■樹氷 ■蛍火 ■鶺鴒 ■浅葱

 □title list□
 ※水色部分にカーソルを合わせると
 メニューが出ます

szene2-54 彼に愛される20の法則


本当はずっと一緒に居たかった。夏休みの間はずっとくっついていたいくらいだった。

だけど、これ以上一緒にいたら、なんだか余計なことを口走ってしまいそうで、無理矢理離れた。図書館に行きたい、本を読みたい。読書中は呼ばれても返事しないから、なんて無理矢理理由を作ったら、敦史は黙って引いてくれた。やっぱり敦史は優しい、それに比べて僕って最低だと思う。

月末28日の検査。春にこっちにきてすぐ、おじいちゃんが通ってる眼科を紹介してもらって、事情を話して、検査して、次は半年後って言われて。いつかこの目が見えなくなるかもしれないだなんて、まだ敦史には話したくない。一緒に行ったおばあちゃんには、いつも『特殊な難病ってわけじゃないんだし、大丈夫だよ』『40代以上は20人に一人がなるような身近な病気なんだから、覚悟はできてるよ』って、強がってみせてるけど、見えなくなる日のことを考えたら、本当は今からもう、怖い。

特別読みたい本なんてなかったけど、夕方くらいまでは図書館にいないと辻褄が合わないから僕は、適当に館内をうろついていた。そして、たまたま迷い込んでしまったのが、恋愛関係の本ばっかり置いてあるようなコーナー。こんな本が大学の図書館にある意味は果たしてあるのかって、しばらく悩んだけど、よくよく見たら、そのあたりは全部、心理学のコーナーだった。

心理学と精神疾患とか、そういう関係ばかり。心理学とか、カウンセリングだと文学部の範疇だけど、精神疾患って言うと医学部の分野になるんだなんて、どうでもいいことに今更気づいたりした。

変な納得をしながら、そのコーナーをぐるっと回って。周りに誰もいないのを確認してから、1冊本を手にとった。要するにハウツー本ってやつ。これが学術的に役に立つのかどうか僕にはわからないけど、とにかくこんなの読んでるとか、なんでも話せるはずのむね君でも知られたくない。自分の中の乙女思考に嫌気がさしながら、どこか人気のないところで読もうと思った。多分、言語学の辞書コーナーなら人は少ない気がする。

どうせ誰も知り合いなんていないだろうけど、それでもなんだか気になって、こそこそ隠れるように2階へ向かって、一番奥の辞書コーナーへ向かおうと思った。その時。
突然後ろから、肩を叩かれた。

「やっぱり郁彦だ!久し振りだねー、なにやってんの?」
「ふ、ふ、ふふ、深谷!?」
絶対知り合いなんていないだろうと思っていたけれどそれでも念には念を入れて用心していたというのに、最悪だ。泣きたい。

「…郁彦ぉ、敦史と喧嘩でもしたの?なんか悩んでるなら聞くけど?」
深谷の視線は、明らかに僕が抱えてる恋愛ハウツー本に向けられている。もう嫌だ、穴があったら入りたい。

「ふ、ふふ、深谷こそ、なんで、こんな、とこに!?」
「俺ー?バイトのネタ仕入れにきたー」

深谷は、家庭教師をしている子に話す雑学のネタを仕入れに来たらしい。なるべく勉強に興味を持ってもらえるように、いつもなにかちょっとした小ネタを話すんだって。教えてる子の1人が、英語嫌いな中学1年生で、例えば英語の『I love you.』と、ドイツ語の『Ich liebe dich.』は構造が似てるでしょとか、そういう簡単な話らしいけど。

「郁彦、こんなとこで立ち話もなんだから、食堂、行こっか」
「う、うん…」

なんだか押し切られたみたいな形になって、僕は一旦、恋愛ハウツー本を返却した。深谷は、貸し出ししてもらえばいいのにって言うけど、あんなの持って帰って万が一家族に見られでもしたら、大騒ぎになるのが目に見えている。

なんだか腑に落ちない表情の深谷に連れられて向かったのは、いつもの慣れた医学部棟の食堂じゃなくて、文系学部棟の食堂。こっちにはカフェがあるだなんて、僕は今まで知らなかった。

「さて、ここのコーヒーは、コーヒー好きの郁彦の口に会うのかな?」
「うん。100円なら上出来だよ」
「100円の割にはちゃんと、コービーの香りも味もするよね」
いつもは学生でごった返しているというカフェも、夏休みで、しかも中途半端な時間だけあって、ほとんど人はいなかった。

3週間も実家に帰っていた割に、深谷は特に、地元でなにもしていなかったらしい。
時々地元の友達と遊びに行ったり、母親と2人で食事に行くくらいで、あとはとにかく、なにもぜずにのんびりしてきたそうだ。

「昼まで寝ようとか思っても起きちゃうんだよねー、俺ってマジ、貧乏性だと思ったわー」
「僕も起きちゃうよ。十時間以上とか寝れるのって、才能なのかなって思う」

日付が変わる前には寝るようにしているらしいまさ君だけど、放っておくと昼過ぎから夕方まで起きてこない。まさ君が高校の時、いつまで起きてこないか実験しようって叔父さんが言い出して、修学旅行の振替休日期間、誰も起こさずにいたら、2日くらい本当に起きてこなくて、死んでるんじゃないかって心配したくらいらしい。

「様子見に行くと、ちゃんと寝返り打ってるし、息もしてるしーとかって話」
「すっげー。佐々木さんやっぱり大物だなー。つか、そんな2日も寝てて、お腹空かないのかな?」
「起きた後は食べ放題連れてったらしいよ」

「やっぱりそうかー、だよなー」
「どれくらい食べたんだろうね」
おばあちゃんが温泉行っちゃっていなくて、おじいちゃんも叔父さんも仕事が遅かったこないだの夜、3人で食べ放題に行ったけど、確実にまさ君1人で3人分のモトは取ってたと思う。

「俺なら腹減って起きちゃうしー」
「敦史もお腹すいたーって起きるよ」
「あいつは俺以上にエンジンでかいからねー」

僕が目覚めて、敦史が隣にいない時は大抵、カップラーメンか、カップ焼きそばの匂いがしてる。僕が起きてることに気づくと、いつも食べるか?って聞いてくれるけど、僕は残念ながら起きてすぐは食べられない。起きてから2時間くらいは空けないと、お腹の調子が悪くなっちゃうんだ。

「腹減って朝から起きちゃうおかげでさ、毎日近所の小学校のラジオ体操行って、おじいちゃんおばあちゃんと仲良くなっちゃったよ」
「深谷それ、なにもしてなかったって言わないよ」
近所のおじいちゃんおばあちゃんと仲良くなれるだなんて、医学生の鏡じゃないか。

「そう?でもじーちゃんばーちゃんって、喋ってあげるとすんごく元気になるよねー」
次は冬に帰ってくるからそれまで元気でねって言って、別れてきたらしい。

「年取ると朝が早くなるっていうけどさ、低血圧の人ってどうなんだろうね」
「そー言えばそうだよね。…ウチの家族みんな低血圧だけど、まさ君以外は、目的があると根性だけで起きるから、よくわかんないや」

寝起きが悪いと言えば、まさ君が天下一品だけど、実は僕やむね君も含めて、佐々木家は全員血圧が低くて朝に弱い。僕らは、暴れたり怒鳴ったりはしないけれど、朝は頭が働いていない。朝食は、それぞれ自分で作って食べる決まりになっているのはそのせいだ。

弱い朝に対する対処方法は人それぞれで、たとえば叔父さんは、朝の5時頃家を出て行くけれど、これは寝ぼけた頭で満員電車に遭遇するのを極力避けるためと、会社の近くでモーニングを食べて、ちゃんと目覚めてから出勤するためらしい。

おじいちゃんは起きたらまず最初に絶対にお風呂に入るし、僕とむね君は、目覚めてから2時間くらい部屋でなにもせずにボーっとしてる。敦史のところに泊まっても、起きてるんだか寝ぼけてるんだかわからない時間があるから、敦史は気づいてると思う。根性だけで起きる一番は、24時間入浴可能の温泉に行ったときのおばあちゃんで、温泉のために2、3時間おきに、ホントに起きる。

「あ、そういえば僕、免許、取れたよ」
お互いの近況報告と言えば重要なことを忘れてた。

「ホントー?おめでとうー!頑張ったねー!敦史にお祝いしてもらったー?」
「あ、うん!すごいよ、敦史、手料理作ってくれた!」
「まーじー!?あの敦史がー?超レアじゃん、やっべぇ、敦史って、ほんっとに郁彦のこと好きだよね」
「う、うん…」

敦史はこんなに僕のこと思ってくれてるのに、僕はなんなんだろう。最低。
「ねー、郁彦ぉ」

一瞬忘れていた、いろんなことが一気に頭に戻ってきて、自己嫌悪に陥って、背中を丸めて黙ってテーブルを見つめていたら、深谷がテーブルに顎をつけて、下から覗きこんできた。
「さっきも言ったけど、なんかあったんなら、聞くよ?」
「べ、別に、なにも…」
「なんにもない顔してないよ?」

そう言われると困ってしまう。でも、実際に喧嘩とかしたわけでもなかったから、こんなことがあったとかって、簡単に一言で言えるわけでもない。

「…あ、敢えて、言うなら、どうして自分って、こんな嫌なやつで、最低なやつなんだろうって、すっごく、思う」
やっと、それだけ告げた僕の目の前で、深谷の眉間に、一瞬シワが寄った。

「俺はそうは、思わないけどなぁ。郁彦好きだし。…あ、友達としてって意味ね!敦史のライバルになるのはゴメンだよ!」
「…あ、ありが、とう。でも、僕は、自分が、嫌いだ」
深谷も変だよね。僕なんかのどこがいいんだろう。最初は『一緒に勉強しよう』とか言ってたから、それ目的かと思ったけど、試験期間、結局一度も一緒には勉強しなかったし。

「ねー郁彦。欠点のない人間なんていないと思わないー?」
上体を起こしながら深谷が明るく言った。

「え?」
「いいとこだらけの人間なんているわけないじゃん。だから、欠点を理解した上でどこまで付き合えるかって話なんじゃない?友達にしろ、恋人にしろ」
「そ、そうかな?」
顔を上げると、深谷は柔らかく微笑んでいた。初めて会って話した時に、優しそうって感じたあの表情だ。

「俺から見た郁彦の欠点はー、そうやって一人でなんでも抱え込んじゃうところだよね。もっと俺ら頼ってくれればいいのにって思うけど、そんなのいきなりできるわけないからさ、気にしなくてもいいんだけど、それでも、俺がそういうふうに思ってるってのだけは知っといてよ」

特に敦史なんか、本当はもっと甘えられたくて、両手広げて待ってんだから、甘えてやればいいんだよって深谷は笑った。
「そ、そうなのかな?な、なんか、敦史は、深谷にご飯作ってもらったり、なんか、どっちかって言うと甘えたい方に見えるけど…」

言いながらだんだんへこんでくる。わかってて、敦史を甘えさせてあげられないのは僕だ。だから、浮気されたんだ、きっと。でも、そんなの深谷には言えない。だいたい、浮気されたかどうかだって、ちゃんと敦史に確かめたわけじゃない。今のところまだグレー。真っ黒になるのが、怖くて問いただせない僕は臆病者。

「あいつ両方あんだよ、きっと。いや、普通の人は両方あるんじゃないのかな?相手によって使い分けるっていうかさ」
「そ、そういう、もの、かな?」
自分に照らしあわせて考えてみたけれど、さっぱりわからない。

「ま、計算して相手によって態度変えるようなヤツじゃないとは思うけど、自然に変わっちゃうっていうのはきっとあるよねー。だってさー、敦史ってなんでも超テキトーじゃん?大勢に影響がなければ細かいところは、たとえそれが規則だろうとなんだろうとどーでもいいタイプでしょ?なーんて、偉そうなこと語ってる俺の欠点はものすごく流されやすいところなんだけどさ」

「流されやすい…の?」
腕を組んで神妙な表情になった深谷が頷いた。

「そうなんだよねー。頭ではわかってるんだけどさ、『ま、なんとかなるかな』とか思っちゃうんだよねー。いっつも後悔するくせにさー」
4月に知り合ってから、ずっと、毎日一緒にいたはずなのに、それは初めて見る深谷の姿だった。

「でもなんか、むしろ安心したなー。俺もそんなに恋愛経験あるわけじゃないけどさ、付き合い始めって、相手のいいとこしか見えないじゃん?それが、郁彦は敦史の悪いとこが見えるようになってきたってことなんでしょ?いいじゃん、2人の仲が深まって一歩距離が近づいたんじゃないの?」

「え…っ?そ、そういう、もの、なの?」
敦史の前には、お兄ちゃんしか知らない僕には難しい話だった。確かに深谷の言うとおり、いいところだらけの人間なんていないかもしれない。悪いところだらけの人間なら、ここに僕がいるけれど。

だけど、ちょっと待って。

「いや、でも、僕、別に、敦史の、悪いとこが見えて困ってるとか、嫌いになったとか、そういうのじゃないんだけど…」
むしろ、嫌いなのは自分自身だ。こんなに深谷にまで気を遣わせて。そもそも深谷はノンケなんだから、僕と敦史が付き合ってることに対したって、『気持ち悪い』って思われても仕方ないくらいなのに。

「そんなの知ってるけど?嫌いな人とまで付き合えるほど、郁彦って器用な人間じゃないでしょ?これだけ敦史敦史って言うんだから、大好きなんでしょ?」
「えっ、ちょ、そんな…」

そのとおりかもしれなけど、なんか、そういう言われ方すると、恥ずかしい。顔が、熱い。
「郁彦もっと自分に自信持ちなよー。難しく考え過ぎじゃない?敦史みたいに、細かいところはテキトーでいいんだって。あー、でもあそこまでテキトーになられちゃうと、俺が大変だから、あそこまで真似しなくていいけど」
「深谷が大変って、なにが?」

正直、僕はそんなに、敦史のこと、テキトーな人間だなんて思ってないし、困ってもいないわけで、付き合ってるはずの僕が困ってないのに深谷が困るっていうのに、なんだか腑に落ちないものは感じる。

「えー?だってさー、心臓に悪いじゃーん?あいつ、2万もするようなシャツ色落ちさせるとか有り得なくなーい?お前2万で米何キロ買えると思ってんの?って言ってやったけどー」
そういうことだったんだと、安心すると同時に、『米』っていうのがあまりにも深谷らしくて、思わず僕も笑みが零れた。

「多分敦史は、俺には隠し事しないと思う。でもそれは、敦史が郁彦より俺の方が大事とかそういうことじゃなくて、好きだからこそ言えないことってあるんじゃないかと思うんだよね。だってほら、好きな子の前ではカッコつけたいじゃん?だから、言うなれば俺と敦史の間に恋愛感情なんて、将来に渡っても絶対に存在しないからこそ、遠慮なく言いたいこと言い合ってる感じ?だから、もし郁彦が、そんな心配してるんだとしたら、それは無用ですよって言いたい」

「あ、ありがとう」
わざわざ改めて深谷に話してもらわなくてもそんなこと、頭ではわかってたはずだった。深谷と敦史が2人でご飯を食べてると、ずっとひたすら喋ってる。食べながらずっと。例えば僕がこないだまで知らなかった、深谷にはお父さんがいないなんて話は、そういう時に出てくるらしいってことも僕は知ってる。

わかってるのに、なんだか面白くなくて、しかも、自分は話すのが苦手で敦史と一緒にいてもほとんど無口とか、本当に自分が嫌になる。
敦史と一番話してるのは僕、敦史のこと一番知ってるのは僕…って、胸を張って言えたら、こんなに深谷に気を遣わせることもないだろうなと思いながら、僕はコーヒーを口に運んだ。

「…敦史も言ってたような気がする。『トシと四六時中一緒にいたら、そのうち殴り合いの喧嘩する』って」
そんな話になったのはいつだっただろう。多分、まだ僕と敦史が付き合う前だと思う。
「あー、絶対するよねー。それも、ご飯の時間が合わないからなんとかしろとか、そういうくだらないことでやりそう」
僕と敦史は今のところ喧嘩になったことはない。それは単に、僕が言いたいことを言わないからで、多分敦史も、僕には全部を言っていないだろう。

「ご飯で思い出したけど深谷、お中元置いてあるよ?取りに来る?」
「マジでいいのー?ありがとー!実は俺、今朝帰ってきたんだよねー!だからさ、今日は冷蔵庫空っぽだしさー、夏休みでご飯出ないしさー、明日からびっちりバイトだから買い物行かなきゃなーとか思ってたんだよねー!」
「今日バイトないなら、ご飯も食べて行きなよ!ちょっと僕、おばあちゃんに電話するね」

むね君に高校の教科書をたくさんくれたお礼だって話せば、今からだなんて突然さでもすぐにOKは出ると思った。よっぽどのことがない限り駄目とは言わない家ではあるんだけど。
「あれ…?敦史から、メール来てた」

図書館に入った時からずっとマナーモードにしっぱなしだった携帯を鞄から取り出してようやく、僕は携帯のランプが点灯していたことに気づいた。

「なんてー?」
「今日遊びに行っていい?って…」
「郁彦がいいんなら、俺も久しぶりに敦史に会いたいなー」
「う、うん。わかった、じゃあ来てって、返信するね」

敦史に返信した後、おばあちゃんに電話したら、出張の代休をもらって、家でおばあちゃんとテレビを見ていた叔父さんが、買い物に行く準備を始めたそうだ。深谷と敦史が来るって聞いて、嬉しそうにリビングから出ていったって、たった今。

「マジで?こんな平日なのに、おじさんなんか作ってくれんの?」
「そうみたい。良かったね、いっぱい食べてってよ」
僕と深谷は、紙コップを片付けて、地下鉄の駅を目指した。






















No reproduction or republication without written permission.