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scen2-18 歓迎の宴A


ヴィルヘルムは、食事の後、仕事に戻っていった。この時期が一番忙しい音楽隊の次官、ほとんど家には帰れていないらしい。
「エーベリト、ちゃんと帰るんだぞ?」
「父さん、俺、そこまでガキじゃないよー?」
「いざとなったら僕の部屋泊まっちゃいなよ!」
「やったぁ!王宮は嫌いだったけど、ミカちゃんの部屋なら大歓迎ー!」

無邪気に喜ぶ息子に若干の不安を覚えながらもヴィルヘルムは帰っていった。
恐らく敬語くらいは使えるはずだが、まさか王子と友達になるだなんて、全く思っていなかった。
自由奔放に育てすぎたのかもしれない、こんなことになるなら、もうちょっと厳しくすれば良かったと。
国王筆頭に偉い人がたくさんいるこの王宮で、頼むから粗相だけはしないでくれ息子よ!…と、ヴィルヘルムは祈るような気持ちだった。

「ラーゲルフェルト伯、せっかくなので、父に挨拶して行ってください」
待ってましたというように、伯爵は息子を伴ってフレデリクに着いて行った。

「ねぇ、今日って、ミカちゃんの好きな人、来てるんじゃなかった?」
二人きりになったところで、エルが小声で言った。
「ええっ!そ、そうなんだけど、ま、まだ、ほとんど話してなくて…」
「どこにいるのー?会いに行けばいいじゃーん!俺も付いてってあげるから!」

エーベリトが歩くだけで女達が振り返る。慣れっこなのか、本人は全く気にしていないようだったけれど。むしろ一緒にいるムネレイサスの方が『誰よ、あれ?』というような冷たい視線を浴びていた。すぐに、百合の刺繍に皆気づくのだけれども。

「そういえばねーエル。兄上がね、フラれたんだよ」
「えーっ、まじでー!やったじゃん!ミカちゃんの出番じゃん!」
「そう、なのかなぁ?」
エーベリトはムネレイサスの両手を握って明るい声を出す。

「そうだよぉ!お婿に行っちゃうのはちょっと寂しいけどシャンナだから、俺遊びに行けるよね?スカラって言われたら泣いちゃうけどー」
「ほう、どうして泣いちゃうんだ?」
突如、気配もなくムネレイサスの真上から声が降ってきた。

「えーっと、あの…」
ムネレイサスの手を握ったまま、目の前に突如現れた、自分と同じくらいの身長の人物をエーベリトはじいっと見つめた。短い銀髪、緑色で切れ長の瞳、なにより目を引く尖った長い耳。
「だ、だって、俺、スカラには、行ったことないんですもんー」
「ならば来ればいいじゃないか。私は観光客を拒否したことはないぞ?」
「ヘルベルト様!」
ムネレイサスの背後に気配もなく立っていたのはスカラ国王ヘルベルトだった。

「ご、ごめんなさいー、おれ、別に悪口言ったわけじゃないんですぅー!俺の母さんがシャンナ人だから、何回も行ったことあるからってだけでー」
エーベリトは、ヘルベルトとは当たり前のように面識がなかったが、突然目の前に現れた人物がエルフであることくらいはわかる。加えて、今この国に、正式に来ているエルフと言えば、スカラ国王もしくは副王の二人だけ。どちらかであることは間違いないのだ。

「ほうほう、で?ムネレイサスとシャンナがどうして繋がるのかな?」
「そ、それは聞かないでくださいっ、ごめんなさいヘルベルト様ー!」
エーベリトと繋いでいた手を離して顔を隠して謝ったのはムネレイサスだった。

「俺も、ムネレイサス様との、男と男の約束だから、言えませんっ!」
エーベリトも恐る恐るながら、口をつぐんて横を向いた。
「それは仕方ないな。…ところでムネレイサス。お前、随分面食いだったんだな」
自分の方を向いたムネレイサスの両頬に手のひらを当て、ふにふに揉みながらヘルベルトは言った。

「それってもしかして俺のことですかー?俺なんて所詮人間レベルでしょー?エルフ様には勝てないと思いますけどー。あ、ムネレイサス様があなたのこと好きだって話ー?それなら納得ー!」
周囲にいた人々は、エーベリトの命知らずな言葉遣いに度肝を抜かれていたが、ヘルベルトは、ムネレイサスの頬から手を離さずに、切れ長の瞳を一層細めただけだった。

「ぼ、僕、ヘルベルト様は、昔から大好きだよ?」
「…お前、面白いな。名はなんという?」
ムネレイサスが慌ててフォローを入れるが、ヘルベルトは聞いていないようだった。いや、聞いていないようで、しっかり聞いているのだこの方は。

「俺ですか?俺はぁエーヴェリト・イザイア・ノルデンショルドですぅ。父さんは貴族の息子だけど、次男だからー、俺はただの人ー」
「へ、ヘルベルト様?エルは、僕の友達なんですぅっ!だからね、あのね」
悪い子じゃないから、許してぇ!と、ムネレイサスは言うつもりだった。自分の話なら聞いてくれるかもしれないと。しかし、真っ当に喋れないほど、ヘルベルトに頬を引っ張られた。

「心配するな、ムネレイサス。こやつ、かなり強い力を持っている。早急に鏡の中に放り込みたくなっただけだ」
「強い、力?って、どういうこと?」
やっと頬から手を離してもらい、エーベリトと顔を見合わせたムネレイサスに、更にヘルベルトは続ける。

「お前がやった力だろう?随分相性が良かったようだな」
その言葉を聞いて、ムネレイサスとエーベリトは同時に赤くなった。なにを言われているか理解したからだった。
「か、鏡って、なんですか?」
「明後日になったら教えてやる。エーベリト、この夏至祭中に、ヨハンネスの名でお前を王宮に招待しよう」

「えええええっ!?」
エーベリトの悲鳴も拒否も、はなから聞いてなどいない。ヘルベルトはそのまま行ってしまった。その様子を、レオシュが近くで見ていた。
「なにやってるんだろ、あの人。楽しそうだなぁ」
周囲に思われているイメージは、わざと作り上げた感がある。実際には、ヘルベルトもレオシュも、相当人間の相手が好きなのだった。それでなければ、生の長さのあまりに違う人間などと関わろうとは思わないのだ。

「え、エル、今のは、スカラ国王ヘルベルト様だよぉ!視線だけで人間を射殺せると言われるお方だよぉ!な、なんにもなくて良かったぁ!」
「ええええっ!そんな怖い人だって、早く教えてよ!!ミカちゃんの馬鹿ぁ!」
今更半泣きになるエーベリト。

「だって教える暇なかったんだもんー!」
「ねぇねぇ、ってことはもしかして、ヨハンネス様って国王陛下?なんで俺が国王陛下に呼び出されなきゃならないのー!」
「ぼ、僕だって知らないよー!」
半泣きの二人が喚いていると、何事かと人が集まってきた。

「…ムネレイサスと、エーベリト?なにやってるんだ?」
「マルティアス兄上ー!!」
ムネレイサスが、兄の姿を見て飛びついた。

「俺、あんたでいいやー!オルヴァーさーん!」
その隣にいたオルヴァーにエーベリトが。
「あんたでいいとは、随分な言い草だな、オイ」
言いながらも、自分に甘えてきた子には優しく、頭を撫でてあげるオルヴァーだった。

************

「ねぇ、ウルリーカ」
「はい?アンティアナ様」
呼ばれて振り向いたウルリーカ。
アンティアナの二言目の替わりに、手の平がきた。
ムギュッ

「あ…あの…」
アンティアナの右手で左胸をわしづかみにされ、動くに動けないウルリーカ。
「どうやったらこんなに大きくなるのよっ!!」
「いや…その…」

あまりにも真剣なアンティアナの表情に、苦笑するしかないウルリーカ。
「手に収まりきらないじゃないのよ!なんでなのよっ!」
「いや…大きいのも困るんですよ?私なんて特に、普段男装だし」
「あたしなんか成長したのは身長ばっかりよ。リベラ人じゃないんだから、こんなにいらないのに」
ふくれてみせたアンティアナに、『ああ、この人もこんな表情するんだ』と、ウルリーカは少し感動を覚えた。

「そのスタイルだったら、何の問題もないでしょう」
よくよく考えてみれば、18歳のアンティアナはウルリーカの3つ年下だ。普段のウルリーカがそうであるように、アンティアナも立場上、周囲に同世代の女性がいないのかもしれない。

「アンティアナ様、中庭に出ましょうか」
二人きりで女同士の会話も楽しいかもしれないと、ウルリーカは王女を庭へ誘った。近くに、気配を消したナタリーナがいるのはわかっていたが。

「こうも大きいとねぇ、普段布でぐるぐる巻きですよー」
身体のラインのピッタリ出たドレスを着ているアンティアナだが、貧乳というわけではない。むしろ、そのくらいでよかったのになぁ、動きやすくて、と思うウルリーカ。

「ねぇ、ウルリーカ」
さっきまでの口調とは全く違う静かな声でアンティアナが呼んだ。
「あなたは、あの人の側にいて、何とも思わずにいられるの?」
ウルリーカはハッとなった。この人を中庭へ連れて来たのは正しい選択だったようだ。
見つめ返すと、深刻と言っても良さそうな程の真剣な眼差しが自分を捉らえていた。

「私は…あの方の所有物にすぎませんよ」
生まれた時からずっと、そばにいた。あまりに近すぎて、家族のようになってしまった。愛してはいるけれど、それは恋愛感情じゃあない。
「だから、あの方に愛されたいとは思いません」
「…ウルリーカ」

「でもねぇ、アンティアナ様。ここだけの話ですよ。数年前まで、私は妃になるんだって、思ってたんですよ」
笑ってやって下さいと言いながら、ウルリーカはケラケラと自分も笑った。
誰でもわかるように、露骨に誘ったのだ。でも、逆に謝られた。
「あの人が私を女として認識してなかったみたいです」

「俺はここで親友を失いたくはない」
彼は言ったのだ。『お前と、男女の仲にはなりたくない』と。
最初は意味がわからなかったし、腹も立った。けれど彼は馬鹿ではなかったのだ。
あの時、勢い余って結婚していたら、どうなっただろう。少なくとも、アルフォンスの眉間の皺は、今より少なかったかもしれない。

(惜しいことしたかなぁ…)
ほんのちょっとではあるが、思わずにはいられない。
「今では、あの方は私の分身みたいなものですよ」
もしかしたらあの時、すでに彼はこの方に恋していたのかもしれないと、今なら思うこともできる。

あれ以来、女として生きる道は捨てた。それでも、ウルリーカには悔いはない。
「そう、羨ましいわ…。でも、私が決めたのよね…」
彼の近くにいられることも、近くにいながら、求めずにいられることも。

アンティアナは今にも泣き出しそうな表情だ。数日前、彼をおもいっきり振った人。でも、彼女とて、悩まなかったわけではなかったのだと、ウルリーカは初めて知った。
「でも、あなたはそれでいいの?男として生きて、それであなたの中の女の部分は何ともないの?」
アンティアナの問いに驚いたのはウルリーカの方だ。今まで誰一人、そんな問いを自分に投げ掛けた人はいなかったのだ。

「私は…幸いですが」
ちょっと赤くなって視線をはずしたウルリーカ。なかなか次の言葉が出てこない。
咳ばらいをひとつ。

「私を女として扱ってくれる者がおりますので。私を…ただの、一人の女として」
ここだけの話ですよ!と珍しく取り乱したウルリーカが念を押す。

「あらー?それは知らなかったわぁ?誰?誰?誰?」
今日この会場に来ているの?と嬉々とした表情で食いつくアンティアナ。先程までの、泣きそうな表情はどこかへ行っていた。

「いーるのはいますけど、ただの警備ですよっ」
「あら、どこかしら?どこ?」
「アンティアナ様っ!教えませんよ!」
もしも普通に女としての人生を生きたなら、こういうことが日常にあったのかもしれないと、二人共思っていた。
でも、そんな生き方を選ばなかったからこそ、得る物もある。

この時のこの二人を、かなり離れた茂みの陰から、覗いている人物がいた。
「えーい、何話してる?」
「聞こえませんってば、さすがにこの距離じゃ」
「もっと近くに行けないのかっ?」
「マルティアス兄上のそのガタイじゃ、すぐ見つかります」

「俺、聞いてきてあげよーかぁ?」
「お前が行くとややこしくなるからやめとけって」
ある程度は冷静なムネレイサスと、女同士の会話の内容が、気になって気になって仕方がないマルティアス、それから、その後ろにオルヴァーとエーベリト。

「のぞき見はいかんなぁ、のぞきは」
4人の後ろに、いつの間にか、涼しい顔のヘルベルトが立っていた。


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