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szene2-22 澄み切った空 初夏の風 瞳に涙


郁彦が落ち込んでた理由は、自動車学校の仮免許の試験に落ちたからだったらしい。
梅雨の合間の晴天に恵まれたこの日、『オートマ専用に切り替えるから、多分もう大丈夫だと思う、心配してくれてありがとう』って、昨日までとは別人みたいに明るい顔で郁彦は学校に来た。
…まぶた、めちゃくちゃ腫れてるけどね。

「今日、顔腫れてるから、あんまり見ないで」
郁彦が嫌がるから、俺はなるべく見ないようにしてたけど、敦史はそれができなかったみたいだ。

「もう、見ないでって言ってるでしょ!」
「ご、ごごごごごごごごごめんなさいっ」
お前、惚れた相手怒らせて何やってんの?って思ったら、あの顔見たら頭撫でてちゅーしたくなってどーしようもなかった、だって。
付き合うことになってから、好きなだけやればいーじゃないのよ。

「笠原」
「はいぃっ!!」
敦史、お前、変に意識しすぎ。
4限が終わった後の5階廊下には、今は俺達しかいない。郁彦の瞼の腫れは、だいぶ治まってきていた。

「むね君から聞いたんだけど…。なんか、色々、心配してくれてありがとう」
「いや、あの、その…」
「でも、ほんと。…あの、困るから、やめてくれないかな?」
あ、フラれた。
ピシッって、ヒビが入ったみたいな音が聞こえた気がして、敦史は固まってる。

「どうしたらいいか、わからなくなるんだ…」
「甘えときゃいーんじゃないの?」
面白いから、敦史をつついてみるけど、微動だにしなかった。石化してんじゃねぇ?メドゥーサでも出たか?

「だって、見返りとか求めて心配してるんじゃないよ、敦史」
「そう、かも、しれないけど…。こういうの、慣れてないから…」
「じゃあ、これから慣れたら?」
「…でも」

俯いて、なんだか小さくなったように見える郁彦の肩をぎゅうっと抱いて、頭を撫でてやった。敦史、お前朝から、これがしたかったんだろ?

「ちょ、トシっ、お前ーっ!!!」
敦史が我に返って、僕の背中をがんがん殴ってくるけど遅い。郁彦は、一瞬驚いたように固まったけど、俺の腰に腕を回して肩に顔を埋めて泣き出しちゃったんだ。
俺も正直、ここで泣かれるとは思わなかったんだけど、郁彦はなんか、いろいろ我慢してるんだろうなーと思った。

とりあえずお前の身長じゃ、こうはいかないんだから今は諦めなさい、敦史。
泣き止むまでしばらくそうしていようと思ったら、郁彦の背中に敦史が抱きついた。そう来たか、お前、郁彦に関わることはメゲないねー。

「俺も泣きたい!」
「よしよし、敦史」
手を伸ばして敦史の頭も撫でてやった。
きーって睨まれたのはなんでだろう。撫でてやったのに、酷いなあ。

どうせこんな時間、部活でもしてなきゃ学生はほとんど校内に用なんてないから、しばらくそのままでいた。
郁彦が長袖Tシャツの袖で、目をごしごし擦りながら顔を上げる頃には、前後から挟まれて抱きつかれていたせいで、汗びっしょりになっていた。
ハンカチを渡してやると遠慮されたけど、『いいから汗と涙拭きなさい』って言いながら、頬の雫を拭ってやったら、素直に頷いた。

「おーい、敦史ー、いつまでくっついてんだー?」
敦史は、まだ郁彦の背中に抱きついたまんまだった。

「笠原、あの、ありがとう。なんか、そんなことされたの、初めてだから、…ちょっと、嬉しかった」
俺だったらウザいって思うとこなんだけど、郁彦は嬉しかったらしい。もしかして、付き合ってない相手でも抱きついたりとか平気なんじゃないの?郁彦。多分男限定なんだろうけど。
もちろん、郁彦の言葉で敦史は復活した。

「お、俺もっ!!」
顔を上げた敦史の目尻が濡れている。あれ?もしかしてお前、本気で泣いたの?

「あ、あ、違う」
持ってたハンカチを差し出そうとして、それが俺のだって気がついた郁彦は、慌てて鞄の中から自分のハンカチを出して敦史に渡した。
「はい、笠原」

「郁彦…っ!」
ハンカチを渡された郁彦の手を握ったまま、また、敦史の目が潤んでるけど、あれはいつも通りだな、嬉しいだけだ。敦史復活したか。

「あの、深谷。これ、洗ってから、返すから」
「あ、そう?いーよ、別に?」
「そういうわけには、いかないよ」
「郁彦、俺もこれ、洗ってから返すから!」

お前が自分で洗濯すんのか?って思ったけど、ハンカチ1枚ならお風呂でも洗えるか。
ようやく、3人揃って階段へ向かって、帰ろうって言って歩き始めた。
6月末の今、外はまだまだ明るくて、走ってる体育会系の部活の声が遠くから聞こえている。

「あ、ちょっと、あの子可愛い」
3階から2階へ降りている最中に、窓からテニスコートが見えた。

「なんだおん…そーだな、まーイケんじゃね?」
実際は、特別可愛いわけでもなかったんだけどね。そうか敦史、まだ郁彦にゲイだってことも話してなかったんだ。
ま、今のは探りを入れただけってのと、俺は男と付き合う気はないですよアピールだったりして。だって、敦史のライバルになりたくないじゃん。
今、敦史本当は『なんだ女か』って言いたかったはず。

「深谷、ストレートヘア、好きなの?」
「え?」
たまたま、今俺が『可愛い』って言った子は、最近では珍しいくらい、直毛の子だった。本当は、どうでも良かったから、そこまでちゃんと見てなかったんだけどね。今んとこ男と付き合う気もないけど、女と付き合う気は、もっとないかもしれない。いや、そりゃ欲しいなとは思うけど、そんなヒマないし。お金にも時間にも、俺にはそんな余裕はないのだ。

「うん、まぁ…」
女の子の髪型に特にこだわりはなかったけどね。似合ってればなんでもよくない?

「まさ君もねー、好きなんだよー。…それ、知られたら、きっとまた、バスケ部にスカウトされるよ」
「あの人って、もしかしてスカウト理由はなんでもいいのか?」

「そうだよ、僕にも何回も言ってるもん。『郁彦、一緒にバスケしよう』って。僕、運動苦手なんだけど」
へえ、そうだったんだ。
でも俺や郁彦よりも遥かに、スポーツならなんでもできそうな敦史には言わないってのが、やっぱりバスケットボールっていう競技の宿命なのかね。

「いやー、そもそも、俺はさー月8千円の部費が無理なんだけどー。だから、何回スカウトされても入れないー」
8千円あったら何食食えると思ってんのー!

「何食ってか、さ。そーいえばトシ、寮費っていくらなんだ?平日はメシつきなんだよなぁ?けっこうかかるんか?」
「土曜の夜と日曜祝日以外は朝晩出るよ。実は俺、月2万しか払ってない」

「は?」
「すごい、安いね」
「多分郁彦が寮入ったらタダなんじゃないかな?特待生制度様々!」
ま、建物は多少古いけど、全然気にならないレベルだし。唯一言わせてもらえば、お風呂の時間が決まってるのが不便かなぁ。時々間に合わなくて、朝早起きして入ってる。

「お前、1人暮らし、無理だろ。家賃2万の部屋だってあり得ないぜ?それがメシ込みとか!」
俺なんか月のメシ代だけで2万なんか軽く飛ぶわ!って、それは敦史が、外食ばっかりしてるからでしょう!

「えーっ!!でも、寮だとさー、夜中のバイトできないんだよー?鍵閉められちゃうから。夜中の方が時給いいのにー」
「夜中って、なにするの?」
そういえば郁彦もバイトしてないよね。まぁ、なんか、あの家にいたらバイトする必要無さそうだけど。

「パチンコ台のバグチェックとか、印刷所の製本作業とか、倉庫の荷物運びとか、交通整理とか、いろいろあるよー」
ちなみに、今、毎週日曜日は引っ越し屋さん。身体も鍛えられて一石二鳥。
身体鍛えようなんて思ったのは、敦史の身体見たからだけど。

3月4月以外は、暇で、事業所とかの引越しばっかりだから、日曜日に限定すると、あんまり働けないんだけどね、それでも時給千円以上くれるしいろんなところ行けるから地理覚えられて意外と楽しいんだ。

「僕もバイトしようかなぁ…」
「なにすんの?なに?なに?俺も郁彦と同じのするっ!」
わかりやすいねぇ、敦史。

「まだなんにも考えてないよ。ただ、そろそろ学校にも、この生活にも慣れてきたからなーって、思うだけ」
「バイト楽しいよ、バイト。いろんな人と知り合うし、たまに差し入れとかもらえたりするしー」
差し入れもらった瞬間に疲れが吹き飛ぶんだよねー。引っ越しバイトでお弁当出た日の充実ぶりったら他にないよ。余って持って帰っていいって言われたりとかさー。

「差し入れと言えば、さ。深谷、牛肉のしぐれ煮とか、いる?」
「えっ、なにそれ?」
「おじいちゃんと叔父さんに来るお中元。なんか、毎年いっぱい来るんだけど、洗剤とお酒以外の、海苔とか佃煮とか、デザートとかは人にあげちゃうんだって」

「郁彦愛してる!!」
海苔に佃煮?ごはんのおかずはいくらあっても困らないじゃないか!

「まだ時期的に早いから、少ししか、来てないんだって。だから、ちょっと待ってね」
「待つ待つ!もちろん待つよー!」

日曜日とか祝日は、食事出ないからって、寮の各部屋に小さい調理スペースとIHがヒーターがひとつ付いている。たいしたものは作れないけど、あるのとないのでは大違いで、俺は時々、夜食なんかも作ってる。
部屋でご飯炊いて、お弁当作って学校に行ってる子もいるって聞く。

「お中元かぁ、うちにも来てるかもなー。今度実家から取ってきてやるわ」
「敦史愛してる!!」
「どーせうちなんか、年寄り2人、たいしてなんにもいらねーんだろうから、持てるだけ持ってきてやるよ」
そうか、こんな学校来るくらいだから、みんなお坊ちゃん!ってことは、親はそれなりにみんなお偉いさん!…てことは、お中元とお歳暮山ほど来る!?

「敦史実家どこなの?」
「都内だぜ。日帰りできる。あんまり帰りたくないけどさ」
トシのためにお中元取ってきてやるくらいならいいぜって、敦史ありがとうー!

「俺、やっぱここ来て良かったー!」
正直国立を受け直すことも、真剣に考えたんだけどね、説得してくれた高校の担任に感謝!

「ほんじゃーまたねー!」
校舎の外に出て、俺はここから反対方向だから2人とは別れる。2人が使ってる地下鉄とは路線が違うんだ。 今日はほんとに、天気もいいし、風も気持ちよくて、散歩日和だから、歩いて帰ってもいいかなーってくらい。

2人も、乗る電車は反対方向だけど、駅までは一緒なんだ。
郁彦が先に帰っちゃって敦史が歩いて帰るって時は、方向が一緒になるから、俺も敦史も西門まで一緒に喋りながら歩いたりするけど。

駅までの徒歩15分の間に、敦史がどこまで頑張るか、それは明日のお楽しみにしておこう。

**************

「なぁ、郁彦」
「なに?」

「免許、取れたらさ、ドライブ行こ?なんなら、帰りは俺運転するし、逆でもいいけど」
「笠原、免許持ってたの?」
「おう、取ってから一回も乗ってないけどな!」
ほらって言って、財布から俺の免許を取り出して見せてやった。

「…笠原、4月3日生まれなの?もう19歳なんだ」
そうなのよ、だから、だいたい入学前とか始業式前に誕生日で、ほとんど誰にも祝ってもらったことないのよね。

「おう、おうよ!だからよ、受験終わってすぐ行った」
「そうなんだ。僕は、高校の卒業式終わってすぐこっち来たんだけど、むね君のお見舞いに、毎日行ってたから、全然、そんなの考えなかったんだー」

「ああ、そういえば、あいつ入院してたんだよな、最近クソ元気だから、忘れるところだったわ」
「むね君と遊んでくれて、ありがとうね」
いや、それは完全に下心があるから仲良くしてるだけなんですけどっ。

「で、あ、あの、ドライブは…?」
「免許取りたてで、そんな下手な運転、見られたくないな…」
ちょ、断られる?そんなのヤダ!ってか、俺だって運転上手くないって!

「な、なんならさ、トシとか、宗則も一緒にさ、どっか、軽く遊びに行こうぜ、な?な!」
「うーん、そうだね。むね君の発作出ないような、どこか空気のキレイなとこだったら、いいかもしれないね」
やったぁー!!で、デートだぁあぁあっ!!
断られる位なら、宗則くらい連れてってやるってーの!!トシが空気を読んでくれるはずだ!

「でもさー、免許の写真って、もっと写り悪いのかと思ったけど、笠原普通だね」
それまで持っていた俺の免許を返してくれながら郁彦が言った。
「僕、目つき悪いから、きっと、犯罪者みたいな顔で写るんだよ?写真嫌いなんだよなー。プリクラも1回しか撮ったことないし」

「目つき悪くなんかねぇって!!」
つい、興奮して、勢い良く郁彦の両腕を掴んじまった。やべ、郁彦が怯えてる!って思ったけど、もう止まらない。
「俺は、郁彦の顔、好き。目も、鼻も口も声も…っていうか、全部好き」
「笠原…?」

「だから、俺…」
勢いで好きって言っちまったけど、その後をどう続けたらいいのかわからなくなって、急速に頭が冷えていった。
付き合って欲しいのはそりゃ一番の本音だけどさ、ここで断られたら俺、永遠に立ち直れない気がする。

つーか俺、たった今、ドライブデートの約束勝ち取ったばっかりだって言ってんのに、な、なにしてんだろ。

頭の中がぐちゃぐちゃになって、そして。
「!!!」
俺は、思い切り背伸びして、郁彦に唇を押し付けて、そのまま、走り去った。急激に恥ずかしくなった。
っていうか、目ぇ閉じてしたら、郁彦の唇外した。最初で最後のチャンスだったかもしれないのに。

おまけに走ってきたら免許証落とした。
郁彦が拾ってくれればいいんだけど。どういう顔して受け取れっていうの?
やだもー恥ずかしいー。この歳になって、なに青春してんだよ、俺の馬鹿ー。

帰ってから速攻でベッドに転がって、動きたくなかった。
宗則からの着信が、何度も入ったけど、出たくなかった。






















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