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scen2-11 酒宴


広間に戻ったフレデリク。日付が変わった時間だというのに、外がまだ明るいせいか、人でごった返していることには変わりなかった。ぐるっと一周してみたけれど、ベアトリス様の姿も、マルティアス兄上やウルリーカの姿も見えない。

「アセチル基」
「ヒドロキシ基」
「ケトン!」
「スルホ基」
「カルボキシ基」
広間からバルコニーに繋がる大きな扉のひとつ。その前に座り込んで、盛り上がっている三人組の姿を見つけた。

「エステル結合」
「アミド結合」
「じゃーペプチド結合っ!」
「おんなじモンだろーが!」
「定義が微妙に違うからいいんですぅー」
だいたい僕生物系だしー!と舌を出すムネレイサスの首をしめる真似をしているのは兄の従者オルヴァー。あの二人の仲がいいというのは知っていたけれど、今日は一人多い。

「まぁまぁ、はい、アゾ基」
「ニトロ基」
「二人の身体にいっぱい溜まってるアルデヒド!」
「エーテル結合」
「シアノ基!」
「えーっ!あとなんだっけ、あ、アミノ基、出てないよね?」
「まだあるよー。とりあえずチオール基ねー」
「…一体、なにをやってるんですか?」
ついつい、しゃがんで声を掛けてしまったフレデリクである。

「フレデリク兄上も入ってー!古今東西官能基!名前をいっぱい言えた人が勝ちー!」
気になっていたもう一人の人物は、どうやらウルリーカの兄クリスティアンらしい。確か王都の学院の実験室を爆破して、ユースの学院で初等教育過程の教師をしてるっていう。
そういえば、クリスティアンやウルリーカの母上のベアトリス様って、薬学博士だったよな。オルヴァーは弟子のはずだ。

薬学関係者二人を相手に、お題が官能基じゃムネレイサスが不利なんじゃないかと思ったが、弟の記憶力が自分以上だったことを思い出した。

「んじゃーフレデリク兄上から!古今東西強酸の名前っ!」
「……チオシアン酸」
「いきなりそれ!?」
ぶはっと吹き出したのはオルヴァーだった。よく見てみれば、オルヴァーとクリスティアンはお酒を飲みながらこのゲームに興じている。

「フレデリク様最高です!!」
いきなりクリスティアンに抱きつかれた。
「貴方様のようなお方がいてくだされば、薬学界の未来は明るい!」
言いながらクリスティアンの顔が近づいてくる。
「ちょっと!」
慌てて顔を背けたら、柔らかい唇が左頬に落ちた。

「どうして避けるんですかぁー?」
「けっけっけ、逃げられてやんの!だから俺で我慢しとけって、ほーら」
自分から離れたクリスティアンとオルヴァーの唇がチュッという音を立てて一瞬重なる。

「クリスティアンって、酔っ払うとキスしたくなる人みたい。僕もさっきからされまくってるー」
「あ、そう」
さっきからされまくってるで済んでしまう弟のマセガキっぷりも、今更ながら頭が痛い。

「だいたいー、フレデリク兄上も薬学専門ではないよねー?あ、僕りゅーさーん」
自分は、薬学もかじったと言えばかじったのだが。医学を専攻するのに必要だったから。
「俺えんさーん!塩化水素見参っ!みたいな!」
「硝酸っ!」
笑ったり抱きついたりしながらもゲームが継続しているらしい。まさに酔っぱらいのテンション。

「ヨウ化水素酸。…強酸って、そんなにないと思うんだけど?」
ついつい、答えてしまう。
「うん、僕もそう思った!失敗したねっ、ベンゼンスルホン酸」
「臭化水素!おいおい、むしろ強塩基の方が多いんじゃねーのか?」
「過塩素酸。…強酸はこんなもんかなー!お題が悪いからムネレイサス様が飲みなさい!」
「えーーーーっ!」
文句を言いながらムネレイサスは自分のグラスに入っていた、うっすらピンク色のついた透明な液体を一気に飲み干した。

「えーって言うけどお前それ、アセロラジュースだろーが!」
「だって僕まだ未成年だもーん!」
この調子で、ゲームに負ける度に飲んでいるから、酔っぱらい二人が出来上がったんだろうということは、容易に想像できる。

「なぁ、ムネレイサス、ベアトリス様、知らないかい?」
唯一素面の弟に尋ねてみた。テンションは酔っぱらいの二人と変わらないが、一滴も飲んでいないようだったから。
「母なら1時間程前に帰りましたよー。俺、置いてかれちゃったー」
「酔っ払ってっからだろーが、っはっはっは」
クリスティアンとオルヴァーがお互いを指さしながら大声で笑った。

「じゃあ、しょーがないか」
後で手紙でも出すしかないかと思って、フレデリクは三人組から離れようとした。これ以上ここにいたら飲まされそうな気がする。
「フレデリク兄上」
持っていたグラスを置いて、立ち上がったムネレイサスがフレデリクの腕を掴んだ。

「なにか、いいことでもあった?さっきまでと、全然顔が違うよ?」
「な、なんでだよ?別に、なにも、ないけど…」
どうしてこう、末の弟は聡いのだろう。それとも、そんなにも顔が違うというのだろうか?

「別に、言いたくないんだったらいいけど。なんかちょっと、安心したよ」
こんな子どもに心配されてしまったというのが、なんだか今は恥ずかしかった。いや、この弟が幼いのは単純な年齢と身体だけの問題で、精神的な中身は13歳だとは思わない方がいいのだが。
「に、2、3日、女性を、部屋に泊めれることになったら、お前だったら、どうする?」

口に出してしまってから、自分はいったい何を言っているのだろうと思った。イングリッドを部屋から出すつもりなんてない。食事や着替え、お風呂も全部、部屋から出なくたって事足りるんだから。

「侍女の制服着せればぁ?ただでさえ夏至祭で忙しいんだから、手伝いに回されたで済むだろうし。侍女全員の顔覚えてる人なんていないと思うよ」
しかし、弟の返答は、あまりにも予想外のものだった。

「なーに、フレデリク兄上、彼女来たの?ちょっと、紹介してよ!美人なんでしょ?ねっ、ね?いいじゃん?」
「ち、違うよ!なに言ってんだ、お前はっ!聞いてみただけだろっ、今後の参考に!」
慌てて一生懸命否定してみせたけど、絶対に疑われてる。なに言われるかわからない。本当にこいつ、マセガキだった。

「ま、いーや。2、3日なら宴もないし、ゆっくりイチャイチャすればいいんじゃない?いーなー羨ましいー」
「おーい、マセガキー!なに内緒話してんだよ?」
二人で話していた時間が長すぎたのか、オルヴァーが声をかけてきた。結構大きな声で。
「歩く成人指定には内緒ー!」
あ、歩く成人指定って…。オルヴァーって、そんな名前付けられてるんだ。

「じゃあ、俺には教えてくれるんすか?」
「うーん、歩く爆発物製造機はー、どうしようっかなー」
どうやらクリスティアンにも、変な名前が付いているらしい。じゃあまたねっ!と、元気よく手を振ったかと思うと、ムネレイサスは再び酔っ払い二人の相手を始めた。

「歩く爆発物製造機って、おまっ、ぴったりすぎ、ぎゃはははは」
「歩く成人指定の方がどうかと思うよ俺は!」
「大丈夫大丈夫、ムネレイサス様は歩くマセガキだからよ、ひゃひゃひゃ」
オルヴァーって、笑い上戸なんだろうか。さっきからずうっと笑ってる。まぁ、泣き上戸よりはよっほどマシか。

「マセガキに歩くってわざわざつける必要なくなーい?」
「いいんだよそれで。よしっ、歩くマセガキ!きゃはははは」
「うむっ!歩くマセガキのムネレイサス様が負けたんだから、お題決めていいっすよー!」
クリスティアンの言葉は、勝者の余裕に見えた。恐らく、本当にそうだったのだろう、ここまでは。

「そうなの?それじゃあね、いくよっ古今東西!コケ類の名前っ!」
「ちょっ、お前っ!」
オルヴァーから笑顔が消えて、明らかに動揺を見せていた。

「す、スギゴケっ!!」
恐らく唯一名前がすぐ出てきたのだろう。順番など関係なしに、クリスティアンが叫ぶ。
「クリスティアンお前っ!えーっと、えーっと、ゼニゴケ!」
「まーだまだいっぱいあるよー?ハイゴケ、ヒカリゴケ、ギンゴケ、ナンジャモンジャゴケー!」
数秒顔を見合わせたオルヴァーとクリスティアンが、同時に黙ってグラスの中の酒を飲み干した。

************

かなり飲んでいるように見えて、二人共足取りはけっこうちゃんとしていた。クリスティアンはオルヴァーの部屋に泊まることになり、三人で、西の塔へ向かって歩く。

「ムネレイサス様ー、明日ってなんかあったっけー?」
「もう今日だけどね。武術大会の予選が始まるけど、マルティアス兄上は特に予定なし。ウルリーカも休んでるはず」
「おう、そうだったなー!」
今日から始まるのは武術大会の予選でも、団体戦だ。エルメル達第8班は、昨年の優勝チームである。代表5人が午後から登場する予定だが、1回戦からエルメルが出てくることはないだろう。

「じゃあ今から実験でもするかオルヴァー!」
大真面目な顔でクリスティアンが言う。

「ばーか、酒飲んでやるもんじゃねーだろ!」
「なんかいろいろ吹っ飛びそうだから絶対やめてね」
「いや、違うんすでよ!酔ってる時こそ、普段なら絶対出てこないアイデアが浮かぶんです!」

「それが事実だとしても、俺の実験室爆破されたら困るんだよ、ばーか」
「年は君のほうが上だけど、一応俺が兄弟子だぞ!馬鹿とはなんだ馬鹿とは!」
「ベアトリス様の研究室はなくなったんだからもう関係ねーよーだ」
二人共馬鹿な酔っぱらいでいいよもう、と思ったムネレイサス。

「わかった、じゃあ、もうしよっ?なっ?」
「そんなに飲んでて、できんのかお前ー?」
「もう好きにしてよ酔っぱらいー」
オルヴァーの部屋はムネレイサスの部屋の隣、更に隣が実験室。

「じゃあ、おやすみー」
ちゃんと二人が、実験室ではなく部屋に入っていくのを見届けてから、ムネレイサスは自分の部屋に戻った。
外は明るい。だから、夏の間はどうしても夜更かしが多くなってしまうのは、この国の人間たぶんみんな一緒だ。

ゆっくり眠るつもりでいたけれど、結局いつもの時間に目が覚めてしまった。4時間くらいしか寝ていない。
「あれ?今日って、ウルリーカ休み?オルヴァーはあの調子だと、ようやく寝たばっかり?」
なにも予定がないのは知っていたけれど、一応兄を起こした方がいいんじゃないだろうか。

そう考えて、着替えてから兄の部屋を訪れた。
「おはようございます。…マルティアス兄上、おはようございます」
扉を叩いても返事なんかあるわけがない。なんの疑いもなく、ムネレイサスは兄の部屋の扉を開いた。
入った瞬間、違和感を感じた。どうしてソファに毛布があるんだろう。それに、わずかに残る、香水の香り。

「マルティアス兄上ー?」
ベッドを確認してから、お風呂場を。しかし、兄の部屋には誰もいなかった。
「ベッド周りが特に、香水残ってますねー」
独り言を言いながら、いないのなら仕方ない、後で問い詰めてやろうと、部屋から出ようとした時、部屋の主が帰ってきた。なんだかとっても疲れ果てた、そんな表情で。

「む、む、ムネレイサスっ!なんでいるんだお前っ!」
「ウルリーカは休みだし、オルヴァーはまだ寝てるんじゃないかと思って、起こしに来たんですよ、兄上」
たぶん今、自分は満面の笑みなんだろうと思う。すごくいい笑顔をしている自信がある。

「どちらのお嬢さんですか?もう少しゆっくり寝てらしたらいいのに」
「い、い、言っとくけどな、俺はなんにもしてないからな!手も握ってないっ!」
「はぁ?…女の人連れ込んどいて、なんにもしてない、ですと?」
ソファの毛布って、まさかそういうこと?ベッドに寝てたのは女性だけ?更に言うなら、兄がこんな時間に一人で起きてるって、つまり寝てないってこと?

「するわけないだろ?14歳だって言うんだぜ?いつの間にか大臣は消えてるし、このまま帰ったら何をされるかわからないって泣かれるし。俺、寝てないから、今から寝るよ」

心底災難だったという表情で、マルティアスはソファの毛布を担ぎ、寝室へ向かう。話しながら、ムネレイサスも寝室の入り口付近まで歩いた。

「わかりました。今からだと昼過ぎですか?まぁ、今日はなにもないので、いつまで寝ててくださっても問題ありませんが」
「知ってるよ。ウルリーカもいないんだろ?オルヴァーは、クリスティアンと飲んでて、きっと、ようやく寝たところなんだろうな。こんなことなら、俺もお前たちとゲームしてれば良かった」

多分あのゲームに参加してもらっても、マルティアス兄上が負け続けるだけだよと思ったが、ムネレイサスは口には出さなかった。

「参考までに兄上。その、大臣というのは、どちらの大臣なのですか?」
「んー?文部大臣。学院で雇ってもらってる身だからさ、挨拶しとこうと思ったのが間違いだったよ」
「そうでしたか。…では、おやすみなさい、マルティアス兄上」
「おやすみ。お前も今日は、好きにしてていいからな」
「失礼致します」
マルティアスがベッドに潜り込んだのを見届けてから、ムネレイサスは兄の部屋を後にした。

やばい、ニヤニヤが止まらないっ!
誰かに喋りたいっ!いつもならまずオルヴァーなんだけど、絶対寝てるもんなぁ。まず、呼んだらすぐ来てくれるサーラからだっ!

なぜか、話さなければならないという、謎の使命感にムネレイサスは駆られていた。


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