかっただろうか。

そもそもバレンタインデーなんて日本のものじゃないだろうが。
だったら俺からセイに、好きだという気持ちを込めてチョコレートを渡したっていいんじゃないだろうか。
セイとスオウがくっつこうが、関係ない。俺の気持ちは俺の気持ちではないか。

どうして今までそんな単純なことに気付かなかったのだろう。
そうと決まれば話は早い。善は急げとばかりに、カタバはベッドから起き上がり、簡単に作れそうなレシピを検索し始めた。

************

予定より、少し遅くに帰宅すると、土曜日のせいか、父も帰ってきているようだった。
どうやら3人共、リビングにいるらしい。珍しく、帰宅した自分にも気づかないほど、盛り上がっているようだ。

スオウの家から持って帰ってきた荷物を自分の部屋に隠し、うがいと手洗いを済ませてから、セイは家族が盛り上がるリビングへと向かう。

「あれ?…セイ、今日スオウ君とこ泊まるんじゃなかったの?」
テーブルの上のなにかを囲んでわいわい騒いでいた3人。一番最初に自分に気づいたのは母だった。

「俺、泊まるとは言ってなかったと思うけど…」
土曜日だから、翌日の日曜までそのまま泊まると思われても仕方ないのかもしれないが、自分にもスオウにもそんなつもりは全くなかった。

「あれ、どうしようセイご飯まだでしょう?なんか作るわ。そうそう、それまでお兄ちゃんが作ったケーキでも食べてて」
「……兄ちゃんが、ケーキ作ったの?」

どうやら3人で突いていたらしい。すでに半分ほどなくなってしまったそれは、元はきれいな丸い形で、丁寧に砂糖をまぶした上にハート型のチョコやいちごまで乗っていたらしい。父親が食べる前に撮った写真を見せてくれる。

「昨日あれだけチョコもらってきたくせにねー」
「うるせー。なんか最近、手作りすんのが流行りなんだろ?友チョコとかなんたらチョコとかあるみてーだし。俺にもできっかなーって思っただけなんだよ。いいじゃねーか、家族チョコで!」
取り分けてもらったチョコレートケーキを口にする。甘さ控えめで、少しお酒の香りがする。なにも知らなければ、買ってきたと言われても信じてしまうほどの出来だった。

「美味しい。…兄ちゃん、ひとりで作ったの?」
「そうよ、帰ってきたらできてたの」
母さんがソーセージとキャベツ炒めに、ご飯を持ってきてくれた。茶碗によそわれたご飯はいつもより少なめ。

「あと、漬物とー、あ、きんぴらあるわ」
「ありがと。漬物はいいかな、きんぴらちょうだい」
ケーキを半分残した状態で、ご飯にする。やっぱりデザートは後から食べた方がいい気がするから。

「…でも、すごいよね、兄ちゃんって、ほんとなんでもできるよねー」
俺は、上手に笑えていたかな。

************

金曜日に案外たくさんもらえたチョコレートをつまみながら、スオウは頭を悩ませていた。
学年末テストは全範囲。今更ながら、秋に習った三角比がわからない。今日、セイが家に遊びに来て、一緒にチョコレートケーキを作った。
焼けるのを待っている間に少し教えてもらったにも関わらず、少しでも違うパターンの問題に遭遇すると途端にわからなくなる。

どうしよう、多分セイに電話すればすぐに教えてくれるだろうけれど、やっと完成したチョコレートケーキを持って帰って、きっと今頃兄貴と二人で食べてるんだろうと思ったら邪魔したくはない。
でも、そろそろ三角比は攻略しておかないと本格的にマズイ。テストは数学だけじゃないのだ。あやふやなまま見なかったことになっている生物の遺伝というラスボスも残っている。

スマートフォンを手にしてはやっぱりと思い立って放り出し、手にしては放り出し…を何度か繰り返していたら、いきなりそのスマホが鳴り出した。しかも、セイからの着信だ。
たまたま手に持っていたせいで、2秒とかからず応答してしまう。

「どうしたセイ?」
『スオウ、どうしよう…渡すタイミングなくしちゃった』
「は?」

今にも泣き出しそうな声でぼそぼそ話すセイが言うには、帰ったらどういうわけかカタバさんがチョコレートケーキを作って、家族で食べていたらしい。それが、自分たちが作ったのより遥かに上手だったと。

うん、よくいるよね。嫁より料理上手な夫って。つーかマジあの人なんかできねーこととか苦手なことねーのかよ!完璧超人かコノヤロウ。
そんなチートな人相手にそもそも勝ち目なんかあるわけない。っていうか、セイがもう完全にあの人の方しか向いてないんだから、それ以前の問題。わかっているけど、それでもなにかひとつくらい勝ちたい。でも今のところ、なにひとつ見つからない。

「でもせっかく作ったんだから渡さなきゃ意味ないだろ?大丈夫だって、味は保証する!な?そうだろ?」
本番を焼き上げる前に試しで作ってみた一口サイズのケーキが申し分ない美味しさだったから、絶対に問題ないはずだ。
そもそも今日、セイが来る前にこっそり一度、自分で作ってみてるわけだし。

「もうすぐ日付変わんじゃん。ほら、14日だ、バレンタインデーだって言って渡してこいよ」
『わかった、ありがとう』
「あーっ、そうだセイ、ちょっと待って!」

通話が切れる寸前で俺は大変なことを思い出した。
『なに?』
「月曜日数学教えて。三角比マジでヤバイ」

電話を掛けてきたときから、ずっと涙声だったセイがようやく笑った気がした。
『わかった、いいよ。月曜日ね』
通話が切れてからもしばらくスマホを握りしめたままぼーっと宙を眺める。

どうせなら、俺の付け入る隙がないほど、ラブラブになってくれなきゃ困んじゃん。
今度カタバさんになんか奢ってもらおう、そうしよう。それくらいしても罰は当たらないはずだ。

************

調子に乗っていちごやらハート型のチョコやらで飾り付けをしている間に母親が帰ってきてしまったのが予定外だった。
バレンタインの、セイにあげるはずだったチョコレートケーキは、見事に4等分されて、あっという間になくなった。

ただ、スオウのところに泊まると思っていたセイが帰ってきて、ちゃんと食べてくれたから、目的は果たしたと言うべきだろうか。
一番大事な言葉は伝えていないような気がするが、夕食の後、セイはすぐに自分の部屋に引きこもってしまった。追いかけるのもなんだか不自然で、さっき、両親が寝ると言ったのに合わせてようやく自分は部屋に戻ってきたところだ。

ちなみに、週末スオウのところに遊びに行くと告げられてから、どうにも顔を合わせづらくて一緒に寝ていない。キスさえしていない。
そろそろいろいろ限界だ、どうしたものか。

いっこうに集中できなくて、スクナに押し付けられた日本霊異記を閉じてスマートフォンを手にする。
ギャラリーには、大量にセイの写真が入っているはずだから、それでなんとか処理しよう。さて、どれにしようか、正直全部可愛いのだが…と思っていたら、突然部屋の扉がノックされた。

パンツを脱ぐ前で良かったと思いながら起き上がり、扉を開けると、驚いたことに、セイが立っていた。
「…セイ」
「あ、あの、ね」
こんな近くで見るのは久しぶりかもしれない。抱きしめたくなる衝動を必死で我慢した。

「今日、スオウのところ、行ったでしょ?」
「お、おう」
どうやら後ろになにか隠し持っているらしい。部屋の中に入ろうとしないのもそのせいか。ずうっと俯いて、もじもじ何かを言おうとしているのはわかるが、待つしかできないのがもどかしい。下手なことを言って怒らせたり泣かせたりしたくない。

「今日、バレンタインだから、兄ちゃんに、何かあげたいなと思って。スオウに、手伝ってもらって、ガトーショコラ作ったんだ」
「……は?」
待て待て、今なんて言った?

スオウに手伝ってもらって作った?まさかそれ、俺の?
「兄ちゃん作ったのみたいにすごくないけど、多分、味は大丈夫だと思うから、はい」
セイが後ろに隠していた紙袋を押し付けられた。その中に見える、明らかにケーキの箱。

「それじゃあ」
くるりと背を向けたセイを慌てて、左手だけで抱きしめた。
「セイ待って。一緒に食べよう?」
「でも…」
「いいから!」

右手でガトーショコラを持ったまま、左腕だけでセイを自分の部屋に引っ張りこんだ。案外おとなしく俺の部屋に入ってきたセイは慣れた様子でベッドの前に座り込む。テーブルの上にガトーショコラを置いてから、その後ろに回って腰を抱いてやると、素直に体重を預けて甘えてきた。

ふと気づくと、左手の人差し指に絆創膏が巻かれている。さっきリビングでは全然気づかなかったのだが。
「セイ、これは…?」
「あ、うん。…ちょっと、火傷しちゃった。けど大丈夫、すぐ冷やしたし、もう痛くないんだ」

聞けば、当然オーブンなんて触ったことのないセイは、スオウに協力を仰いだらしい。オーブンを使う工程は全部スオウにやってもらったらしいのだが、もう冷めただろう、大丈夫だろうと思って触ったら、案外まだ熱かったということらしい。

セイの少し小さな手を包んで、絆創膏の上に唇を落とす。セイは黙ってされるがままになっていた。
そういえば小さい頃から、セイが転んだりぶつけたりする度にこうしていたなぁと、思い出しながらもう一度唇を押し当てる。

「大丈夫だよ兄ちゃん、もう痛くないから」
恐らく同じことを思い出したのだろうセイに言われて、テーブルの上の紙袋からケーキの箱を取り出した。

男の口でかぶりつけば二口くらいで無くなりそうな小さなガトーショコラが3つ。ひとつはそのまま食べて、2つ目は3分の1くらいのサイズにしてからセイの口に入れてやる。
3つ目は、やっぱりがぶっといってから、そのまま、セイに口移しで少し食べさせた。

「どれも美味しいが、3つ目が一番甘いぞ」
「もう、兄ちゃんの馬鹿!!」
ばしばし二の腕の当たりを叩いてくるが全く痛くない。どころか、どんな形でさえセイに触れられるのが嬉しくてたまらない。

唇の端に着いたチョコを舐めとってやると、ますます赤くなって叩くのをやめ、セイはぎゅうっと背中に腕を回して抱きついてきた。
心配する必要などないくらい、もしかして自分は愛されているのではなかろうか。
だとしたら、なんてつまらない勘違いをしていたのだろう。お陰で何日、セイに触れていない?

「すまない、セイ…。どうやら俺は、勘違いをしていたようだ…」
そもそも土日だったから、スオウのところに泊まりに行ったんだと思っていた。これに関しては、母でさえそう思っていたのだから、もしかしたら自分の言い方が悪かったかもしれないと、セイは肩を落とす。

「…土日というよりは、バレンタインだから、スオウのところに行ったんだと、思ってた」
もしかしたらセイは、本当はスオウの方がいいのかもしれないだなんて、間違いだったとわかっていても口には出したくなくて、曖昧になってしまった言葉に、返ってきた返事は予想外のものだった。

「うん、ごめんなさい。…知ってた」
「…は?」
「水曜日、かな?スクナさんが教えてくれた」

あの野郎!!!!

「誤解は解いたほうがいいのかなって思ったけど、そうしたら、俺が兄ちゃんのためにスオウとガトーショコラ作ろうと思ってるのも言わなきゃならないなって。びっくりさせたかったんだ、ごめんなさい」
ぎゅうっとしがみついてくるセイに、ごめんなさいなんて言われたら。この一週間のもやもやなんて、もう、どうでも良くなっていた。

「…セイ、今日は、一緒に寝ないか?久しぶりに」
「えっ、ええっ!…に、兄ちゃん、俺、まだ風呂入ってない…」
「じゃあ、待ってる」
「ええっ、あ、うぁ、…う、うん。…じゃあ、入ってくる」

耳まで真っ赤に染めたセイが俯いて立ち上がり、ふらふらと部屋を出ていく。
久しぶりにセイを抱けるという喜びと、明日の朝は一緒に迎えるのだという嬉しさが、爆発しそうな勢いで溢れてきた。さっきまでセイの写真を見ながら一人で処理しようとしていたのが嘘みたいだ。

セイが持ってきてくれたケーキの箱と、紙袋をどうやって取っておこうかと思案しながら片付け、カタバは弟が風呂から上がってくるのを待った。

************

2月15日の月曜日。
「スークーナーぁあ、貴様ぁあああああ!!!!」
ニヤニヤしながら『おはよう』と声を掛けてきた同級生に向かって、思い切り怒鳴りつけた。

「あーっはっはっはっっはは、その顔だともらえたんだね、良かったじゃん」
いつかの朝を彷彿とさせるほど、腹を抱えてスクナが笑う。

「お前な!…俺で遊ぶな、俺で!いや、百歩譲って俺はいい、俺は。…あいつを巻き込むな」
「いや、だってさ、あんな訳のわからない勘違いするカタバ君が悪いでしょ?」
どーしてそんなに、自分に自信がないのかなぁ、君は〜?と、変な節を付けて歌うように顔を覗きこんでくるものだから、いつもどおり女達が集まってきて騒いでいる。

「あの子が、君以外の誰かにチョコ渡すとか、冷静に考えて有り得ないと思わない?」
「やかましいわっ!!!」






















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