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szene2-16 Curcuma


ある日の、むね君の病室だった。僕達は、小さい声で、ぼそぼそといろんな話をした。
なぜだか、むね君には何一つ、隠し事をせずに話せるような気がした。

「ねぇ、ふみ兄。…誰にも言わないから、聞いてもいい?」
「…なに?」
「身体の傷いっぱい、どうしたの?」

昨年の夏、温泉に行った時、やっぱりむね君は気づいていたみたいだった。
「気づいてたんだ」
「うん。…でもたぶん、兄ちゃんは気づいてないから安心していいよ」

僕の話は長かった。だって、6歳で隣のお兄ちゃんと仲良くなってから、一昨年までの約10年分だもん。
何日かに分けて、僕はだいたい全部のことを、むね君に話してしまった。なんだか、話したらすっごく楽になった。

むね君は時々、ぐずぐず泣きながら、それでも全部聞いてくれた。
「ふみ兄、大学で新しい男見つけなきゃ!」
「なんでぇ。いいよ、もう」
それは本音だった。というか、お兄ちゃんのことを忘れて、誰か他の人を愛せるとは思えなかった。僕は、多分もう、女の人どころか、誰も愛せないんじゃないかってことまで、むね君には隠さなかった。

「医学部なんて男ばっかりでしょー?絶対一人くらいいるよー」
「そうかなぁ?」
「見つけたら紹介してよ!僕もそうなんだし!」

「むね君…。ごめんね」
むね君は、僕が恐れていた通り、女の人が怖いまんま、永遠に女の人に恋愛感情なんて抱けそうにないまま、とうとう中学生になってしまうみたいだった。全部うちの妹2人のせいだ、本当に申し訳ない。

うちの妹2人は、まだ『セックス』なんて単語も知らないような小学校低学年の子に対して、いきなりBLの薄い本を読ませて、挙句触らせろって言って脱がしたんだ。薄い本は、お姉ちゃんがいる友だちから借りたらしい。
完全に怯えてしまって、むね君が声も出せずに震えて泣いているのに僕が気がついた時、あの妹2人は完全に、むね君の身体で遊んでた。化粧品で濡らした鉛筆や指を突っ込んで。

あのとき、家には、僕とむね君しかいないと思ってた。むね君は疲れて寝てて、僕は自分の部屋で本を読んでいた。他のみんなはそれぞれ出かけていて、妹達が、いつ帰ってきたのか、気づかなかった僕の落ち度だ。
「ふみ兄が謝ることじゃないでしょー。だって、あのとき、ふみ兄が助けてくれなかったら、僕どうなってたんだろ」
「そういうこと考えるのやめよう?ね?」

40℃を超えるほどではなくなってきたものの、むね君の熱は、なかなか下がらなかった。
僕は、おばあちゃんが選んでくれたスーツで、入学式に出て、いよいよ大学生になった。入学式の後は、女の子をいっぱい引き連れながらバスケ部の新入生勧誘をしているまさ君とちょっと話しただけで、その後はまっすぐむね君の病棟に来て、スーツ姿をお披露目した。

「ふみ兄、かっこいい!似合ってる!さーすがばーちゃんの見立ては間違いないね!」
むね君がいっぱい褒めてくれたのが嬉しかった。選んだおばあちゃんが偉いんだけど。
そのむね君はというと、とうとう退院が間に合わなくて、中学の入学式に出れなかった。

「いいよ、僕。小学校の入学式も卒業式も出てないし」
僕や、まさ君の前では、むね君は絶対に、悔しそうな表情は見せなかった。
ようやくベッドから立ち上がれるようになって気づいたんだけど、むね君は、昨年より少し身長が伸びて、大人っぽくなっていた。

夏に一緒に出かけた時は、完全に小学生だったけど、今はちゃんと、中学生の顔をする。
「将大のばーか、爆発しろ!」
まさ君に甘えてる時だけは、本来の幼い表情に戻るけどね。

本当は、まさ君のことが、好きで好きでたまらないくせに、どうしてこう、素直じゃないんだろう。
『馬鹿』を『好き』、『爆発しろ』を『大好き』に脳内変換すると、むね君の表情と言葉が繋がる。

問題は、当の本人のまさ君が、むね君の気持ちに全然気づいてないことだよな。
『馬鹿』って言われる度に、素直にへこんでるから。

へこんではいても、これっぽっちも引きずらないで、すぐまた、むね君の心配をしてるのがまさ君だってことに、だんだん気づいてきた。
ただ、まさ君が時々連れてくる友達。彼のことは、どうやらむね君は本気で嫌いみたいだけど。たぶん、まさ君とすごく仲がいいからだと思う。

「ふみ兄、友達できた?」
「え?なんで?」
「なんでって、1人か2人でいいから友達作んなよー!」

だいぶ元気になったけど、まだ熱は下がらない。やっぱり、病気と戦ってるむね君の希望に応えてあげるべきなのかな?
それに、1ヶ月以上もの間、毎日話していたら、さすがに話すこともなくなってきた。まさ君はいっつも『学校でこんなことあってー』っていう話をして聞かせてるけど、僕はただ授業受けて帰ってくるだけだったから。

あんまりむね君がしつこいから、僕は意を決して、いつも隣に座ってる子達に話しかけたんだ。
「今日、もし、暇だったら、さ、あの、ちょっとでいいから、来て欲しいところがあるんだけど」

年上に好かれるという特技を、いかんなく発揮したむね君は、深谷とも、笠原とも、すぐに仲良くなった。
「で、ふみ兄、どっちが本命なの?」
「なに言ってんの!」
「えー?違うのー?」

そういえば、小6のこの子に唇奪われたんだった。この子、超マセガキなんだった。
たぶん、そうなっちゃったのは、家庭環境が2割、僕の妹達のせいってのが8割だけど。
「深谷君優しそうでいいじゃなーい。僕好きー」
「まさ君に言ってやろー!」

「なんでそこで将大が出てくるのさー!僕兄ちゃんとはちゅーしかしてないー!それに、深谷君絶対ノンケじゃん!ノンケ恋は報われないんでしょ?」
「中学生がそういうコト言わないの!」
「えーっ、じゃあなんて言ったらいいのさぁ」
そういう問題じゃないよもう!

その後、遠くを見るような目で数秒黙りこくったむね君が、なにを考えていたのか、このときの僕にはわからなかった。
それが判明するのは、むね君が退院して、だいぶ経ってからだった。

4月が終わって5月になって、ゴールデンウィークが終わってから、ようやくむね君に退院の許可が降りた。退院したのに、むね君は『自宅療養』とか言って、ほとんど学校には行かなかった。それじゃヤバイと思ってちょこちょこ勉強を教えてあげた教えたら、むね君はどんどん教科書を進んでいった。本当に頭がいいって、この子のことかもしれない。

「今まで延び延びになっていた、郁彦君の歓迎パーティをやろう!宗則の退院祝いと一緒にね!」
言い出したのは叔父さんだった。

「わーい!ふみ兄、深谷君と笠原君連れてきてー!」
「え、ちょ…」
「いいわねぇ、私も会いたかったんだよ、郁彦、ぜひ連れといで」
僕の大学が始まってから、おばあちゃんが午前中、僕とまさ君が授業終わり次第の午後からっていう約束でむね君のお見舞いに行っていたから、おばあちゃんはまだ2人に会ったことがなかった。

「あの、さ。…また、お願いがあるんだけど」
むね君が退院してから、僕は深谷と、笠原と3人で昼ごはんを食べるようになっていた。2人ともガッツリ定食を食べるけど、僕はいつも、通学途中で買ったパンとか、おにぎり。
来週の土曜日、夕方から、僕の歓迎会と、むね君の退院祝いパーティ。

「ていうか、俺達行っていいの?」
「むしろ、可能な限り来て欲しい…。おばあちゃんが、会いたがってて…」
「もちろん行くぜ!な、トシ」
「土曜の夜なら俺も空いてるからいいよ」

良かった、断られたらおばあちゃんとむね君2人がかりで文句言われるところだった。
「ごめんね、なんかいっつも、僕ばっかり、頼みごとして」
「なに言ってんの、俺たち友達だろ?それくらい気にしない!な、敦史」
「おーよ、だいたい、頼みごとったって、前のも今回も、郁彦の個人的なわがままじゃねーじゃん」

友達?…………なんか、嬉しい。だって、今まで僕、友達なんていなかったから。
嬉しいけど、友達だからって、なんでも話せるわけじゃない。それに、あんまり仲良くなりすぎると、きっと僕はまた、苦しくなって、壊れちゃうと思うんだ。
こんなことだったら、感情なんて知らないほうが良かったのかもしれないって、一瞬思ったけど、それじゃあお兄ちゃんまで否定するみたいだったから、すぐに頭の中からその考えを消し去った。

「あの、ありが、とう」
僕が、深谷と笠原に言えたのは、たったそれだけだった。
一週間なんて、あっという間だった。

最寄り駅の改札まで2人を迎えに行った。
むね君が、玄関までぱたぱた走って出てきて、2人との再会を喜んでいた。
「いらっしゃい。宗則と郁彦君がお世話になってます」
料理の手は止めないまま、キッチンの叔父さんも2人を歓迎してくれた。

3人並んでソファに座った。
「宗則、テーブル出してきて」
「はーい」

すごくいい返事でむね君が和室に消える。僕も追いかけた。確かテーブルは2つあったはずだ。
テーブルが3つ並んだところに、料理を並べていった。
「郁彦、俺たちも手伝うけど…」
「いいから、お客さんは座ってなさい」

僕の代わりに、おじいちゃんが返事していた。
そのおじいちゃんと入れ替わりで、今度はおばあちゃんが隣のソファに座る。
「宗則が随分お世話になったみたいで、ありがとうねー」

「あ、いや、そんな」
「たいしたことしてねーっす」
深谷と笠原が謙遜してる。ホントにいっぱいお世話になったと、僕も思ってるのに。
「いやいや、今後も宗則と郁彦のこと、よろしくおねがいします」

2人の話は、僕からもむね君からも聞いてるおばあちゃんは、深々と頭を下げていた。
なんか、2人共恐縮してる。いつもより小さく見える。面白いな、いっつも笑ってる笠原も、あんな真面目な顔、するんだ。

「でも僕ら、呼吸器科に行くかどうかはわからないですよ」
おばあちゃんが言ってるのは、そういうことじゃないんだけどね、深谷。

「じゃー、循環器かー、耳鼻科かー、あ、皮膚科でもいいよー」
運んできた唐揚げをつまみながら、むね君が言った。もう、つまみ食いしないの!するんだったら、キッチンで叔父さんの隣でこっそりやればいいのに。
この家は、むね君にはとことん甘いから、誰もなにも言わないけど、僕の家で同じ事したら、僕なら殴られてた。

「循環器?宗則君、心臓も悪いの?」
「ちっちゃいけど穴あいてるー。なんかねー、普通は3歳くらいまでに塞がるんだってー」
そう、見事に『塞がらない1割か2割』に入ってしまったのがむね君。だから今も、半年に1回は病院に通ってるらしい。

「もしかして塞がらなかった?…俺はふさがった、らしい。記憶にないから知らんけど」
「えー?なに、笠原君一緒?心室中隔欠損?」
「おー、一緒一緒!2歳でいつの間にか塞がってたってよ」
ホントに?そうだったんだ、笠原。知らなかった。

「それって、手術とかしなくていいの?」
深谷が心配そうな顔で、むね君と笠原を交互に見てる。『場所が悪くなきゃ普通はしない。放置』って、笠原はなんでもないことのように答えていた。

「宗則をよろしくお願いします」
いきなりリビングから現れて、笠原の手を握ったのは叔父さんだった。
ちょ、叔父さん、気持ちはわかるけど、それはどうかと思う!!

「とーさんやめなよー!生まれた時おんなじ病気だったってだけで、笠原君が循環器科行くかどうか決まってないじゃーん」
むね君冷静だ。むね君自身、心臓に関してはひとつも自覚症状ないらしいけど。
「失礼した」
深谷の言葉で正気に返った叔父さんは、またキッチンに戻っていった。

「笠原君ごめんねー。父さんあんなんだけど、料理はマジ上手いから!ガチだから!」
むね君の言葉に、僕も思い切り頷いた。この家に来るまで知らなかったけど、叔父さんの料理はプロ並みなんだ。
そのとき、玄関からまさ君の声がした。

「遅くなりましたー!」
「おじゃましまーす!」
一緒に来たのは女の子だけなのかな?だったらいいんだけど、どうだろう?
僕の期待は、儚くも数秒で敗れ去った。

「おじさん、お久しぶりでーす」
「おお、島本くん、よくきたね」
まさ君どうして島本さん連れてくるの!…って、親友なんだから仕方ないか。

「ほ、ほら、むね君、こっちおいで。ほら、ね?ね?」
むね君が、ものすごい形相で島本さんを睨みつけている。ああ、どうしようどうしよう、どうしてみんな、この険悪な雰囲気に気づかないの?
「む、むねくん、ほら、僕の膝の上とか、こっち、おいでって」

「やぁ宗則君、この度は退院おめでとう。これは俺からの退院祝いだよ」
絶対この人、わかっててやってるからたち悪いよな。むね君怒らせて楽しんでるようにしか見えない。僕には。
「こらっ、修!それは3人で買ったんだろ!なに自分の手柄にしてんだ!」

ダイニングからまさ君の鋭い声が飛んだ。ああ、もう、お願いだからまさ君、島本さん早くそっち連れて行って!
神様でも仏様でもなんでもいいから。叔父さんも、なに、その子もまさ君の小さい時からの友達?そんな、無害そうな女の子と喋ってないで、島本さんなんとかして!

「ちなみに、数日置いてから食べてくれってさ。今はまだ甘くないから」
「修、あっち置いてくるからよこせ!あ、父さん、これ、久苑もお金出してくれたから」
「あ、ちょっと、佐々木くーん!」
「佐々木くーん、待ってよー」

えええええ、嘘ぉ!!まさ君は、ギャラリーの女の子2人引き連れて、廊下に出ていってしまった。
どうせなら島本さんも連れて行けぇ、まさ君っ!!

「久苑ねーちゃんありがとー!」
え?
むね君の明るい声に驚いてもう一度周囲を見渡した。

島本さんを完全に無視して、むね君は叔父さんと話す女の子のところへぱたぱた走って行った。
それから、むね君は、女の子の手を引っ張って、僕達が座ってたソファに連れてきた。
よ、良かった。この女の子、むね君も知ってる人なんだ。しかも、むね君、この女の子はきらいじゃないんだ。

「久苑ねーちゃん、うんとね、こっちが、4月から一緒に住んでるふみ兄!んで、ふみ兄の友達の、深谷くんと笠原くん。3人とも医学部のいちねんせー!」
「は、初めまして。吉川郁彦です」
深谷と笠原も、頭を下げてフルネームを名乗った。

「んでー、こっちは、兄ちゃんの幼なじみでー、父さんの大親友の娘の水野久苑ねーちゃん!法学部のさんねんせー。みんなおんなじ大学だよー」
「どーも初めまして」
そうなんだ。叔父さんの大親友の娘なら、お姉ちゃんみたいなものなのかな?

ていうか、僕が言うのもなんだけど、この子化粧っ気ないなー。髪も短いし、長袖Tシャツとズボンだけって、色気もないし。つまりアレだ、まさ君の恋人候補じゃないんだ、きっと。だからむね君、嫌ってないんだ。

「お兄ちゃんの幼なじみだけど、宗則君の幼なじみではないの?」
深谷の言葉に、そういえばそうだと思った。『兄ちゃんの幼馴染』って言ったよな、むね君。確かに、むね君とまさ君、歳は離れてるけど、幼馴染なら近所に住んでるはずだ。まさ君の中学の同級生である、島本さんもね。

「む、宗則君は、いっつも入院してたから…」
「んとね、久苑ねーちゃんわぁ、兄貴が3人いて、そこらの男よりよっぽど男らしいから、僕遊んでもらったことないのー」
「宗則くん!!」

あ、すごく納得した。そういう感じだよね、水野さん。
「郁彦、あの人は?」
笠原がこっそり聞いてくるから、あの人はまさ君の中学からの同級生で、島本修さんだって教えてあげた。やっぱりうちの法学部の3回生で、しょちゅうこの家に遊びに来るって。遊びに来すぎて、むね君には嫌われてるって。

まさ君が戻ってきて、ビールを僕達の前に置いていった。どうせ自分達はビールなんて飲まないんだろうけど。やっぱりね、ダイニングのテーブルに一升瓶が置いてある。
将大は中学から飲んでんだから気にしないで飲みなさいって、おばあちゃんに言われたけど、僕弱いんだよな。遠慮します。1本で記憶なくなるんだもん。
せっかく深谷と笠原が来てくれたのに、ビールで記憶なくなっちゃうのは嫌だ。

「じゃーふみ兄、それ僕が飲むー!」
「むね君はダメ!」
むね君のお見舞いに通っている時に、主治医の富井先生見つけたから聞いたんだ。なにか、普段の生活で気をつけることはありますかって。
今年ここの医学部に入りました、815号室の佐々木宗則の従兄弟なんですって言ったら、富井先生は優しくいろいろ教えてくれた。

「多分むね君は、遺伝的にお酒強いと思うけど、飲まない方がいいよ。お酒で、喘息の発作、起こしやすくなる人いるから」
「えーっ、うそー!ホントにー!?………じゃあいらない」
がっくり肩を落とすむね君がちょっと可哀相だとは思うけど。
小さい頃からアレもだめ、コレもだめで来たんだもんなとは思うけど、でもその前に、中学生はお酒ダメっ!

「じゃあ、そろそろ皆さん、乾杯しましょうか!」
叔父さんの声で、ホームパーティーが始まった。








続く
タイトルCurcuma、クルクマ、花言葉「因縁」














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