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szene2-18 Agapanthus


懐かしい痛みで、ふと我に返った。
視界の端に映る、見慣れた赤。久しぶりに、意識のない間に、切っていた。

悩みなんかないはずなのに、どうして切ったんだろうって、朝ごはんの前にむね君の部屋を訪ねて話したら、『ふみ兄、もっと素直になりなよ』って言われたけど、むね君にだけは言われたくないぞ。僕が今までに出会った人の中で、一番素直じゃないのがむね君だと、言い切ってもいいくらいなんだから。

「ふみ兄、手、出して」
むね君が、右腕の傷口に薬を塗って、包帯を巻いてくれたけど、すっごく上手だった。これなら帰ってくるまでほどけたりしないと思う。
「僕皮膚弱いでしょー?だから、テープ駄目なの。バンドエイドとか湿布も駄目。だから上手くなったんだよー」
ちょっとした怪我でも、全て包帯を巻くしかないらしい。その包帯でさえ、巻きっぱなしは駄目で、時々外さないとかぶれるんだとか。

「そっかー。点滴のテープも、みみず腫れみたいになってたもんね」
痒くならないように、先に薬を塗ってくれるらしいけど、それでもテープの部分は真っ赤に腫れ上がっていたのは記憶に新しい。

かゆみ止めの薬をもらって塗っていても、寝てる間に掻いてるらしくて、今度は傷薬が処方されて、治ってまた点滴のテープで腫れて…の繰り返し。
「この薬、ステロイド入っててちょっと強いから、帰ってくるまでには傷、塞がってると思うよ」
「むね君も医者になったら?」

自分に処方される膨大な量の薬を全部覚えてるって言うんだから、向いてると思うんだけど。
それに、血とか見るの全然平気そうだし、病気の子の気持ちもわかるんだし。

「えーっ。そんな、一生勉強の職業やだー」
「そんな理由?」
もったいないなぁ。勉強嫌いって言う割には、教えたことはたいがい一発で覚えてしまうむね君は、同じ勉強嫌いでも底辺校にしか行けなかったうちの妹達とは違う。 この子が勉強好きで、身体も丈夫だったら、まごうことなき本物の天才が出来上がっていた気がする。

「ふみ兄。言いたいこと、ちゃんと言っといでよ。笠原君も、悶々としてるから」
「なんのことだよ、もう」

僕の前で、むね君が学ランに着替え始めた。今日は学校行くんだ。

「ふみ兄。…笠原君、ふみ兄のこと、好きだよ」
「うん、僕も好きだよ。友達できて良かったー」
「そうじゃなくて、笠原君も、僕らと同じで…」

むね君の、その次の言葉は意図的に遮った。
「むね君、今日は傘忘れちゃ駄目だよ、絶対雨降るから」

「ホントにー?僕テストだけだから、昼で帰ってくるけどー?」
この日の朝、曇ってはいたけれど雨は降ってなかった。僕の頭痛は、天気予報以上の精度だと自分でも思う。

「うん、絶対降る。昼までには降りだすよ、そういう痛さだもん」
「ばあちゃんの痛み止めもらった?」
「朝ごはん食べてから飲むよ」

むね君は、無理矢理さっきの続きを言うようなことはしなかった。
笠原の話や、傷の話を蒸し返すこともしなかった。
だから話しやすいのかなーと思ってる。

僕と、制服に着替えたむね君は、2人一緒に1階に降りて、朝ごはんを食べた。
晩ごはんは、けっこうみんなで食べるんだけど、この家は、朝ごはんはそれぞれが勝手に食べて行く。
ちなみに、この日、まさ君は、朝練に行かなきゃならないとかで、前日の夜、むね君に土下座している。

むね君は、6時にまさ君を叩き起こして朝食を口に突っ込んで、7時前に家から送り出した後、自分の部屋でテスト勉強の最終チェックをしていた。そこへ、僕が行ったと、そういうわけだ。まさ君を平穏無事に叩き起こせるのはむね君だけらしい。
僕とかおじいちゃんは、怒鳴られるだけで嫌になってしまうんだけど、むね君にとっては、まさ君の怒鳴り声なんてどこ吹く風なんだとか。

僕が目玉焼きを作っている間に、むね君はパンを焼いたり冷蔵庫からサラダを出したり、コーヒーを入れてくれた。

「あーあ、雨かー。最低ー」
「そんなこと言ってないで、テスト頑張ってね!」
「うん、ありがとー!いってきまーす!」

最初は制服に着られているような感じだったむね君だけど、最近はだんだん、制服姿も板についてきた。
僕はこの日は、2限からだったから、むね君を見送ってから1時間以上、リビングのソファで横になっていた。
同じ体質のおばあちゃんは、とっくに北陸の温泉に逃げて、そのあとは北海道だって言ってた。羨ましいなぁ。

*************

「今日、肉じゃが、だから。僕、医務室行ってくる」
おばあちゃんの痛み止めは飲んできたけど、頭痛が治まる気配はなかった。なんだろ、同じ体質だけど効く薬違うのかな。
叔父さんの料理は持ってきたけど、自分はなんにも食べる気にならない。昼休みは寝た方がいいだろうって自分で判断した。
朝むね君に予告した通り、昼前からきちんと雨は降りだしていた。

「なにも食べれそうにないから、食堂2人で、行って」
「心配だから俺、医務室ついていくし!」
最近、笠原はよく僕に構ってくれるようになった。

いや、それまでも構ってきてたけど、なんだろう、むね君とうちの1階で『うろたんだー』とか言って騒いでたあの日から、激しくなった気がする。
スキンシップも多くなった気がする。なるべく、平静を装うようには務めているけど、身体を触られるのは苦手だ。お兄ちゃんを、思い出すから。

あの日、むね君と何を話したのか知らないけど、どうやらメールアドレスも交換したみたいだ。
むね君と仲良くしてくれるのはありがたいんだけど。

「いいから。……笠原、お願い、僕に、そんなに優しく、しないで。困るから」
今、僕が言えるのはそれだけだった。
それ以上近くに来られたら、どうにかなってしまいそうだった。

ただでさえ、笠原と一緒にいたら、僕は、僕のままで許されるような、そんな気になった。
そんなの有り得ないのに、笠原と深谷なら、僕を許してくれるんじゃないかって、時々、そんな期待を抱いてしまう自分がいる。
いつかちゃんと、本当の僕のことを話した方がいいんだろうとは思うけど、むね君以外には、まさ君にでさえ話せずにいるのにどうやって、何から言えばいいのかわからなかった。
それに、せっかくできた友達なのに、話してしまって、その関係が壊れるのが、怖かった。

むね君に話せたのは、むね君から聞いてくれたからであって、あのキッカケがなければ僕は今でも、むね君にでさえ話してないに違いないんだから。
医務室で理由を話してバファリンもらって飲んで、横にならせてもらった。

ウトウトしていた僕は、むね君からのメールに気づいたのが、家に帰ってからだった。
だから当然、食堂で起こっていた事件なんて、知る由もなかった。

「ふーみひこー、迎えにきたよー!3限行こうぜー!」
「うるさい」
3限目が始まる5分前に、深谷と笠原が迎えに来てくれたけど、頭は痛いは寝起きだわで、とてもじゃないけど『迎えに来てくれてありがとう』なんて言えなかった。ごめんって、心のなかでだけ謝っておく。

「吉川くん、一回病院行きなさい。市販の痛み止めじゃ効かないかもしれないから」
「わかりました、すいません」
すぐ目の前は病院なんだからって、医務室の先生に言われたけど、こんなただの頭痛で大学病院に行くのもなぁ。

バファリンと、少し寝たおかげで朝よりは良くなったけど、こんな日はさっさと帰って寝るに限る。
なんとか授業だけは耐えた。ノートを取る文字が多少乱れたって、後から読めれば問題はない。
深谷は、気を使って一切、話しかけてこなかった。ありがたいな。

なんか、昼休み騒いでたおかげで笠原はご飯を食べてないんだとかで、4限の途中で、机に突っ伏したまま動かなくなった。
なにがあったのか知らないし、ちょっと心配ではあったけど、それより今日は、治まる気配のない頭痛の方が大問題だった。

「じゃあ僕、帰る」
「うん、お大事にねー!」
「ふ、ふみひこーーーー」

深谷に引きずらるようにして、やっと教室を出てきた笠原がなんか叫んでたけど、また、心のなかだけでごめんって謝って、僕は真っ直ぐ家に帰った。
テストだけのはずなのに、むね君はまだ帰ってきてなくて、家には誰もいなくて。

僕は、とりあえず自分の部屋に直行して、ベッドに着替えもせずにベッドに潜りこんで寝た。
夢の中にまで笠原が出てきたことは、むね君にも言えなかった。
言えないような、内容だった。

ぼ、僕、欲求不満?
や、やだもう、反応しないでよ、このバカ息子!!

間違いなく、むね君が朝、言いかけた言葉のせいだっていうのはわかっていたけれど。
「そんなの、困るじゃないか…」

僕は、落ち着きを取り戻したくて、太腿を切った。

************

雨でも暑い日が続くようになってきて、流石に夏服の必要性を感じるようになってきた6月の半ば。
頭痛の方は、病院でもらったロキソニンを飲んでいたら、気にならない程度まで治まるようになっていた。ただ、あんまり飲み過ぎると効かなくなりそうで怖いから、どうしようもないときだけに限った服用にしているけれど。

「郁彦、暑くないの?」
僕は、相変わらず入学前におばあちゃんに買ってもらった服と、時々おばあちゃんが衝動買いしてきた服しか持ってなかったから、真夏日でも長袖のシャツを着ていた。

「うん、暑い…」
深谷も笠原も、上着は持ってきてても基本的には半袖って日が続いていた。

「そろそろ夏服買いに行かねーとなぁ」
「敦史なら洋服なんて、大量に持ってそうだけどー?」
「お前、昨年のとか誰が着るんだよ?」
当たり前のように言い放った笠原に驚いて、僕と深谷は顔を見合わせてしまった。

「着ない服、どうしてるの!」
「いや、あるけどよ。あんまりにも溜まったら、棄てるしかないんじゃね?」
その言葉で、僕と深谷はまた、顔を見合わせてしまった。

やっぱり流行とか気になるのかな?僕なんて、ずーっとまさ君のお下がりだったから、そういうの全然わかんないんだけど。ファッション雑誌も買ったことないし。

「す、棄てるくらいならちょーだい!」
「ァあ?…欲しいの?」
逆にびっくりした顔を見せた笠原に、僕と深谷は2人揃って頷いた。だって、笠原の服ならブランドものに決まってるじゃん。1年のうちの数ヶ月、数えるほど着たくらいじゃ、新品同様だと思う。洗濯でおかしなことになってなければ。

「欲しいんならやるぜ。じゃー2人共、今からうち来いよ」
「やったぁー!!!」
僕より深谷の方が喜んでいた。当たり前か、服なんて滅多に買わないんだろうな。この点に関しては、僕は笠原より深谷との方が分かり合える。一緒に住んでても、まさ君やむね君は笠原寄りだけど。

「でも俺、今日は今からバイトなんだけどー!」
「だったら明日でもいいし。郁彦は今日来る?」
笠原は、なんか来て欲しそうな顔を見せていたけど、僕だけ先に行っちゃ深谷に悪いなって思った。
だいたい、2人きりとか、なんか、不安だし。それに、今日は夕方用事があるし。

「いいよ、僕も明日お邪魔します」
「そっかー」
なんか笠原、すっごく残念そうなんだけど。ど、どうして?そんなに僕を、家に呼びたいの?

「んじゃ、また明日ねー!」
校舎を出て、方向が逆の深谷とはそこで別れた。僕と笠原は、乗る電車の方向は逆なんだけど、駅までは一緒。
僕たちは、翌日の約束をして、別れた。

そして、次の日の授業の後。歩いて行けるって、笠原も深谷も揃って言うから、僕達3人は学校から歩いて、僕は初めて笠原の家を訪れた。
笠原の家は、見るからに新しい高層マンションだった。

「何階建て…?」
「んー?14。たいしたことねーだろ」
そりゃそうかもしれないけど。昨今50階建てとかありますから。

「笠原んちは…何階?」
「9階。ホントは一番上が良かったんだけどなー」
「ここって、家賃って……」
「分譲」

言うべき言葉が見つからず黙っていたら、深谷が、『郁彦の言いたいことはよーくわかるよ、俺も同じ事思ったからね!』って慰めてくれた。
「敦史の親ってなにしてんの?」
「んー?…親父は医者。おふくろはなーんか変な会社やってる。エステだか健康食品だか知らんけど」
僕と深谷は、昨日に引き続き、2人で顔を見合わせて頷いてしまった。

「なんだよお前らー!だいたい、佐々木さん家だってけっこう金持ちじゃねーか」
「うん、僕も一緒に住むようになって、初めて知った」
「なんだそりゃ」

だって、事実なんだから仕方ないじゃないか。
おじいちゃんがどっかの会社のお偉いさんだってのは知ってたけど、あんなデカイ家になってるだなんて、しかも、それがほとんどまさ君のせいだなんて、僕は全然知らなかったんだから。
「郁彦君、そんなに頭良かったんだったら、さっさとこっちでお受験させて、さっさとうちの子にするんだった」
って叔父さんに言われたけど、でも多分、それを提案されてたとしても、僕は拒否しただろうなと思う。

901号室が笠原の部屋で、間取りは3LDK。1人でこれは、確かに寂しいから、誰かに遊びに来てって言いたくなるよね。
「ほれ、このへん全部、持ってっていいぜ」
案内されて入った一室の、壁沿いに並んでいた引き出し型の衣装ケース全部を指して、笠原は言った。

「買った年とかバラバラだから。どれでも好きなの持ってって」
「ちょ、ホントにどれでもいいの?」
「…いいけど?今年買ったのはあっちにあるから、ここ全部、もう着ない服」

ありったけもらってやるー!と、意気込んでいた深谷も、さすがに固まっていた。
ざっと計算して、引き出し一つにTシャツなら30枚くらいは入るとして、8段×5個で1,200枚!
Tシャツだけってことはないだろうし、冬物はかさばるから、そんなに入ってないだろうけど、とにかく、全部持って帰るとかいう量じゃない。そもそも、今日一日で、全部見れるかどうかもわからない。

「と、とにかく、見せてもらうね」
深谷は左から、僕は右から、引き出しを開けていった。
「どーぞ、ごゆっくり」

笠原は、そう言い残すと、リビングのソファに転がってテレビを見始めた。
「敦史…。全部ブランド物なんだけど…」
引き出しの中身チェックを始めてから、15分くらいで、『普通のないの!?』って、深谷が叫びながらリビングの笠原のところへ行ったけど、お前、そんなのあると思ってたの?

「そんなのあるわけねーだろ」
「どれもらって帰っても、着て、全然落ち着かない自信あるんだけどー!」
「あのなぁ、トシ」

笠原の横に膝を着いて泣きついた深谷の頭をポンポンしながら、笠原は起き上がった。
「貸すんじゃないんだぜ、やるって言ってんだぜ?持って帰ってから、お前が穴空けよーと破ろうと捨てようと、俺は一切気にしねーよ?だから、好きなだけ持ってけって」

「す、捨てるなんてもったいない!フリマに出品すればどれだけ売れると思ってんの!」
「じゃあ、やるからお前が出品しろ。俺はメンドクサイ」
「ちょ、そ、そんな…」

「まぁ、とりあえずだな」
いいから来いって笠原が深谷を引っ張ってきた。そして、笠原は、適当に開けた引き出しの中から、黒っぽいシャツを1枚引っぱり出して。
「お前、なに着ても似合うんだから、とりあえずこれ着てみろ」

「うぅぅ…」
不服そうな表情を見せながら、それでも深谷は、その場で今着ていたTシャツを脱いで、笠原が出したシャツを羽織った。








続く
タイトルAgapanthus、アガパンサス、花言葉「恋の訪れ」。
そのまま続きますが、花言葉タイトルシリーズ回想篇はここまでです。この先は話が進みますお
アガパンサス↓














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