■樹氷 ■蛍火 ■鶺鴒 ■浅葱

 □title list□
 ※水色部分にカーソルを合わせると
 メニューが出ます

scen2-10 袖の時雨


冷静さ、なんて。あのとき一瞬でどこかに飛んでいった。

どこをどう歩いたのかもわからなかったが、なんとかひとけのない中央塔裏の回廊に出た。そこで、もう我慢できなかった。
「イングリッド!」
思い切り抱きしめる。ふんわりかおる、髪の匂いが、間違いなく彼女だった。
「まさか…まさかこんなところで会えるなんて…」

短い夏の間。やらなければならないことが多すぎた。それは、ドーグラス夫妻も同様で、彼女も毎日忙しく仕事に追われていた。ベアトリスは、数少ない二人の味方だったけれど、だからといってそうそう王宮に、庶民階級出身で尚且つ身寄りのないイングリッドを連れて来れるわけではない。

二人は、そのまましばらく、動けなかった。

「…フレデリク、あなた、また痩せたわね」
自分を抱きしめる腕を、そっと掴んで、イングリッドはそのまま彼の右手首を見た。
「あなた…やっぱりまた…」

袖で隠されているものの、そこにはムネレイサスの侍女のサーラが巻いてくれた包帯が痛々しく、全てを物語っている。
フレデリクは、泣きそうな表情で視線を反らした。本当はもう、泣いていたかもしれない。

「僕は…」
「あたしは、ちゃんとここにいるわ」
包帯が巻かれた腕を包み込むようにして両手で包んで頬にあてたイングリッド。痛みが引いていくのがわかる。この感覚は何なのだろうと、いつも思う。

「少し、熱っぽいかしら?」
「あ、うん。…だいぶ、下がったんだよ、これでも」
強引な弟のおかげでね。

「だったら、良かった。でも、まだまだ忙しいんでしょ?」
無理するなといくら言っても無理するのは知っている。だからイングリッドは言わなかった。

「僕の部屋…行くか?」
恐らく宴の間は誰も通らないだろうが、それでも通路たる回廊は落ち着かなかった。

彼女が嫌がるはずもなく、また、ベアトリスの『ゆっくりしてらっしゃい』は、きっと自分達がこうなることを許してくれていたに違いないと。都合良く解釈していることはわかっていたが、2人は部屋へ逃げ込んだ。

抱きしめているだけで、落ち着くのは何故なのだろう。
こうやって、身体を重ねるようになって、もう3年が経つ。
フレデリクは、イングリッドの髪をかき分け、首筋に口づけた。

「だめよ…あたし、今すごい汗かいてるわ」
「気にしない…僕なんかもっとだ」
「そんなこと言う口は…こうよ」

半身を起こしたイングリッドの口づけ。その身体を抱きしめたフレデリクは、そのまま横に転がり、唇を離さずに身体の上下を入れ換えた。
「もっかい…していい?」

表情の変化に乏しく何を考えているかわからない氷のような冷たい人。目つきが悪くてキツイ感じで無口で無愛想で怖い。挙げ句頭が良すぎて近寄りがたい。そうやって敬遠されがちな、第2王子が、こんなに可愛いい男だと知ったら、国民はどう思うのだろう…?などと考えてしまったイングリッド。

「大丈夫なのかしら…私まだ、ここにいて」
「ああ、宴はどうせ朝まで続くから」
半年近く会えなかった恋人を前にして、黙って見ていられる程、フレデリクは大人ではなかった。まだ今は、離れたくなかった。

「やだ、そんなに見ないで」
「無理だよ。イングリッドが綺麗すぎて」
「何言ってるの?…ちょ、ちょっと、待って」
「待てないよ。…僕の全部、受け止めて、くれる?」

嫌だなんて、私が言ったことは一度もない。わかっていて、この王子はわざわざそう聞いてくるのだ。それが可愛いと思っている自分もたいがいだけれど。
深く深く唇を塞がれて、我慢ができなくなる。
「はやく、きて。……っんんっ、んくっ、…ぁ、っ」

身体の奥深く、全身でフレデリクを感じる。彼に抱かれるのが自分はこの上なく、好きだった。毎日でもしたいと思うくらい。
貪るように身体を重ねる。お互いを、食い尽くすほど激しく。
「んぁぁぁっっ…、……ぁっ、あ、あ、っあ、だ、だめっ!!…んあっ」
「イングリッド…。………好きだ!」
身体や顔の上に落ちてくるフレデリクの汗も涙も、全てがいとおしかった。必死に指を繋ぎあわせ、自分を求める表情と彼の伝わってくる心。それから身体そのもが、愛おしくてたまらなかった。

王宮に来るのも、彼の父に会うのも実は2回目だ。こっそり連れられて来て、彼の父の部屋で、彼は自分と結婚したいと、床に頭を擦り付けるほど強く懇願した。結婚だけではなく、同時に、医者になって民間に下りたいという自身の希望も、彼はその時父親に話した。

王太子はひとつも反対はしなかった。が、今は認められないと言った。
自分の次の王が、誰になるのか決まっていない。これが、第1王子マルティアスに正式に決まり、跡継ぎでもできれば、反対する人間もいない、と。今はまだ、フレデリクにも次の王太子の可能性が残っているからだと。

その時アルフォンスは、自分も第2王子であることを明かした。この国の、王位継承者が、血筋だけでは決まらないことも。

「イングリッドと言ったか。精霊は、見えているか?」
私達をソファに座らせて、王太子様は静かな声で言った。
「…は、はい」
それはつまり、身体の関係はあるかと聞かれているに等しかったから、私は答えるのを少し、躊躇ってしまった。

「隠さなくていい。フレデリクと結婚するなら、見えていてもらわねば困るからな」
その精霊達に認めてもらわないと、王はもちろん王太子にもなれないのだと、自分に息子は4人いるが、未だ誰も認められていないのだとアルフォンスは話した。

「末の息子はまだ11歳。もし、その子になるとしたら、相当待たせてしまうかもしれない。それでも構わないかね?」
結婚して王宮に入るだけなら、そこまで待たなくてもいい。けれどそれは、フレデリクが頑なに拒んだ。

「もちろんです。私、もう、フレデリク様しか愛せません」
「イングリッド…」
「泣かないでフレデリク様。愛してるわ」
「泣いて、ない、よ」

あれから2年になるというのに、アルフォンス王太子は自分のことを覚えていてくれたらしい。

「フレデリク、愛してるわ」
「…うっ、ふ、っ」
「もぅー、どうして泣くのよー?」
「だっ、て、僕、つ」
放っとけない。こんな弱さを隠して毎日頑張ってる彼の、支えになりたい。

本当は毎日、側にいてあげたい。
でもそれは、今は叶わないから、今だけでも、最大限に甘やかしてあげたい。言いたいわがままがあるなら、全てきいてあげたい。
―そんな感情がイングリッドを突き動かしていた。フレデリクが幾度と無く自分の身体を突き上げて、痛いと思わなくもなかったがそれでも全部、受け止めてあげたいと思っていた。

「私、さすがにそろそろ戻らないと…」
もう日付が変わる。外はずっと明るいままだけど。

「そう、だね」
手のひらで涙を拭いて、フレデリクは立ち上がった。手を引かれて、部屋のお風呂へ誘われる。

「え…っ?」
夏の間は使われていない暖炉の前を通った時、突然、炎が踊った。

「イングリッド、2、3日帰ってこなくていいわよ。…ベアトリス様だ」
炎の中に現れた文字を、確かに私も見た。炎は、伝えたい言葉を示し終えると再び消えてしまう。

「こんなことって、いいのかな?」
せっかく涙を拭いたのに、フレデリクがまたぼろぼろ泣いていた。
「私も。こんな、どうしたらいいのか、わからないわ」
二人で肩を並べて湯船に浸かって。とても、穏やかな気持ちだった。

「僕は戻るけど、誰も入ってこれないようにしておくから、あなたは休んでて。ベアトリス様に、お礼言わなきゃ」
「いってらっしゃい」

ゆっくりと唇を重ねたフレデリクは、さっきとはまるで別人のような、穏やかな表情になっていた。

************

「うわぁあ、これ、全部、食べていいのかしら!?」
言いながら、すでに魚の揚げ物を口にしているのはサーラである。
「もう食べてるじゃないですか」
「だって、すっごく美味しいんですよ?メルヴィさん!」
大喜びで食べるサーラを見ていると、なぜだか自分まで微笑ましくなってきた。

ローストビーフにウインナーソーセージ、ポテトサラダ。皿に乗せて、メルヴィも食べ始める。
「ねぇ、メルヴィさん。メルヴィさんって、精霊、見えてるんですか?」
スカラ産のぶどう酒を飲みながら、サーラが尋ねた。

「むしろあなたが見えてないことに驚くんですけど」
「ええっ!だ、だって、4の君様は、まだ13歳ですよ?」
どうすれば見えるようになるのか、もちろんサーラは知っていた。

「そう言われたらそうだけど。その割には、オルヴァーのアレなセリフで、みんな納得してたじゃない」
「あ、あの方、外泊も以外と多いので…」
外泊って。そうか、だからあんなにみんな、すぐ納得したんだ。案外遊んでるな第4王子。って、外泊先はもしかしてあそこか?

「あ、あの、飲み屋のイケメンか」
「イケメンなんですかっ!?あの方のお相手って!」
ものすごい勢いで食いつかれて、メルヴィは正直引いていた。一緒に行っておいでと言われなかったら、遠慮したいタイプかもしれない。

「連れてってもらえばいいじゃない?飲んでるってことは、あなたは当然成人してるんでしょ?」
サーラが手にしたぶどう酒のグラスを指さしながら、メルヴィは言った。
「その手がありましたね!私、自分がしてもらうより、そっちが見たいです!あの方とイケメンがイチャイチャしてるところ!」

「あなたって、そっちだったのね」
メルヴィは深くため息をついた。この調子だとオルヴァーなんて、格好の餌食なんじゃないだろうか。

「今日の2の君様と4の君様、2人並んでらっしゃるところも麗しかったですー!着付けなんかしてないでデッサンしたかったですもん!」
「そんなことばっかり言ってると、主に呆れられるわよ?」
「それは大丈夫です!」
なぜだかサーラは自信満々で答えた。

「だって、4の君様には、もうバレちゃってますもん!むしろ色々教えてくれるんです!」
絶句、というやつだった。メルヴィは開いた口が塞がらなかった。どうして西と東で、こんなにも自由度が違うのだろうか。本来はこういうものだとでも言うのだろうか。

「こないだ、4の君様と、お兄さまがキスしてる絵描いてあげたら、大喜びされました」
「あ、そ、そう。そうなのね。って、ええっ?兄弟もありなの?」

ついつい、大きな声を出してしまって、2人は一瞬注目されてしまった。しかし、すぐに、周囲はざわめきを取り戻す。二人の侍女は、近寄って、一層小声になった。
「弟の方は、いつでも来てっ!って感じなんですけど、実際はなんにもないらしいです。お兄さまが固いんですって。侍女にも全く手を出さないらしいです」

「それじゃあ、なんのためにお側近くお仕えしてるのか、わからないわね」
王子の手が付いて、子どもでも産もうものなら一生安泰。ほとんどの侍女がそれを狙っていると言っても過言じゃないのに。

「まぁ、そこは、こっちも似たようなものかしら」
フレデリクは、侍女に全く手を出さないなんてことはない。だから自分も精霊が見えるようになった。だけど、自分たちには、彼の心まで捉えることは不可能だろう。

「でもあれなんですよ!オルヴァーさんは特別なんですよ!ちゃんと毎月、日が決まってるんです!その決まった日以外にもあるみたいですけど」
その、決まった日の翌日とか、翌々日あたりにムネレイサスがオルヴァーの部屋に行くと、たっぷり惚気てもらえるそうで、その話を、サーラは聞かせてもらうんだそうだ。

「それが私の、生きる活力なんですっ!」
「あ、そう…」
西の塔って平和でいいなと、思わずにいられないメルヴィだった。

「それだけ、楽しいことの方が多ければ、あんなのを見ても、確かに辞めないわね」
「………?あんなのって、なんですか?」
メルヴィの言葉に、サーラは不思議そうな顔を返した。

「今日、あなたが手当てしたって聞いたわ。2の君様の、自傷行為。あなたは、見慣れてるんだって」
東の塔では、手首や腕から血を流して倒れているフレデリクを見て、何人もの侍女が辞めていった。それも、変な噂が立つ原因になったことはわかっている。

「そうですね。最初はビックリしましたけど…。でも、泣いてる人を、放っておけないじゃないですか」
サーラが明るいだけじゃない、なかなか肝が据わっている人なのだということを、メルヴィは理解した。そして、自分も負けてはいられないと、気が引き締まる思いだった。


►next scen2_11 酒宴




















No reproduction or republication without written permission.