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szene2-049 てのひら


結局、敦史の両親が突然やってきたわけは、北海道で行われた学会に出席していた敦史のお父さんが、最終の飛行機で帰ってきた後、乗り換えを間違えたことに端を発するらしい。

翌日、夫婦2人で休みを合わせていて、そんなことって年に5回あるかないかで、ゆっくりしようって話してたのに、ついつい疲れていていつもどおり無意識のまま大学に到着してしまったおじさんは、到着してからようやく間違いに気づいて、慌てておばさんに電話をしたらしい。

ほぼ、終電に間に合わない時間になっていて、そこで、そのままタクシーを使って世田谷の家まで帰るより、大学からたったひと駅先に住んでいる息子のところに行こうかという話になったそうだ。敦史の携帯には、『今からそっち行くね』というメールが入ってきていた。敦史も僕も、気づかず寝てしまっていたけれど。もちろん、Tシャツと下着って姿で、抱き合って寝てた姿はバッチリ見られたらしい。裸じゃなくて良かったってのが唯一の救いかな。

「そう言えば敦史、こないだこっそり帰ってきてたでしょ?」
「あ、うん。お中元もらいに行った」
さっき話にも出た深谷なんだけどさーウチの大学にあるまじき苦学生よーって、おばさんが取ってくれた寿司を食べながら敦史が話す。
喋っているのは敦史ばっかりで、僕があまりに無口なことにおじさんもおばさんも心配してたけど、いつもこうなんですって言ったら、それ以上はなにも言われなかった。

「吉川くんは実家帰らないのかい?確か名古屋だったよな?」
「あ、はい、僕は、帰る予定はないです」
今の僕にとって、『家』とは、佐々木家のことであって、実家なんてものはもはや存在しないに等しいけれど、敦史にもまだ話していないそんなことを、ここで言うのも変な気がした。

「じゃあ吉川くん、今度敦史と一緒に遊びにいらっしゃい」
「そうだな。あ、敦史!深谷くんも連れてきなさい」
「気が向いたらなー」
「なんでよー!」

「だって、2人共、ほとんど家になんかいねーじゃん!」
それもそうだって、敦史の両親が笑った。ほとんど家にいないとか言っておきながら、笑顔が絶えない家だなと思った。敦史は1人でここに住んでいるから、3人揃うのは久しぶりだろうに。なんか、僕がこの場にいるのが申し訳ない気すらするっていうのに。

結局、夕方近くまで敦史の両親はいて、白い恋人とじゃがポックルを置いて帰っていった。『深谷君と3人で分けなさい』って言い残して。
帰りは、敦史のマンションまでベンツがお迎えに来た。おじさんは羽田から地下鉄だったけど、おばさんは来る時もベンツだったらしい。
このマンション、分譲だから、敦史の部屋の分の、駐車スペースはあるらしいんだけど。…って、あのくらい偉くなると自分では運転しないものなのかな…?

「やっと帰ったー!ごめんなぁ郁彦!騒々しくて疲れただろー?」
部屋に戻ってくるなり、言いながら敦史はジャージを脱いでベッドに倒れこんだ。
「いや、そんなことはないんだけど。…僕、敦史の両親の公認になっちゃったけど…なんか、いろいろごめんね」
「ごめんってなにがー?」
僕は自分の親に敦史を恋人だって言って紹介できないからだって話したら、『ちょっとおいで』って手招きされて、そのまま抱きしめられた。

「あんな変な親、そうそういないから。気にしなくていいって」
「変だとは思わなかったよ?」
ただ、羨ましいとは思ったけれど。

「変だって、十分。だいたいよー郁彦、うちのおふくろ、いくつだと思った?」
「えっ?いや、あの、凄く若いなって…。30代前半にも見えなくないけどって、思ったけど、あり得ないよね…」
やっぱりエステの仕事してるから若く見えるんだなって思ったんだけど、違うのかな?
「おう、それはさすがに喜ぶな。まーでも、ほとんど当たり。おふくろ、今年37。義理とかじゃないぜ、ちゃんと、あの人が俺産んだ人」

「さ、さんじゅう、なな?」
ってことは、敦史はもう誕生日来てて19歳だから、逆算して…。うちのおばーちゃんといい勝負じゃないか。
「お、おじさん、は?」

教授ならそれなりの、見た目通りの年齢のはずなんだけど。佐々木の叔父さんより多分一回りくらい上。
「親父?今年55。あ、だからさ、俺達大学残って外科に行ったって、親父入れ替わりで定年だから変な心配しなくていーからな」

確かにそうなる。でも、名誉教授になって大学に残る先生もいるから、完全に会わないってことはないと思うけど。おじさんのあの調子だと、絶対残りそうだし。って言うか、おじさんいてくれた方がいいんじゃないの?コネとかさ、そういう問題としては。

「は、はぁ。……随分歳の差夫婦なんだね」
「うん。…ま、郁彦なら言っちゃってもいっか。おふくろさー、愛人なんだよなー。愛人つうか、不倫っつーか。まー、今は、あの2人が結婚したから俺も笠原なんだけどさー」
「え…っ?」
なんか、とんでもないことを聞いてしまったような気がする。いつも明るくて笑ってる敦史に、そんな出生の秘密があっただなんて!

「俺10歳まで札幌って言ったじゃん?札幌にいるときは俺、西村君だったからなー」
なんて言ったらいいのかわからなかった。気の利いた言葉が出てくる僕じゃない。
「だからな、俺な、おふくろと2つしか年齢の変わんねー腹違いのねーちゃんがいるんだわ。数えるくらいしか会ったことねーけど」

敦史は笑いながら話すけど、笑い事じゃないよね、こんなの。なんだか、僕の家もいろいろあったけど、敦史のところに比べたら、全然軽い気がしてきた。だって、『単身赴任』とは名ばかりで、実は両親別居してますってくらいだから、うち。あとは、僕が虐待されてたくらいのものだ。別に父親に他に女がいるとか、聞いたことないし。僕が知らないだけって可能性も否めないけど。

「つーかよ、自分の娘と2つしか違わないとかさ、親父尊敬するわ、マジで。おふくろはおふくろで、親父からもらった金で商売始めたら大当たりとか、俺が言うのもなんだけどあの親、すげーわ、マジで」
「敦史にもちゃんと、すごいところは遺伝してるんじゃないの?」
なんとなく、敦史がなんでも器用にこなせる理由がわかった気がした。あの両親から、いっぱい、いいところもらったんだと思う。

「そうかぁ?…なんかさ、親父と最初の嫁のところには女の子しか生まれなくてー、諦めて婿養子でももらうかーとか言ってたところにポロっと俺が生まれてー、男の子だぁーっ!って、親父すんげー喜んだらしいんだけどさー」
腹違いのお姉さんには妹がいるらしいけど、敦史は会ったことはないそうだ。敦史のお父さんは、男の子が欲しかったのかな。うちの母親は女の子しかいらなかったみたいだけど。人それぞれだよね。

「でもさ、その後おふくろは実家帰っちゃってほとんど俺と会えなくてーって、悪いのは完全に親父なんだけどさ。ようやくいろいろクリアして、俺達呼び寄せて結婚して、次は笠原家の跡継ぎだー!って期待してたみたいなんだけど、残念ながら俺は女ダメでした、みたいな。ま、親父は息子と酒を飲みたかったみたいだから、それは叶えてあげられるだろうけど」

敦史はニコニコしたまま表情を崩さないけど、そこにたどり着くまではきっといろいろ大変だったと思う。だって、女が駄目だとか、オープンな時代になってきたとは言え、そう簡単に受け入れられるものじゃないだろうし。跡継ぎを期待されていたなら尚更。そういう時期を全て乗り越えて、今のあの、家族3人の笑顔があるんだと思う。

「あ、あのね、僕ね、僕はね」
「郁彦。…無理して話してくれなくていいよ?」
敦史のことばっかり聞いてしまって悪いと思ったのに、せっかく決心がつきそうだったのに遮られた。

「俺な、宗則にな、『郁彦の親って、一切話に出てこないけど、どんな人?』って聞いたことあんだよな」
「え?そうだったの?」
敦史は無言のまま頷いた。さっきまでの笑顔はない。

「そしたらさ、宗則がさ、『ふみ兄が言いたくないことは僕も言いたくない。でも、うちのとーさんとふみ兄のお母さんは、実の姉弟だけど、すっごく仲悪いんだよ』とかって、それだけ教えてくれたわけよ。だから俺、郁彦が話したくなるまで聞かない」
「ごめんね、敦史…」

むね君そんなこと言ってたんだ。それまでずっと、我慢できていたのに、2人きりになった安心感からか、僕の瞳からは簡単に涙が溢れていた。
「だいたい、なんもなかったら、トシみたいに実家帰りたがるのが普通かなーとか思ったしなー」
「ご、めんね、敦史…」

「なんで謝んの?…宗則はさー、くっそ生意気だけどあいつ馬鹿じゃないからさ、あんな言い方するってことは郁彦んちもなんかあるんだろ?…いや、俺んちもなんかあるうちに入るかもしれねーけど、俺んちのなんて全然。親父とおふくろは仲いいし、見ての通り俺は溺愛されてるし、問題あるうちに入らねーって俺は思ってっからさ。だから、謝らなくていいよ」

僕が泣き止むまでずっと、そうやって敦史は僕を抱いててくれて。敦史がそんなことまで考えててくれただなんて、僕は全然知らなかった。

「トシんちは親父さんいないらしーし、宗則はお母さんいねーし。どこの家だってなんかかんかあるもんなんだよな」
「うん、そうだよね。…でも僕は、両親2人とも、いるよ?父親に、何年会ってないか、覚えてないけど。あ、でも、大学行くって、医学部行くって。東京の叔父さんのところに住むって、電話はした」
「話したくなってからでいいんだぜ、郁彦」

僕の頬にあてて涙を拭ってくれた敦史の優しい手に、僕も手のひらを重ねた。僕も、敦史の半分でもいいから、ちゃんと気を遣える人間になりたいと思った。せめて自分の好きな人のことくらい、考えてあげられる人になりたいと思った。

「なー郁彦。…一個お願いして、いい?」
「…?なに?」
「髪の毛、ずっと今くらいの長さがいい」
「へ?」
そろそろ眉毛が隠れる長さになってきたから切らなきゃと思っていたのに。

「邪魔だから短い方がいいってんなら、無理にとは言わないけど。郁彦の髪好き。触りたい」
「あ、敦史の方が真っ直ぐでキレイじゃん」
「自分の髪の毛触ってもしょーがねーだろー」
「う、うん」
そんなことでいいなら、敦史の願いくらい叶えてあげようと思う。僕にできることだから。

「なぁ、郁彦。えっちしよ?」
「…もうっ!すぐそれっ!?」
「だめ?親公認だぜ、俺たち」
「そうかもしれないけどー!」

こんなにえっちばっかりしてて、飽きられたらどうしようとか、思わなくもないんだけど。僕が敦史に飽きるようなことはないと思うけど、その逆はわからない。ただでさえ僕なんて、つまらない人間なのに。あ、だから敦史浮気するのかな?…なんて、聞けるわけがない。あの排水口の金髪、おばさんじゃなかったよね、誰か違う人のだよね。おばさんも茶色く染めてたけど、落ちてた髪ほど明るくなかった。

「…したくないなら、いいんだけど。そういう気分?ま、色々一気にありすぎたよな、ごめん。俺も急にいろんなこと話したし」
「したくないわけじゃないんだけど…」
どうして敦史はこんなに優しいんだろう。僕が逆の立場なら、『何考えてるかわかんないヤツ』って、とっくに愛想尽かしてる気がする。頭の中でぐちゃぐちゃ考えてることの、せめて半分でも口に出せていれば、違うけれど、なんて言ったらいいかわかんないし。

「なんかいっぱい言ったけど、俺、郁彦のこと愛してるから。それだけは自信持って言えるから、な?」
「あつ、し…」
泣きたくなる。どうして僕なんだろ。もっといい男なんかいっぱいいるのに。

「えーっ、ちょ、嫌だったー?でもー、嫌とか言われても無理ー!俺、郁彦以外はみんな一緒に見えんもんー!やめてー、なんでも直すからー、郁彦俺を嫌いにならないでーっ!」
「な、何言ってん、の!」
嫌いになんかならない、絶対なれないって、ようやくそれだけ言ったら、敦史は一瞬驚いて、それからすごく嬉しそうに笑った。

「俺も絶対ならねーから。死ぬまで一緒にいよーな!」
「あ、敦史の、ばかっ!」
「なんでー!たとえ地方に飛ばされる日が来ても絶対一緒に行くからな、離島でもどこでも!いや、待てよ、郁彦なら優秀だから海外に行ってこいとかの方が有り得るかなー、いやー、俺も一緒に行くんだからー!」
「そんな先のこと、わかんないよー」

ベッドの上で、敦史に抱き着いてわんわん泣いたら、何故だか涙が敦史にもうつった。『なんで敦史まで泣いてんの』って聞いたら、『俺、郁彦好きになって良かった!』とか言われて、ますます涙が止まらなくなった。

結局僕は、泣き止みかけたところでキスされて、そのままひっくり返されて、脱がされた後、昨夜の分までしてしまった。

「あつ、しっ、ぁアっ、敦史、好き、ゃっ、んあっ、ふ、あっ、あっ、あぁっ!!」
「郁彦ん中気持ちよすぎてどーにかなりそう!!」
どーにかなりそうとか、大袈裟だと思う。
でも、そう言ってもらえるうちは、甘えていよう。

おばあちゃんから、『今日も帰らないの?』って、心配の電話が入ったから、翌日は家に帰った。入れ替わるようにおばあちゃんは博多に出発して、出張に行っていた叔父さんがようやく帰ってきた。

深谷から、むね君にあげる約束だった高校の教科書がけっこう重たいから送ってもいいかって電話が来て、敦史のお父さんがうちの大学病院の先生だったことを話したら、やっぱりすっごく驚いてた。

『なに、もしかして、敦史と友だちでいれば俺にもコネがあるってやつ?神様仏様笠原様ー!』
「それはわかんないけど…。あ、でも、敦史のお父さん、深谷のこと知ってたよ?特待生はチェックしてるみたい」
『マジかー!!俺一生敦史についていくわ!』

ちょっと、深谷!…って思ったけど、深谷が言ってるのは、そういう恋愛的な意味じゃないよね、あくまでも仕事とか、友達としてって意味だよね。なんかそういう言い方駄目!とか言いたかったけど、上手く説明できそうになくて、結局言えなかった。

「そんなこと言ってたら、地元帰れなくなるよ?大学に残って欲しそうな話してたし」
『うお、それは困る!どうしよう!郁彦、なんかいい案ない?』
「そんなの僕にはわかんないよー」
久しぶりに少し話して、結局教科書は、箱詰めして、着払いで送ってもらうことになった。

ようやく熱が下がって、お盆明けに退院が決まったむね君を見舞って、『敦史のお父さんのこと教えてくれれば良かったのに』って話したら、『笠原先生に会ったのー?つーかー、僕のせいじゃないよー、敦史が言うなって言ったんだよー!』って返ってきた。

敦史は、『ネタ扱いすんじゃねーとは言ったけど、郁彦に話すなとは言ってねぇ』って。どっちかわかんないけど、どっちにしろ、けっこう前の話で、2人とも記憶が曖昧になっているみたいだ。

僕と敦史のドライブデートは、お盆明けになりそうだった。






















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