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szene2-02 もっと近くにいたいんだ


なんとなく、授業は、左に敦史、右にひとつ空けて吉川くんっていう形が定着してしまった1週間目が終わり、2週目に入った。
相変わらず、吉川くんは昼休みになると携帯を持って、どこかへ出かけてしまう。
「え?タリーズ?……ん、わかった」
今日もそう。だけど、珍しいのは、メールじゃなくて電話だったこと。誰かと話しながら、そのまま教室を出ていってしまった。いや、多分誰かって、あの写メの、小学生くらいの男の子だと思うんだけど、相手。

「敦史、学内にタリーズなんてあったっけ?」
「んー、外来の、薬の窓口の奥しかないと思う」
「外来?」
俺と一緒に、教室を出ていく吉川くんを目で追っていた敦史が教えてくれた。附属病院の外来受付なんて行ったことなかったから、全然知らなかった。

「そっかぁ、あの、写メの子、もしかして入院してるのかな〜?」
「写メの子って誰!?」
何気なく呟いた声に反応した敦史の声が本気だった。い、いきなりなに?

「いや、なんか、吉川くんにメール来る度に、画面に小学生くらいの男の子が出るんだけど」
俺を間に挟んで、しかも空席も挟んでるから、敦史からは見えてなかったみたいだ。吉川くん、隠そうとしないから、隣に座ってれば誰でも見えるんだけど。

「………へぇ」

なに?その間はなに?なんだかいつもの敦史らしくない。
「それより今日は昼ごはんどうするの?」
「んぁ?いつもの定食くうけど?…おっ、早く行かねーと大盛り売り切れんじゃん!!」

そのあとは、もういつもの敦史だった。敦史は、身長の割によく食べる。筋肉質だから食べてもそんなに太らないし、それよりも、お腹がすきすぎると動けなくなる体質らしい。

「なーなー、トシ、お前ってどっから通ってんの?」
「今は寮だよ、大学の。できれば来年には出たいなとは思うけど」
「マージー?だったら今日、羽伸ばしにウチ泊まりに来ねぇ?」
敦史は、地下鉄1駅先のマンションで一人暮らしだそうだ。地下鉄1駅くらいだから、運動代わりに歩いて帰ることもあるらしい。

「それはありがたいけど、俺今日バイトなんだけど」
「はぁ?なに、お前もうバイトしてんの?」
「もう、ってなに、もうって!」

だって俺、仕送りもらってないし。生活費以外にも、来年寮を出るなら、敷金とか貯めとかなきゃならないじゃん?育英会の奨学金申請したけど、9月からしか出ないし、出たって学費で飛んでくし、バイト代がまだ出ない今は、学校から出た返済不要の奨学金20万の残りで生活してるのよ。
「え?…マジかよ?」

あからさまに驚いた表情を見せる敦史だけど、俺はわかってたから気にしない。
だって、敦史の服も鞄も、何気にブランド物なんだよな。さて、生活格差が判明したところで、敦史はなんて言うんだろう?かわいそうとか言われたら、もう今日の午後から口きいてやらないんだからな。

「あのさー、じゃあさー、明日2限の物理Tさー、おごってやるから代返しといて、あとノート貸して…って言ったら、喜んでしてくれたりする〜?」
「はぁ?」
今度は、僕が変な声を出して驚かされる番だった。

「いや、ちょっと今夜暇でさー。お前来ないんだったら遊びに行こうかなーと思ってさー。だから多分明日朝起きれないんだけど」
「そ、それくらいなら」
「マージー!!よっしゃ、契約成立!ホイ、好きなもん食え!」

そう言って、敦史はあっさりと財布の中から千円札を1枚出して俺に渡してきた。
「いや、学食で千円食べるのって、けっこう難しいと思うんだけど」

400円あれば定食が食べれるこの学食で。大盛りにしたって500円、2食食えるんだけど。
「代返の分と、後でノート借りる分で2食だろ?俺、明日になったら絶対忘れてる気がするから、前払い」
なんだかちょっと悪い気もしたけど、敦史が全然引かなかったからありがたくもらうことにした。助かるなぁ!ってのが本音だったりする。

「敦史は、仕送り、月にどんくらいもらってんの?」
「え?月??…えっと、1ヶ月に換算したら…」
ちょっと、なにその反応。まさか毎月もらってるわけじゃないとか?

「たぶん40万くらいじゃねーかなぁ?家賃別で」
「はぁ?」
ちょ、ちょっと!予想金額の3倍近く行っちゃったんですけど。しかも家賃別?
「家賃別っつーか、うち、分譲だしー。年に1回まとめてもらうから、1ヶ月とか計算したことなかったわ」

あのー、すいません、なんでこんなやつが俺と仲良くしてるんですか?なんかもう、住んでる世界が違うって、こういうことなんですけど。
「バイトする必要、なさそうだね」
ようやっと、それだけ言うのが精一杯だった。

「んー?そうだな、考えたことない。…お前はなにやってんの?」
「そりゃー家庭教師だよ。一番時給いいし、医学部って言ったらすぐ紹介してくれたし」
「へー、時給いいんだー」

どうしよう、珍しく敦史と会話、続かない。
確かに、そんだけもらってるなら、俺に千円くらい出したって痛くも痒くもないのかもしれない。例えばだけど、俺に学食おごったところで何百円だし。

そこまで考えてから、ハッとなった。いや、何考えてるんだ俺!いくら敦史が金持ちだからって、おごってもらうのとか絶対駄目だし!それって、タカってるって言うんじゃね?そんなの嫌だ、友達なら、対等じゃないと。
…ん?友達、だったのか、そうなのか?

「なんか俺、変なこと言ったか?」
敦史が心配そうに下から覗きこんでくるから、俺は頭の中でぐちゃぐちゃ回ってた思考を一旦外に追いやった。

「ごめんごめん。俺、敦史みたいな金持ち初めて見たからさ、どーしたらいいのかと思って…」
「どーしたらって、なにが?」
「え?…えっと」

あっけらかんとそんなふうに言われたら、逆にこっちが困るんですけど。
まさか『タカるような真似だけは絶対しない』って今決めたとか、そんなこと言うわけにもいかなくて。

「俺、貧乏だから、話合わないかもしれないけど?…とか思って」
「別に関係ねーだろ?金持ってんのは俺じゃなくて、俺の親だし。それに、うちの大学なんて、俺みたいなのばっかりじゃねーの?」
特に医学部って言って敦史は笑った。それもそうだ、学費だけで何百万も出せる家の子しかいないんだから。

「確かにそうだけどね。……まぁ俺、母親しかいないから、良くわからんわ」
「え?そうなの?」

そんな言葉で逃げて、会話の内容を変えようと思ったら、敦史に食いつかれた。そう、俺に父親がいないのは本当だけど。っていうか、俺には父親の記憶もない。
母親はいるけど、パートで働いてるだけだから、毎月俺に10万とか仕送りするのは無理ってわけだ。学費が全額免除になったら、奨学金を生活費に使えるから、もう少し楽だったんだけど。

「そりゃバイトするわな。身体壊すんじゃねーぞ?」
いつもどおりに日替わり定食の大盛りを食べながら、敦史はそれしか言わなかった。
もしかして俺、こいつと友達になって正解だったんじゃないの?なんて、俺は思いながら、向かいの席に座って、おなじ定食を食べた。

************

一目惚れなんて、あるはずないと、その瞬間まで、19年間ずっと俺は思ってた。

オリエンテーション初日から、付属から一緒に上がってきた看護学部の女どもに捕まった。合コンしたいだと?なんで俺がそんなもんしなきゃなんねーんだ。
「あんたはいいじゃん、あんたは。でもさー、医学部なんて、男ばっかりじゃなーい?」
「うるせー、伊吹!」
ああやだ。大学に来たら、絶対高校で一緒だったやつらとはつるまねえ。

「ほら、もう時間だからお前ら自分とこの校舎帰れ!」
「じゃー笠原、考えといてねー」
「頼んだわよ、笠原!」
「知らねーよ!!!」

ようやく女達と別れて、何気なく広い教室の中を見た時だった。
「……え?」
一瞬、呼吸がとまった。
偶然目にした教室の中程の席で、理想が、服着て座ってた。

見たところ身長175くらい、色白、細身、眼鏡超似合ってる。スーツ着せたら似合いそう。中性的な顔立ち、切れ長の瞳、小さめの口、サラサラで猫毛っぽい髪、寡黙な雰囲気。

やっばい、超抱かれたい!!!

隣の席は埋まってるけど、ひとつ後ろがまだ空いてるか?よーし、今からとりあえず回るか…と思ったら、もう先生が来てしまった。仕方なく、その時は、その場から一番近くの席に座ることになった。オリエンテーションなんて全然聞こえてなかった。とりあえずもらった資料読んどきゃいいんだろ?

うるさいくらい心臓の音が鳴りっぱなしで、俺は、一目惚れってモノがこの世の中に実際に存在してたんだってことを思い知ってしまった。
どうしよう、まずはお近づきになって、とりあえず仲良くならないと。仲良くなれたらこの際、ヤルかヤラないかは別にいい!

オリエンテーションが終わって、さっそく声をかけに行こうと思って振り返ったら、もうあの理想の彼の姿はなくて。
…なに、彼、幻だったの??

そうだよな、そんな都合よく、全部好みのタイプの人間なんて世の中にいるわけねーもん。あ、全部じゃねーや、もうちょい髪の毛長かったら完璧!だって、サラサラの髪って、触ってるだけで気持よくね?女みたいに長いのは勘弁だけど。あと、もうちょい筋肉あってもいいかなぁ。

…でも、幻ならそんなこと考えるだけ無駄だよな、切ないからやめよう。
だけど、俺は翌日、最初の授業で知ってしまった。幻なんかじゃなかったってことを。うおお、神様ありがとう!俺、生きてて良かった!!

隣の席は、昨日と同じやつが座ってる。なんだろ、もう仲良くなったのか?ま、だったら両方と仲良くなればいいだけのことか。隣の子も知らない子だし。高校一緒じゃない子は大歓迎だぜ。
今日こそは近くの席取れた。2列後ろ。授業が終わったら、さっそく昼飯に誘おう!

ところが、せっかく声かけて昼ごはんに誘ったのに、理想の彼は『行くとこあるから』って言って、教室から出て行っちゃった。うお、マジか!声も低くて、超好みだったんだけど!あの声で名前呼ばれてぇ!!

とりあえず、大学生活は始まったばかりなんだ、焦るのはやめよう。まずはこっちの、超優しそうな彼から仲良くなることにしよう。
「なーなー、俺、敦史!笠原敦史。お前は?」
「俺は深谷敏成」
下がった目尻をますます下げて微笑む敏成。んー、彼もけっこう好みです!理想の彼と一緒くらいの身長かな?あっちの方が細身だけど。むしろ身体だけならこっちの彼の方が好きかもー。

すぐにその場で愛称で呼ぶ許可をもらった。あと、それから。
「なぁ、トシ、今出てった、隣に座ってたやつの名前知ってる?」
「え?ああ、吉川くん?…吉川郁彦君だよ」
「へぇー。サンキュー」

そうかー、郁彦君っていうのかー。いい名前だなー、似合ってるなー、可愛いなー。とりあえず今日は、声か聞けて、名前GETで十分かなー?初日にしては上出来じゃないの?今日から徐々に仲良くなって行くんだ、頑張れ俺!
そんなことを考えていたら、思い切り顔に、嬉しそうなのが出てた。トシが不思議そうな表情で俺を見てるのがわかる。やっべ、ついつい嬉しくて気が緩んで出ちまった。
「とりあえず、昼メシ!行こ行こ」

嫌がられないのをいいことに、俺はトシの腕を引っ張って学食へ向かった。
まずは、トシとうーんと仲良くなろうと思った。あわよくば襲ってみようとか考えないわけじゃなかったけど、それはまぁ、まだいい。
それから、授業が一緒の時は全部、トシの隣に座るようにしてた。その隣には、ひとつ空けて郁彦君が座ってるわけだし。

相変わらず、郁彦君は昼休みと、授業の後はさっさとどこかへ行ってしまう。行き先は、トシも知らないみたいだった。
その、ひとつの手がかりが見つかったのは、翌週になってからのことだった。郁彦君が、いつもメールなのに、珍しく電話してて。

今夜は飲みに行くつもりだったけど、まだ時間は早いから、来てしまった。…外来受付の奥の、タリーズまで。
飲みに行くっていうか、なんつーかまぁ、大学生になって1週間、今のとこ何にもなくて寂しいから遊びに行っちゃおうっていうわけですよ。トシを誘ったのも寂しかったからなんだけど。

俺の記憶では、学内には他にタリーズコーヒーはなかったはず。それにしたって、郁彦君がここで誰かと待ち合わせしたのは昼休みの話なんだから、いるわけないんだけどね。

「どうした、珍しいな、こんなところにいるなんて」
「ぎゃー!!!!」
ボーッとしながらコーヒーを飲んでいたら、いきなり、気配もなく吐息がかかるほど至近距離の背後耳元から声をかけられて大声を出してしまった。恥ずかしい。

「だ、だだだ、誰かと思ったら都築さん…じゃない、都築先生かよ!!最悪!」
「久しぶりに会ったのに最悪とはなんだ、最悪とは。外来になにか用なのか?」
「違いますー、コーヒー飲んでただけですぅー」

白衣でクスクス笑ってるのは、ここの病院の医師で、大学の教授でもある都築先生。いろいろわけあって、俺は小さい頃からこの人を知ってたりする。
「駅前にスタバあるだろーが」

顔だけ見たら、思いっきり美形でイケメンなのに、なんでもお見通しって感じで腹黒くて性格の悪いこの人が、俺は実は苦手だった。性格さえなんでもなければなー、背は高いし、細身に見えて実は着痩せしてるだけでいい身体してるし、目も細いし、好みのタイプなんだけどなー、すっげー残念だわー。いや、それ以前にこの人、嫁さんいるんだけどさ。
「今日は歩いて帰ろうかなーと思ったから、駅まで行かないんですー」

ふーん、なんて。意味有りげに俺を見てるあの目は信用してない証だと思う。俺の目の前に立って、右手を顎にあてて、左手は白衣に突っ込んだままで。だけど、さすがに都築先生でも、なんでわざわざ俺が、こんなとこまで来たかまではわかんないだろうから、どうでもいいや。
…つかホント、俺、なにやってんだろ、こんなところで。

「都築先生こそなんでこんなとこにいんのさ?」
「私か?私は患者の回診をしてきただけだが」
「あっそ」

この時間にはもう絶対タリーズに来ないでおこうと思いながら、俺はコーヒーをすすった。次があるかどうかはわからないけれど。
「都築先生!」
なんか2人きりで居心地悪いな、帰ろうかな、と思っていたら、誰かが都築先生を呼ぶ声が聞こえた。

「お久しぶりです!」
都築先生も180センチ超えてるけど、走り寄ってきたのはそれより遥かにデカイ男。上下ジャージ姿で、うちの大学の名前が入ってた。よくよく見ると、あのボールのマークはバスケ部か、そりゃデカくて当たり前か。
自分より背の高い人は好きだけど、さすがにコレはデカすぎる。

「宗則君の見舞いか?将大君」
「そうです!練習早く終わったんで」

バスケ部の彼が話してるそばからポケットの中の携帯がけたたましく鳴りはじめた。
「すいません、マナーモードにしてなかった」
『にーちゃん遅い!すぐ来るって言っただろ、何分かかってんだよこのドアホー!!来ないんだったら爆発しろ!!』

たぶん、本人は通話に出るつもりはなかったのだろうが、音を止めようとしたら通話状態になってしまったらしい。携帯から、着信音に負けず劣らずの大声が響いた。
「もう下まで着いてるから!今上がるからっ!」
慌ててそれだけ告げると、通話を終え、都築先生と俺に頭を下げて、バスケ部の彼は来た時同様、慌ただしく走り去ってしまった。

「都築先生、今の誰?」
「なんだ敦史、バスケ部の佐々木知らんのか」
「知らねーよ!」

今のデカイ彼は、法学部3回でバスケ部の佐々木将大さんって言うらしい。なんか、全日本の代表入りするかもしれないって、連日協会の人が視察に来たりしてたおかげで、けっこう有名人だそうだ。でもそれは、昨年までの話で、代表入りの話は、本人が断ったからなくなったらしい。

「あの人が有名人って言ったって、なんか都築先生とはそれ以上の知り合いっぽかったじゃん?なに、まさかアイツも、親が医者だったりするの?」
「いや」
じゃあなんで、法学部の学生なんて知ってんだよ?あ、弟が先生の患者だとか?でも先生、神経内科じゃなかったか?神経内科にあんまり子どもの患者はいないような気がするんだけど。

「単にあいつ、うちの隣に住んでるんだ」
「は?」
「ホントだぞ。だからお前も、あいつの家、見てると思うぞ」
「あ、そう」

俺は、小さい頃、何度か都築先生の家に遊びに行ったことがある。ホントにすごく小さい頃だけど。
「佐々木さんの弟って、なんで入院してんの?」

2人の会話の内容とさっきの電話で、佐々木さんの弟がここに入院してるのはわかっていた。
尋ねたのは、単純な好奇心。さっき、佐々木さんの携帯から響いた声は、明らかに子どもの声だったから。小さいうちから入院しなきゃならないとか、可哀相だなーって、思わなくはないから。

「非アトピー型の喘息。多分、来週あたりに退院できるはずなんだけどな」
「やっぱ知ってる子だから気になるんだ」
「まぁな」

自分が勤務する病院に入院しているとは言え、担当が違えば普通は知らないはずだけど、さっきの佐々木さんの態度を見てたら、ご近所仲はいいんじゃないかって思ったんだ。きっと、医師としてじゃなく、隣に住んでる人として、その子のこと見舞ったりしてるんだろう。そういうところは悪い人じゃないと思えるんだけど。

ダラダラ先生と喋ってたらあっという間に1時間が過ぎてしまっていた。そろそろ帰って出かけるとするか。
「んじゃ、先生、またな」
「おー、気をつけて帰れよ」
「はいはい」
「敦史。…たまには実家に顔出してやれ」
「…やーなこった」

空になった紙パックをゴミ箱に捨てて、敦史は外来のタリーズを後にした。
それと入れ替わるようにして、弟をおぶった将大と、点滴棒を引いた郁彦がタリーズに現れたことを、敦史は知らない。

「わーい、都築先生はっけーんー!!」
「随分元気そうじゃないか、宗則君」
「元気になったのー!おかげさまで!」






















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