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scen1-24 apricot


少し、寝た。
勝手に、憧れていた、だけだった。
好きだと伝えた、わけでもなかった。いや、小さい頃には言ったかもしれない。カタコトで。

心が痛い。
まさかこんな気持ちになるとは、思いもよらなかった。

よく考えたら、アンティアナは18歳。恋人の一人や二人いたっておかしくない。だいたい、あんなに美人なんだし。自分みたいなガキ、相手にしてもらおうってのが無理な話なんだ。
むしろマルティアス兄上で良かったじゃないか。お似合いじゃないか。

頭ではそう思うのに、泣きたくなるのは何故?
ぐちゃぐちゃでどうしよいもない気持ちを、オルヴァーなら聞いてくれそうなのに、どうして入院中なんだよ馬鹿。

泣きたい。思いきり泣いて泣き叫んで、すっきりしたい。吐き出したい。ここじゃ無理だ、西の塔じゃ。
なぜか、頭に蘇ったのは、アレクシとエルだった。
「1人で来て、いいって、言ってたよね」
サーラに出掛けることを伝えて、ムネレイサスは1人で西の塔を出た。

************

国王ヨハンネスは、南方の国、シャンナに来ていた。
この国は、リベラメンテとは違って基本的に女系の国。王権は母から娘へと受け継がれる。ただし、例外として、母から権利を受け継ぐ前の娘が結婚していて、娘も希望した場合においてのみ、男の王が立つことがある。今はその、例外の期間だった。とは言え、いつまで続くものやら。

「おとなり、よろしいですかな」
「ええ、どうぞ」
パーティ会場を抜け出し、暖かい風にあたっていた王女の隣に歩み寄った。

「シャンナは暖かくていいですなぁ。リベラメンテなぞ、ようやく雪解けの季節です」
「この国は、ほとんど雪なんて降りませんもの」
はつらつとした表情で、18歳の王女は応えた。

「こう年をとると、寒さが身に堪えるのですよ。そろそろ引退しようかと思うほどにね」
「まさか、なにをおっしゃいますの?ヨハンネス様」

アンティアナは、心底驚いたような顔を見せた。
「いやいやこれが本気なのですよ。ひ孫も生まれたし、秋にはもう一人生まれるし。そろそろ引退して、ひ孫と遊んで暮らしたいなぁと。私が引退すると、その次が、問題なのですがね」

この人はなにが言いたいのだろう?そんな表情でアンティアナは自分を見つめている。随分聡いと聞いていたが、間違いだったか。いやそれとも、意図して聞きたくないのか。

「次の国王はアルフォンスと決まっておるからな、そこは安心なのですが、その次がの。どうもマルティアスにはさっぱりその、自覚がないようでな」
アンティアナの目が、驚きで見開いていた。

「あれは背も高いし、顔立ちも派手だ。正装させたらさぞかし見栄えするだろうに。早いとこ引退して、あれの立派になった姿を、私は見たいのですよ」
もはや、アンティアナは目を合わせない。下を向いて、小刻みに身体を震わせていた。

「アンティアナ様もいずれはシャンナの女王であられる身。少しはあれにも、アンティアナ様を見習って欲しいものですよ」
「そ、そんな、わたくしは…」
「いやいや、謙遜なされるな。アンティアナ様はさぞかし有能な女帝になるでしょうなー」

ちょっとイジメすぎたかな?と思いながら、ヨハンネスは頭を下げた。
「アンティアナ様の即位式には、進退のいかんに関わらず、ぜひとも参りますので。では」

アンティアナは返事をしなかったが、ヨハンネスは気にしていなかった。
似たような神話を持つ国同士の親睦とかなんとか、建前はいくらでもあるがとりあえず、今回の目的はこれだった。
よりによって、男系の国の第一王子と女系の国の第一王女が交際しているなど、あってはならないことだった。

孫には申し訳ないが、自分は国を守らねばならない。このまま放っておいて、手に手を取って駆け落ちでもされては困るのだ。
最悪の事態は回避されるはずである。うちの孫は、本当に自覚がなさすぎて困るが、アンティアナは違うだろうから。

************

「いらっしゃーい、でもごめんねぇ、今日アレクシ様いないからもう閉めようかと…」
迎えてくれたのはエルだった。
「もう、閉める…?」
せっかく来たのに…と思いながらフードを外すと突然エルの声色が変わった。

「ミカちゃん待ってたよー!さ、座って座ってー」
ミカちゃんって誰?と思うより早く、手を引かれてカウンターの席に座らされた。
「アプリコットでいいよねー、ちょっと待っててねー」
グラスに注いだジュースが置かれた。

「ちょっとエル!」
「もう閉めるんじゃなかったの?」
見渡すと、店内のお客さんは見事に女ばかり5人。全員がエルより年上っぽい。

「閉めるよー。だから友達呼んだんだもーん。今日は珍しく早く終わるから、男2人で久しぶりに飲もうって。ミカちゃんは俺の学院時代からのお友達ー」

「は、初めまして。ミカ・ヴィクセルです」
とにかく話を合わせようと思った。適当に、思いついた名前を言って、とりあえず頭を下げる。
自分がこんなに小さくて、本当に信用してもらえるかどうか、わからないが。

「そういうわけだから、みんな、今飲んでるのが無くなったら終わりねー」
『ちぇっ』とか『つまんない』とか『あーあ』とか。不満げな声を上げた割には、女達はそれぞれ、グラスの中のお酒を飲み干すと帰っていった。
最後の1人が帰った瞬間、カウンター周り以外の灯りを消して鍵をかけるエル。そして。

「ムネレイサス様助かったよー、あいしてるー」
半泣きで抱きついてきたエルに、何度も頬にキスされた。
「どういうことだったの?」
「もうー、今日アレクシ様いないのー!だから、誰が俺の部屋に泊まるかってー、あいつら火花散らしててー!いつもはアレクシ様が蹴散らしてくれるんだけどー。もうやだよー、俺女きらいー興味ないのー」

ようやく事情が飲み込めたムネレイサスだった。確かに、『彫刻のモデルのような顔』としか形容し難い程に美形のエルである。この顔となら、一発してみたいと思う女がいても不思議はない。

「ちょっと待っててね、片付けるから!助けてくれたお礼だから、俺の部屋で飲もう!ジュースだけど!」
お礼と言われるほどのことはなにもしていないのだけれど…と思ったムネレイサスだったが、普段のだらだらした話し方からは想像つかないほどてきぱきと片付けを始めたエルを見て、黙っていた。手早く手は動かしながら、口調はだらだら。そんなギャップが面白かった。

「もうー聞いてよー!アレクシ様さー、今日さー、好きな人来てるのー」
「…恋人?」
「違うよー!だって、前に恋人はいないって言ってたもん!でも、アレクシ様って、絶対好きな人はいたのー!なんかー男のカンってやつー?」

失恋のショックで、なんとなく王宮にいたくなくてここに来たら、やっぱり失恋話を聞かされるとは思わなかったムネレイサスである。エルの場合、明確に『失恋』なのかどうかは疑わしいが。
「もうさー、アレクシ様さー、俺のこといっつも『デカイからやだ』なんて言ってたくせにー、今日来てた人俺とそんなに身長変わらなかったしー!」

「その人の、顔は見たの?」
好きに飲んでと言われて、目の前に置かれたアプリコットジュースをグラスに注ぎながらムネレイサスは尋ねた。

「ムネレイサス様が来た時と一緒でー、フード被ってたから見てないのー。でも、俺と同じくらいなんだよ?絶対男じゃないー?」
その人物が訪ねて来てから、アレクシは『今日俺休み』と言い出して、その挙句が、先ほどの状態らしい。
「もー、今頃えっちしてんのかなー?俺にはキスまでしかさせてくれないくせにー!」

「き、キスはするんだ…」
「あ、うん!アレクシ様ねー、時々だけど、酔っ払ったらキスしてくれるよー!超可愛いんだー!もうねーだーいすき」

ショックは多少受けたのかもしれないが、全くメゲた様子はエルにはなかった。
確かに、いくら好きな人の好きな人が訪ねて来たからとは言え、エルはアレクシと一緒に住んでいるのだから、それもそうかと思った。
でも、これだけ『大好き大好き』と押して押して押して、押しかけてきたからこそ、エルには今があるのであって、そもそも『好き』とも伝えていない自分とは、明確に違う。

「ねぇ、ムネレイサス様どうしたの〜?なんか今日元気ないねー?…俺んち、泊まってく?」
「…え?」
「だってなんかー、このまま帰すのもなーって表情だしー。あ、無断で泊まったら問題になるー?」

「いや、大丈夫、だと思う。今から連絡すれば」
「連絡できるの?あ、そっか、王族って精霊使いなんだっけ。だったらさー、俺も今日、一人で寝るのは寂しいしー、一緒に寝よ?」
「うん」

最近ずっとオルヴァーと寝ていたせいで、なんとなく人肌の恋しさを知ってしまったムネレイサスは、この申し出が嬉しかった。
「じゃあ、連絡するからちょっと待って。窓開けてもいい?」
「ちょっとならいいよー」
ムネレイサスは、窓を開けて、ニケルを呼んだ。あの赤い三角帽子の森の精である。

「ニケル、僕今日、エルのところに泊まるって伝えて。今から手紙書くから届けてくれる?」
「…誰に?」
「できればサーラで。ウルリーカに言ったら、怒られるかな?」
「いいんじゃねーの?」

「じゃあ、お願い。急だったから、なんにも持ってなくて。これでいいかな?」
「今日だけまけといてやらぁ」
持っていたメモ用紙にさらさらと短い文章を書き、翡翠の飾りが付いた、フードを留めていたブローチをニケルに渡して、ムネレイサスは窓を閉じた。

「精霊さんって便利かもー」
「でも僕、いわゆる精霊使いではないんだよ」
「え?王子なのになんで?」
お金の計算をしていた手を止めるほどに、エルは驚いていた。

「うーん、なにから話そう…」
「あ、俺いい!俺、精霊さん見えないし!聞いてもわかんないと思うからいいや!ムネレイサス様はムネレイサス様だし、今日からミカちゃんだし!…いいよね?」
「なんか、ミカちゃんってなんぞや?って思ったけど、なんかいいかも!僕、アダ名とか付けてもらうの初めてだし!」
「良かったぁ!」
売上を全て袋に入れ、金庫に仕舞って、金庫の鍵だけを持ったエルはムネレイサスを呼んだ。

「アプリコット持ってきていいよ。俺の部屋で飲めばいいし」
そう言われたから、グラスとジュースの瓶を両手に持って、示されたとおりカウンターの中に入った。

「ここから、行くの?」
「そう、奥に階段があるんだ。2階の手前がアレクシ様、奥が俺」
そうは言われたものの、なんだか知らない家に、先に進むのは気が引けて、エルに先を歩いてもらう。
カウンターの奥の廊下を行くと、確かに階段があった。上と下。

「ちょっと待ってね」
言って、階段を先に上がったエルは、アレクシの部屋と言った手前の扉に声をかけた。
「アレクシ様ー、金庫の鍵、入れときまーす」
聞いてるか聞いてないか知らないけど、それでいいのだそうだ。エルは、アレクシの部屋の扉の横についていた小さな箱に、金庫の鍵を入れる

「さっきの話じゃないけどね、俺、アレクシ様は精霊、見えてると思う」
「そうなんだ。…でも、見えてない人の方が全然多いんだよ?見えてるってことは、けっこうアレクシって、いいところのお坊ちゃんなのかな?」
「そうかも。だって、マルティアス様の同級生だしー」

「あ、言えてるー!」
『ヴェステルンド』という姓に、心当たりは全然なかったが、深く考えるのはやめにした。どうでもいいことだ。ムネレイサス達王子は、有力な貴族の姓と領地は、全て小さいうちに覚えさせられていた。
エルは、奥の、アレクシの隣の部屋の扉を開いて、ムネレイサスを招き入れた。

「いらっしゃーい。アレクシ様以外の誰かが俺の部屋に来るなんて初めてー」
ほとんど家具はなくて、だだっ広いという印象の、エーベリトの部屋に、ムネレイサスは上がった。


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