□title list□
 ※水色部分にカーソルを合わせると
 メニューが出ます

自分がバイトに行く時に、晋助が玄関で見送ってくれるのはいつものことなのだけれど。

浮草の雫


「いってらっしゃい」
「うん、行ってくるぜよ。寝れそうじゃったら寝とくんじゃよ」
「わぁーってるって」
なぜだろう、晋助の表情が、いつもより穏やかで、今日はやけに笑顔のような気がする。

玄関でお気に入りの靴を履いて、一度はドアノブに手をかけた。

「晋助」
「ん?」
振り返って、もう一度抱きしめて、額と頬に唇を押し付けて。

「晋、愛してるぜよ」
「ぶぁーか。早く行かねェと遅刻すんぞ」
その口が、素直じゃないことなんか百も承知。そう憎まれ口を叩きながらも、晋助は抵抗なんかせずに、おとなしく腕の中に収まっていて。

ああ、嫌な予感がするのだ、こんな時は。

「お前、ホントに遅刻するぜ」
動けずにいる自分を諭す晋助の声色はきわめて穏やか。
「…そう、じゃの」
晋助は、大事なことは自分には何も言ってくれない。
言いたくないのだろうと、そして、聞かれたくないが故に、そういう時は機嫌のいいフリをしているのだと、気付いたのはいつのことだったか。

「じゃあ、行ってくるぜよ」
「おう」
後ろ髪を引かれまくる思いで、なんとかマンションを出て駅に向かう。
晋助を怒らせるような心当たりなんて、ありすぎてありすぎて。泣いて怒って殴られて、そんな時の方がまだマシだった。

(女のカンは鋭いちゅーけどのう)
そういう点では、やっぱり晋助は女の子に近いのかもしれないと思いながら、電車に乗り込んだ。

***

辰馬と一緒に住むようになってだいたい半年くらい。辰馬がいらないって言うから、俺は一度も、このマンションの家賃を払ったことがない。
だからその分、洗濯とか掃除とか、できることは俺がやるからって、約束にはなっていたんだけど。

洗濯物として出された辰馬のシャツのポケットに、キャバ嬢の名刺と、サラリーマンの名刺が2枚、入っていた。
ただの名刺なら『お客さんにもらったのかな』で済んだ話なんだけど、名刺には、2枚とも、裏に手書きで電話番号とメールアドレスが書いてあった。
それだけじゃない、タチの悪いことに、サラリーマンの名刺の方には、『〇日21時以降に電話下さい』と、メッセージまで入っていた。

当然、辰馬は電話しただろう。それで、どうなったのかなんて、知らないし、知りたくもない。

だけど。

間違いなくヤったんだろうな。下手すると、こっちのキャバ嬢とも。
辰馬、お前、そんなに俺じゃ不満かよ?

洗濯が終わって、乾燥機にもかけて。リビングに運んでダラダラ畳んでいたら携帯が鳴った。土方だ。
「悪ィ、今から向かうわ」
「OK〜。あ、土方メシは?」
「バイト先で食わしてもらった」
おかげで遅くなっちまったと土方は謝った。

「全然構わねェし。じゃ、マンションの下着いたらまた電話して」

毎週毎週木曜日。この日は絶対辰馬がバイトに行く日で。
俺は、辰馬がいないこの時間を見計らって、沖田や土方に電話をかけていた。11月末からは、沖田が受験で忙しいだろうと、土方にしかかけてないんだけど。

だんだん土方も慣れて来て『また浮気の疑いアリか?』なんて言ってくるようになって。アレコレ聞いてもらっていたら、その月の携帯代が、3万を越えてしまった。

その次の週は、土方の家まで行って、会って話してたんだけど、内緒で相談している以上辰馬が帰ってくる前に帰らなきゃならないってのに、全然起きれない俺に懲りたのか、土方がこっちに来るようになった。

毎週そうやって、土方がうちに来てることなんて、たぶん辰馬は気付いていない。
土方は、俺とはフィルターの色が違う煙草の吸い殻まで、キッチリ下のゴミ捨て場に捨てて帰るからな。
だいたい前日の水曜日は飲み会だから、吸い殻が何種類もごみ箱にあったって、おかしくはないし辰馬は気付かないから大丈夫だって言ってるんだけど、これは土方の性格なんだろう。

洗濯物を畳み終わって、やっぱりダラダラとニュース番組を見ていたら、日付が変わる頃になってようやく土方がマンションにやってきた。
「悪ィな、ご飯食べさせてもらったんだ」
土方のバイトは家庭教師。教えている子は中2だから、受験はまだ来年の話で、それほどピリピリした雰囲気でもないと、だからたまにこんなこともあるのだと、謝りながら土方は慣れた足取りで部屋に入ってくる。

「高杉ィ、お前、またなんかあっただろ?」
ソファに座るなり、お茶を出そうとしてキッチンに向かった俺に、いきなり土方が言った。

「なんでわかンだよ?」
グラスに氷と烏龍茶を注いでやって、俺はリビングに戻る。

「お前がテレビ見てるなんてな、と思って」
煙草に火を点けながら、土方は続けた。

「何にもなけりゃ、お前なら本読んでるんじゃねェかと思って」
活字中毒だろ?なんて土方は笑う。確かにそうかもしれない。本を読もうとしても、辰馬のことばっかり頭に浮かんでしまって、全然進まなくて。仕方なしにニュースを見ていたのは事実だから。本当は、再来週からのテスト勉強でも始めたらいいはずなんだけど。

土方に隠したりしても時間の無駄だから、俺はさっさと、ソファの隣に座って辰馬のシャツから出てきた2枚の名刺を見せた。
裏まできちんと確認して、それからやっぱり土方は、俺が思ったのと、同じことを言った。

「まァ、…ヤったんだろな、坂本なら」
「たぶん、こっちのキャバ嬢ともな」
心当たりはあった。先週土曜日、うちに銀時が来ていた。テスト前に、早めにプリントやノートを貸してやって、それを返すって持ってきて。

その後、結局俺は、翌日まで銀時に古典や歴史を教えてやっていた。源氏物語の話の内容が、全くわかってなかった銀時に、とりあえず読めって言って、俺が寝ている間に『あさきゆめみし』を読ませて、起きてから解説してやった。だからこないだの週末は、2人で俺の部屋に閉じこもって、勉強ばかりしていたんだ。まァ、学生の本分は勉強なんだけど。

あの日、急にバイトに行かなきゃならなくなったと、でも銀時がいるなら、万が一俺がまたうなされても大丈夫だろうと、辰馬はバイトに行ったんだ。

あれが、本当はバイトじゃなかったのかもしれない。

疑ってしまったら、キリがないけれど、だって、あの辰馬のことだから。
「土方…、やっぱ、辰馬は俺じゃ物足りないのかな」
確証がないから確かめられない。だけど、きつく問い詰めて、予想が当たってしまっていたとしたら。それなら、あやふやで知らないまんまの方が、まだマシだ。

マシだとは思っているのだけれど。

「でも、お前と別れて、生きていけねェって泣くのは、むしろ坂本の方じゃねェか」
土方が、慎重に言葉を選んでくれているのがわかる、伝わる。

「俺が…、沖田には恋人がいるって、知ってて会ってたから…、これは罰なんだろうな…」
ごめんな、土方。普通だったら、彼氏の浮気相手の俺なんて、憎まれても仕方ないはずの存在なんだけどな。

「それは関係ねェだろ?俺は、もうお前と総悟のコトは気にしてねェし、忘れたことにしてるし」
「ごめんな、土方」
お前って、ホント、いいヤツだよな。

「あー、もう、泣くなって高杉っ!」
だから、俺はホントに気にしてねェから!と大きな声で言いながら、土方は高杉の頭を胸に引き寄せて抱いてやっていた。

「お前さ、話せる相手、総悟しかいなかったんだろ?誰にも言えなかったんだろ?」
たぶん俺がお前の立場でも同じことするから気にするなって、何度も何度も土方は言ってくれた。

***

とにかく、話せるだけ話して、酒を飲んで。
なんでだろう、聞いてもらえてると思うだけでずいぶん気持ちの方はラクになった。全く何の解決にもなってないんだけど。

正直、土方なら辰馬とは同じ学部だし、俺の知らないところで辰馬を捕まえて『また浮気したんだろう』と、問い詰めかねない性格だけど。それは俺が止めてるせいか、一度もやってないみたいだ。だからきっと、辰馬は俺がこうやって、土方に話していることなんか全然知らないんだ。

軽くシャワーを浴びてベッドに潜り込んだら、隣に横になった土方が、ぎゅうっと抱きしめてくれた。誰かの心臓の音を聞きながら眠るってのは、すごく落ち着くし、変な夢も見ないですむ。たとえ目覚める時には、もう土方は帰ってしまっていないのだとしても。

そういえばだいぶ前、俺はこうやって、沖田にも甘えさせてもらってたんだよな。

そんなことを想い巡らせながら、どれくらい寝たんだろう。
なんだかくすぐったくて、手で払いのけたりしてるんだけど、身体の上を這う指の感触がいつまでもなくならなくて。嫌々、仕方なしに瞼を開いたら、俺に悪戯していたのは辰馬だった。

「…お前、何、してんの?」
俺の言葉には応えず、両腕を上げさせられて部屋着にしていたトレーナーがするっと上から脱がされた。そこでようやく気付いたけど、下はとっくに脱がされていて、俺は全裸にされていた。

「何やってんだ!たつ、っ!!」
首筋に唇を押し当てられて息を飲む。

「つか、テメェ、酒臭ェからっ!」
思い切り辰馬の顔を押し退けたら、力ずくで押さえつけられた。普段の辰馬なら、絶対そんなことしないのに。

「テメェ、酔ってんだろっ!やめろっ!」
叫んで、そこで、俺は気付いたことがあった。

(キス、されてない)
いつもだったら、最中に俺はこんなに喋れてないはずだ。何度も何度もしつこいくらいキスされて、だんだん息が上がってきて、気持ち良くなってくるはずなのに。

(コイツ、まさか酔っ払って誰かと間違えてる?)
きっとそうだ。だってまだ、名前だって呼んでもらえてない。こんな風にコトを進める辰馬なんて、俺は知らない。

軽く舐めただけの指をいきなり後孔に突っ込まれた。

「や、めっ!!」
指1本くらいなら、ローションなしでもたいした痛みではないのだけれど。

「いい加減にしろっ!」
俺は辰馬の腕を掴んで、胸のあたりを思い切り蹴り飛ばした。

「ぐはっ」
吹っ飛んだ辰馬が低く呻いてベッドから落ちる。もしかしたら、頭でも打ったかもしれないとは思ったけど、それよりも、誰かに間違われて抱かれそうになったことの方がショックだった。

辰馬の顔なんてしばらく見たくない。俺は、急いで辰馬が起き上がる前に下着だけを掴んで、自分の部屋に閉じこもって鍵をかけた。
鍵だけじゃ開けられてしまいそうだから、本棚として使っていた3段ボックスを引っ張ってきて扉の前に置く。
いくら酔っ払っていたとしたって、あんなの最低だ。別に、寝込みを襲われるのが嫌だって言ってるわけじゃない。ちゃんと俺だってわかって、いつもみたいに優しく抱いてくれるんなら、全然かまわない。

(辰馬って、俺じゃない人とする時って、あんなんなのかなァ)

自分とする時の辰馬じゃなかった。自分だけ特別扱いされてるみたいで嬉しい半面、今日は誰かとするつもりだったのだろうかとか、酔っ払っていたら俺がわからないのだろうかとか、酔っ払って無意識に求めた相手は自分じゃなかったのかとか、いろいろ考えてしまって、ショックの方が大きすぎた。

(いや、ちょっと待て)
それ以前に、俺は辰馬と付き合ってんだから、同棲までしてんだから、特別扱いされるのは当たり前じゃないのか?
そもそも、俺じゃない奴とヤルこと自体、辰馬は間違ってないか?そして、そんな辰馬の浮気癖に慣れてしまいそうになっている俺がいて、それでも辰馬のことがまだ好きなどうしようもない俺。

(やっぱり、学祭の時に別れた方が良かったのかな)
下着をつけてクローゼットから着替えを出して。時計を確認したらもう朝の9時だった。

(学校なんか行けねェや…)
いっそ、憎いくらい嫌いになれたら楽なんだろう、きっと。
だけど、それすらできない程に、あんな男を好きになってしまった俺が悪いのか。

テスト期間が近づいているから、真面目に学校に来るはずの銀時に今日は行けないとメールを送って、俺は布団を敷いて頭から潜り込んだ。俺がこうやって泣いたって、きっとどうにもならないことなんだけど。


続く






















No reproduction or republication without written permission.