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scen2-16 失望と期待


風呂に入って着替えを始めたら、寝てていいと言ったのにサーラが起きて制服を着ようとする。
とりあえず、自分の寝間着を着せて、気がすまないなら手伝ってくれていいけど、終わったら寝ること、と言いつけた。

正装までしなくても大丈夫だろう。いつも通りの服装なら、一人でも着られるというのに。
「ムネレイサス様、髪の毛はどうされますか?」
「上げなくてもいいと思うんだけど?」
腰まである長い髪の毛を、頭の高い位置で結んでくれているのは、いつもサーラだった。

「座っていただければ、すぐできますよ?」
「じゃあ、お願いします」
サーラが手際よく髪をとき、まとめて上げてゆく。その時だった。

「おい、マセガキ起きろ!」
勢いよく扉を開いて、オルヴァーが入ってきた。

「おっ、起きてたか、お前。大事件だ!」
「知ってるからちょっと待って」
それから1分もたたぬ間にサーラは髪の毛を結い終わる。

「じゃあ、僕は行ってくるから、サーラは寝てなさい」
命令という形にでもしないと、サーラは仕事を始めそうだったから。ぎゅっと一瞬抱きしめてあげて、唇を重ねオルヴァーを促した。

それまで涼しい顔をしていたオルヴァーだったけど、部屋を出てからは急ににやにやし始めた。
「なーにお前、とうとう大人になっちゃった?」
「脱童貞って意味なら、とっくに大人だったけど?」
迎賓館。あの狂った建物に、男しか来ないなんて誰が決めたというのか。でも、オルヴァーは公爵本人のお気に入りだったらしいから、女は相手にさせられてないのかもしれない。

「マジか、そいつはすまん」
「いーけど。後で聞いて欲しいこともあるし。……で。大事件って、マルティアス兄上がフラれたって話でしょ?」

その、マルティアスの部屋の中に入ってから、ムネレイサスは続けた。
「お前誰に聞いた?俺さ、マルティアス様起こしに来たら魂抜けててさ。ウルリーカに彼女の方行ってもらったんだけど?」

ベッドの上に座るマルティアスは、確かに『魂が抜けてる』と、オルヴァーが表現したのもうなずける有り様だった。
一晩で10キロは痩せたんじゃないかと言いたくなるほどに顔から生気は抜けがっくりと肩を落として座り込んだまま。目の下のクマから察するに、もしかして一晩こうだったというのだろうか。

「この有り様だからさ、間違いねーとは思ったけど、マルティアス様なんにも教えてくれないし、確信はなかったんだよ」
真っ先にウルリーカのところへ行き、事情を話してアンティアナの方を探ってもらうよう頼んでから、オルヴァーはムネレイサスの部屋へ駆け込んだのだった。アンティアナの方をウルリーカに任せたのは、もちろん女同士の方が話しやすいだろうという理由。アンティアナとウルリーカは仲もいい。

「ニケルー」
持ってきたピンクオパールのボタンを空中に投げると、ポンッと精霊が現れて、ボタンを捕まえてくるくる回った。それから、マルティアスのベッドの横の机の上に着地する。

「お前、宝石があればいつでもどこでも呼び出せるとか思ってないだろうなっ!」
「そうは思ってないけど、さっき僕の部屋にいたじゃない。どうせまだ、近くにいるだろうと思いました」
というわけで、あらましはニケルから聞いたのだとオルヴァーに話した。
ピンクオパールを受け取った手前、ニケルは先ほど、自分達に話したのと、ほとんど同じことを、オルヴァーに語って聞かせた。それは、もちろんベッドに座ったマルティアスにも聞こえている。

「そう、だったんだ」
話を聞き終わってから、ぽつりと呟いたマルティアスの表情は、だいぶマシになったような気がする。
「言ってくれれば良かったのにな」

マルティアスが言うには昨夜、食事会の後、しばらく経ってからアンティアナがこの部屋を訪れた。しばらくお酒を飲みながら楽しく話していたのだが、そろそろベッドへ…という段階で突然『もうあなたとはいられないの』と、言われたらしい。

なぜ、どうして?と、いくら尋ねても答えてはくれず、終いに『あなたが嫌いになったのよ』と言って、彼女は部屋を出て行ってしまったそうだ。

「そうか、アンティアナ、女王になるのか。きっと、きれいだろうな。楽しみだよ」
その点については、全く同感だと、ムネレイサスもオルヴァーも思った。正式な戴冠式の日程が決まれば、すぐにこの国にも連絡が来て、国王が出席することになるだろう。

「兄上、ご自分のことは、どう思ってらっしゃるのですか?」
オルヴァーは言えないと言っていただろうか。いや、言っても聞いてくれないだったか。とにかく、それなら自分が言うしかないと思った。

「あなたも、このリベラメンテ王国の第1王子なんですよ」
口調が厳しいものになってしまったが、仕方ないと思う。

「ムネレイサス。…俺じゃなきゃ、駄目なのかな?だって、お前やフレデリクの方がずっと賢いし、父上だって、第2王子だったんだし、なにも、俺じゃなくても…」

言いながら、マルティアスの両の瞳から、涙がぽろぽろこぼれていた。
「しかし、マルティアス様それでは…」
オルヴァーが言いかけた時、勢い良く部屋の扉が開いた。ノックもなしに入ってくるなんて誰だ?

「お前がそんなに女々しいとは思わなかった、マルティアス」
ノックもなし、返事もきかず、入ってきたのはスカラ国王ヘルベルトと、副王レオシュだった。
「現在取り込み中です!お引き取りください」
「精霊使いでもない人間になど用はない、下がれ」

素早く膝をついて懇願したオルヴァーを一蹴したのはレオシュだった。しかし、オルヴァーは引き下がらない。緊張が走る。しかし、ヘルベルトは、膝をついたオルヴァーには見向きもせずに横を通り過ぎ、マルティアスの前まで歩み寄った。

「マルティアス、お前は本気で、そう思っているのか?自分じゃなくてもいいと?」
「…わからないのです、ヘルベルト様」

本当に自分でいいのだろうかと、考えれば考える程に、自信がなくなる。弟達の優れたところばかり目に入る。誰かがやりたいと言うのなら自分は妨げたくはない。むしろ誰かが言い出してくれればいい、自分が跡を継ぐと。兄弟にいなければ、公爵の息子でもいいじゃないか。責任を負いたくない、自分の肩に全てが乗るのが怖い。

「想像以上に後ろ向きな人間だったのだな、マルティアス」
「申し訳、ありません」

自覚がなかったわけではなかったのだ。わざと、考えないようにしていた。これでは、オルヴァーがいくら言って聞かせても無駄なのも当たり前だ。もちろん、わざとそこは考えないのだから、次の女王になるアンティアナと付き合うこともできたのだ。

「失望したよ、マルティアス」
話しながら、マルティアスが一度も顔を上げないことにも、ヘルベルトは苛立っていた。
「行こうレオシュ。こいつと話していても無駄だ。ムネレイサス、離宮に行くから、お前も来なさい」
「あ、は、はい」
皆が言うように『怖いヘルベルト』を、初めて見たムネレイサスは正直驚いていた。確かに、視線だけで人間を射殺せるとか言われても仕方ないと思った。

「お待ちください、ヘルベルト様」
ずっと膝を付いたままだったオルヴァーが声を張り上げた。
「なんだ貴様、まだいたのか?」
剣でも抜きそうな勢いだったレオシュを制したのはヘルベルトだった。

「確かにマルティアス様は甘いです。恐らく、自分にも周りにも。思っていることは顔に出るし、優しすぎるが故に、敵を斬り捨てることもしないかもしれない。ですが、私は、それでも、この方を信じていますっ!時間はかかるかもしれませんが、ちゃんと、全て自分で考えて、乗り越えてゆける方だと信じております。今しばらくお時間をいただけないでしょうか」

それこそこの場で斬り捨てられるかもしれない。が、オルヴァーは黙っていられなかったのだ。
「ヘルベルト様、僕からもお願いします。まさかマルティアス兄上が、こんなに後ろ向きだなんて、僕も驚いたけど、でも、きっと兄上なら、ちゃんと前向いてくれると思うんだ」
ムネレイサスも小走りにやってきて、オルヴァーの隣で膝を付いた。

「顔を上げなさい二人とも」
不安そうな表情のムネレイサスと、オルヴァーが命じられれるがままに顔を上げた。自分を睨みつけるような、強い視線に、ヘルベルトは目を細めた。

「オルヴァー・イスト・ライル。夕食までに、その馬鹿を少しは見られる顔にしておけ。レオシュ、ムネレイサス、行くぞ」
すたすた歩きさってしまうヘルベルトに、唖然としていると、レオシュに腕を引っ張られて、無理矢理立ち上がらされたムネレイサス。
「あ、あの、オルヴァー!これあげる!」
マルティアスの部屋を引っ張り出される寸前で投げつけたのは、ピンクオパールのカフスボタン、残りの2個だった。恐らくオルヴァーなら、その意味や使い方を理解してくれるだろう。

廊下を抜け、階段を下りながらレオシュは不満そうな声を上げた。二人に挟まれるような格好になって、仕方なくムネレイサスは黙って歩みを進める。
「ヘルベルト様、夕食まで、だなんて、甘すぎるんじゃないですか?まだ午前中ですし」
「そうかもしれんな。…だが、これでいいのだよ。まだ、あんな目をする者がこの国にいたとはな、楽しみじゃないか」
あんな目というのはオルヴァーのことだろう。隣にいたムネレイサスからは、ものすごい勢いでヘルベルトを睨みつけているようにしか見えなかったのだが。

「あれはいい精霊使いになりそうだ。…出会えれば、の話だが」
「オルヴァーが精霊使いになるんですか?えっ?…その前にヘルベルト様、僕はー?僕はどうなんですかー?」
「お前はわからん」
先ほど、オルヴァーに対して予言めいたことを言ってみせたヘルベルトだが、ムネレイサスにはあっさり一言で済ませた。

「ヘルベルト様でも、わからないんですか?」
しょんぼり肩を落とすムネレイサス。
「私だって、全ての未来が見えるわけではないよ。なにもかもわかってしまったら、つまらないじゃないか」
さっきのオルヴァーのように、予想外のことをする奴がいるからこそ、この世界は生きていて面白い。ヘルベルトのその言葉を聞いてひとつ気になったことがある。

オルヴァー、気に入られたんじゃないのかな。

************

ムネレイサスが投げてよこしたのは、ピンクオパールのボタンが2つ。なにかあったらニケルに頼れって言うんだろう。相変わらず気の利くマセガキだ。そのニケルは、ヘルベルトが登場したあたりから姿が見えないが、さっきなにもない空間にこれを投げてムネレイサスは呼んでいた。ああいうことも可能なのだろうか。

それにしても夕食までとあの方は言ったか。あと7時間もあるじゃないか。だいぶ怒っていたように見えたが、随分甘いな。やっぱりムネレイサス様がいたからだろうか。
とにかく、自分にできることをするしかないのは事実である。なにもしなければ、7時間なんてあっという間だ。

「マルティアス様。俺の話を、聞いてもらえますか?」
先ほどと同じように、ベッドに座ったままだったマルティアスの向かい側に、椅子を持ってきてオルヴァーは座った。
「この際、次の王太子の件は、今はどうでもいいです。あれもこれも、同時にいろんな物事を考えられるほど、器用な方じゃないってのは、よくわかってますから」

「悪かったな」
ようやく、ちょっとだけ主が笑ったのを見て、オルヴァーはひとつ安心を覚えた。

「いいんですよ。そういうあなたが好きで、ここまで着いてきたんですから。だから、もしあなたが、次の王太子にならないなら、別に俺は、ならなくてもいいんです。でも、俺を従者として雇えるくらいは稼いでもらわないと困ります」

「お前、そんな風に思ってたのか」
ようやく、いつものマルティアスに戻りつつあった。

「そうですよ。あなたが、継ぎたくないのなら継がなくてもいい。しかし、そのためには、ちゃんとした理由が必要でしょう。国王陛下や、王太子殿下を納得させられるだけの。でも、それは今はいいんです」
膝と膝がくっつくほど、オルヴァーはマルティアスに近寄った。

「だいたいですよ?あなたが、この国の王位継承権を放棄して、どこかの国に婿に行ったとします。この際シャンナじゃなくても、どこでもいいですよ。俺はどうするんですか?まさか、俺やウルリーカまで連れて行くつもりだったんですか?」

「いや、そういうのは、考えてなくて…」
常識的に考えて、部下まで連れて婿入りするなんてことは有り得ない。
「それじゃあ、とりあえず今は考えるのはやめましょう」

生まれた時から第1王子という立場でありながら、『考えてない』というのは、普通ではありえないことだったし、オルヴァーも正直驚いてはいた。だが、そんなことを今言っても始まらない。
俺そんなに甘やかしすぎたかな?とは思ったが、三つ子の魂百までという。8歳までのマルティアスは、全く自分の知らないところで育っている。俺のせいだけでもないはずだ!などと、顔には全く出さないが、オルヴァーはいろいろなことを考えながら言葉を紡いでいた。

「今、あなたがそんな顔をしているのは、アンティアナ様とのことでしょう?まず、今はそっちから解決しましょう」
「解決って、言ったって」
一方的に別れを告げられた。理由はさっき、わかったけれど。わかったからこそ、やり直すなんて選択肢がないことも知っている。

「だから俺、ちゃんと聞きますから。話してくださいよ、あの人とのこと。忘れろとは言いません、でも、話したら少しすっきりするかもしれないでしょう?」
マルティアスが話したがらなかったせいもあるが、オルヴァーも、ちゃんと聞いてあげたことはなかった。二人で何を話したとか、彼女のどういうところが好きだとか。

「あなたが、大人になってから、俺はあまり言いませんでしたけど。今だって同じなんですよ。哀しいことは、俺に話してください。そうすれば、きっと半分になりますよ」

「オルヴァー…ごめん」
あれ、タイミング悪かったかな?せっかくちょっと笑ったと思ったのに、マルティアスの瞳から、ぼろぼろ涙がこぼれ始める。まだ、話してくれる気になっていなかっただろうか。

「お前はいつも、そうやって」
話せば解決するというわけじゃない、そんなことでもなんでも聞いてくれた。朝まで、抱っこしてくれて。
「泣くけど、いいか?」
しかし、ちゃんとマルティアスは話してくれる気になったようだ。言いたいことを言って、楽しかったことも苦しかったことも後悔も全部、言い切ってしまって、それでもまだ、マルティアスの表情がすっきりしなかったら、それはその時に考えればいい。

「マルティアス様?あなたの泣き顔なんて、俺は見慣れてるんですよ?」
今じゃすっかり大きくなって、抱きしめてあげることは少なくなったけれど、歳の差が埋まるわけじゃない。
「そう、だったな」
マルティアスはぽつぽつと、自分が彼女のことを、どう思っていたのか、そこから話し始めた。


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