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scen2-21 森の神殿


途中から、なんだか森がおかしいことには気づいていた。
でも、ちゃんといつもの道が見えるから、大丈夫大丈夫。そう思いながら進んできた。この道の向かう先はきっと自分の畑じゃないと思うけれど。
いつもなら、煩いくらい話しかけてくる精霊が今日は全く見当たらない。夏至の日は精霊の力が強くなるんじゃなかったのか?

引き返そうかどうしようか。
悩んだけれど、好奇心には勝てなかった。

そうして、1時間近く歩いたムネレイサスの目の前に現れたのは、まさに『神殿』としか言いようのない建物だった。
高さ10メートル以上の柱が楕円形を成す巨大建造物。あまりに巨大すぎて、全体はどういう形をしているのかわからない。周囲を探索してみようかと一瞬考えて、やめた。
体力のなさには自信がある、自分が歩くというのか。

それでも少し、目の届く範囲を歩いてみて、明らかに扉と思しき部分は見つかった。だが、見事に氷で閉ざされている。
水属性ならどうにでもできる。炎でも燃やせば溶けるかな。風でもいいんだな、熱風なら溶けるか?それ言うなら地熱でもいい?
いくら考えてみたところで、自分にはなんの力もない。

「せっかくこんなの見つけても、なんにもできないじゃん」
ムネレイサスはがっくり肩を落として、仕方なく帰ろうと思った。
そこで、ふと気になる。

この氷って、本当に氷なの?
物理的に精霊の力を使った攻撃で溶けるなら、なぜこの気温で溶けない?
ムネレイサスはそっと、氷の扉に両手を押し当てた。押して開くと思ったわけではないのだが。

瞬間、氷の扉は跡形もなく消え去り、目の前に真っ暗な空間が口を開く。
「えっ…?」
驚く間もなく、ムネレイサスは突如出現したその空間に、吸い込まれていった。
「落ち…る!!」
身体に感じたのは、そんな感覚。

************

暖かい風が、いつもほんのり吹いていた。
それが、ユスティーナのお陰であることはなんとなく知っていた。たまに、ユスティーナが居ない時は、風を感じなかったから。
物心つく頃には、そこが、自分のために、外界とは隔離された部屋であることを理解していた。勝手に外に出ると、いつも呼吸が苦しくなるからだ。でも、外に出られないことに対する悲観は全くなかった。夏の間、特に暖かい天気のいい日は、離宮の庭までなら出られたし、時々ユスティーナが森に連れて行ってくれた。森には精霊達がたくさんいて、仲良くなると自分の部屋まで遊びに来てくれることもあった。それになにより、外に出れない代わりに自分に与えられる本の中には、無限の世界が広がっていたからだ。

「物事には、すべて、表と裏が存在するんだよ」
「どうして?」
「太陽の方を向いてごらん」
そして、言われるがままに後ろを振り返ると、そこには自分の影があった。

「光と一緒に、影が生まれる。これは仕方ないことなんだよ」
そう言って微笑む美しいひとが、好きだった。

「さて、この形はなんというでしょう?」
「せいほうけーい!」
エルフの王が紙に描いて見せた図形。得意になって答える幼い自分。

「それでは、この正方形に、三角形を4つ、くっつけたらどうなるでしょう?」
「4つ?全部くっついてなきゃだめ?」
しばらく考えて、自分が描き足した線。図形は四角錐になった。

「お前は本当に賢いね。正解だよ。…この下の正方形が地・水・火・風、4つの元素、この一番上が空。世界はこんな形をしています」
「これが世界の形なのー?」

「そう。この、上にいるからって言って、空属性が一番偉いなんてことはないんだよ。ちょっと傾けてやれば、頂点なんてすぐに入れ替わる」
紙をくるくる回して見せてくれた、あの人が言いたかったことは多分、物事は、一方向から見てもなにもわからない、駄目なんだってこと。実際、正方形を構成する四大元素のうち、一つでもいなくなったら、空属性だってそこにはいられない。世界は、色んなものが、すべて繋がって、できている。

「さて、今日最初に言ったことは覚えてますか?」
「世の中のすべてのものには、表と裏があるって」
「そうだね。では、この形を見て、なにか思いませんか?」
四角錐が描かれた紙を手渡された。

「こっちにも、頂点があるっていうこと?」
正四角錐を2つ、底面同士をくっつけて重ねたような形。つまり、空属性の真反対側。正双四角錐とか、正八面体と言われる図形。
「そう。本当は、この世界を構成する属性は、6つ、あるんだよ」

ヘルベルトがそう言って微笑んだ瞬間、目が覚めた。
「落ちるっ!」
謎の神殿に吸い込まれた瞬間から、ずっと落下しているようだった。出発点が見えない。上も下もわからない真っ暗闇の中。

待てよ。上も下もわからないほど真っ暗ならば、今落ちている方向は下ではないのかもしれない。ちょっと傾けてやれば頂点なんて変わる。上下なんて変わる。
だから、きっと、自分は落ちてなんかいない!

そう、思いきり心の中で叫んだ瞬間、落下の感覚がなくなった。
「…マジか」
今は宙に浮いているような、そんな感じ。

さてどうしようと、一瞬思ったが、先ほどの考え方が通用するならば、ある程度自分の意志で動けるような気がした。
「とりあえず立ってみよう」
やはり二本足で立っていない、浮いているというのはどうも落ち着かない。

口に出してみると、足の裏に固い地面の感触が現れた。確かに立ってはいるのだろうが、地上と、普段とはなんだか感覚が違う。
「とりあえず、どうやって帰ろう」
立っているのならば歩けるのだろうか?初歩的なことから試してみようと、足を一歩踏み出した瞬間、再び落ちた。今度は間違いなく背中から落ちている。盛大に長い髪が前になびいてくる。

「待っていたぞ!」
そして、自分じゃない者の、声を聞いた。
「…誰?」
この先に誰かがいる。人間じゃないかもしれないけど、とにかく誰かいる。そう思って身体をひねり、落ちていく方向に顔を向けると、その先に見えるのは黄色い、光だった。少し濁って見えるのは、周囲が真っ暗だからだろうか。

「私は空の精霊。待っていたぞ。お前の名はなんという?」
まじで?いきなり空の精霊なんて大物が現れちゃうの?しかもなに、もしかして僕と契約してくれるの?
ムネレイサスはその光をつかもうと、腕を伸ばした、刹那。突然、大事なことを思い出した。

「おかしいよ」
慌てて腕を引くと、どうやらこの世界の底に到着したのか、無事に着地できた。
「どうして、僕の名前、知らないの?」

今まで、ムネレイサスが精霊に名前を聞いたことはあった。ニケルやソーディオを始め、自分に話しかけてきた精霊は、ことごとく、自分の名前を当たり前のように知っていた。
「精霊なら、僕の名前くらい知ってるでしょ?」
「うるさい、いいから黙って名を名乗れ!空の精霊と契約できるんだ、名誉だろう」
「なんかおかしいよ。別に、空属性だから一番偉いなんてことはないって、聞いた」

じりっ、じりっと後ずさるムネレイサスに、黄色い光が徐々に近づいてくる。今は、自分と同じくらいの大きさだけど、あれが大きくなって、自分が包まれるようなことになったらどうなるんだろう。逃げられないのかな。

「伏せろ、クソガキ!」
上から、言葉と同時に炎と、青白く輝く矢が降ってきた。

自分にしては珍しく身体が勝手に反応し、後ろ側に飛び込んで伏せ、腕の隙間から見たものは、激しく燃え盛る青白い炎と、白い光、それから、黄金色の風。
「ええい、邪魔をするなぁっ!!」
黄色い光いが激しくうねっているのが見える。最初は綺麗な黄色い光だったのに、うねって膨張するたびに、どんどんその色が、どす黒く変わっていった。

「黙れ!貴様はそこで、未来永劫眠っていろ!!」
白い光と青白い炎が負けじと膨張していく。こっちは大きくなっても色が変わらない。僕が知っている精霊は多分こっち。理由はないけれど、確信はあった。

「逃げますよ!」
女の人の声が聞こえたと思ったら、黄金色の風に包まれて、僕の身体は、明らかに上昇していた。やっぱりさっきのは落下していたのかもしれない。

「逃さぬ!!」
すっかりどす黒くなってしまった光が追いかけてくる。捕まると思った瞬間、炎が踊った。
「アルミナ、3秒くれ!」
青白い光が、黄金色の風に包まれた自分の前に文字通り秒速で飛んできた。
「我が名はセレス。お前と契約しよう。ムネレイサス。ムネレイサス・ソイニ・ヴァルンブローム」
ほら、やっぱりね。なぜだか知らないけれど、精霊は、最初から、僕の名前を知っているんだ。

「よろしく、セレス」
そこで、ムネレイサスは意識を手放した。

実態を持った精霊は本来の力を発揮できるようになる。中でも空属性の精霊は、完全に、契約主たる人間の意識に取って代わることができた。
「すっこんでろ、この闇属性がぁあぁぁぁあぁっ!!」
雄叫びと共に振り下ろされたムネレイサスの拳。彼らを捕まえようとしていた黒い炎は一気に最下層まで叩き潰され、その隙に、風、ムネレイサス、炎の順で、四角い境界から地上に飛び出した。

「入口封印すんぞコラ!」
炎と風の力を借りようとした瞬間だった。ふらっと、なにもないところに躓いたように尻もちを付いてしまった。
「ちょっとぉ、なにこの身体!リーズは有り余ってんのに体力なさすぎなんだけどぉおぉおっ!!」
「ごめんなさい、その子、身体弱くて」
「身体弱いにしたって限度ってもんがあるだろうがぁっ、リューディアぁっ!」
黄金色の風が、はっきりと、人間の女性の形を取っていた。

「驚いたな、本当に来たのか、リューディアの息子。ふふ、確かにそっくりだ」
青白い炎もやってきて驚いている。
異世界への入り口からは、どす黒い闇属性の精霊達の雄叫びが聞こえていたが、まだ上がってくるには時間がかかるだろう。

そこに、銀色の風が吹いた。
「ぷっ。……はっはっはっはっは、なんだセレス、お前、契約の仕方、知ってたのか、はっはっは、こりゃ傑作」
人型の青白い炎と、女性形を取った黄金色の風、それから尻もちを付いた状態のムネレイサスを見て、声を上げて笑ったのはヘルベルトだった。

「笑ってねーでなんとかしろよ、フェルミウム!」
「もちろんそのつもりできた。くっくっく、まさか、お前とはなふふふふふ」
笑いながら、しかしそれでも、ヘルベルトは両手に力を集める。そして、あっという間に異世界へと繋がる扉を、元通り氷で封じてしまった。

「これで、何年かは持つだろう」
「何年かって、どのくらいだ?」
安心したのか、少し小さくなった炎がヘルベルトの隣に飛んできて尋ねた。

「持って数年かな。やはり完全な封印には鏡がいるよ」
「数年って、我々の世界では一瞬なわけだが」
「もちろんわかっている。ただ、人間は、5年もあれば、その子だって大人になるぞ」
「マジでなんとかしろよ!こいつ、力だけは有り余るほど持ってんだからよ!リューディアのだろうけど」
立ち上がれないセレスが、肩をすくめて言った。

「セレス。私はその子をなかなか気に入っているわけなのだが。…その顔と、その声で、その品のない話し方は非常に遺憾だ」
「なんだよ、うっせーな!しょーがねーだろ!好きでこんなガキと契約したんじゃねーぞ?ああーもう、なんだよ、俺様の初契約がこんなクソガキかよ?」
座り込んだままヘルベルトに暴言を吐くムネレイサスという構図は、人間が見たら卒倒しそうなものであった。

「しかし、ムネレイサスが今はお前の力を満足に扱えないだろうという、これは事実。…お前、少し、寝てろ」
「はぁ?」
不思議そうな表情のセレスの目の前でヘルベルトが空中に文字を書いてゆく。

「ヘルベルト様」
呼ばれて指を止めると、ヘルベルトの横に黄金色の風が来ていた。
「この子の強すぎる力も、なにか弊害を起こすかもしれない。この子に、これを」
言うと、風は透明なネックレスに変わった。ヘルベルトの手のひらの上に、ゆっくりと降りてくる、光の具合によっては虹色に光るネックレス。

「なるほど。体力がついてくるまで、二重に封じるということか、わかった」
ヘルベルトは再び、空中に文字を描き、人差し指をムネレイサスの額に当てた。
すとんと眠りに落ちるように、セレスの意識がなくなって、倒れた身体をヘルベルトが支え、先ほどのネックレスを首に付けてやる。

「さて、アルミナ。ここの守りがお前一人になってしまったのだが」
「数年でしょ?なんとかしてみせますよ、炎の王の名にかけて」
「そうか、頼むよ」
「入口あたりに四大属性揃ってる気がするから、心配なら、この森ごと封じてしまったらどうです?俺は、この封印がどうにかならない限り、ここから動く気もないし」
「そうだな、そうするよ」

ヘルベルトはムネレイサスを抱き上げ、宙を舞った。
見送るのは炎の王アルミナのみであったが、一瞬で米粒ほどの大きさになって、南の空に、見えなくなった。


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