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scen1-23 lantan


ベアトリスが扉を開けると、ヴェルナではない男性の医師がいた。
ムネレイサスとオルヴァーを迎えにきたという話をすると、医師は苦笑いを見せ、そっと、ひとつのベッドのカーテンを開けて見せた。

少し横向きになって、顔の上に氷嚢を乗せて眠るオルヴァーの胸を枕に、完全に上に乗っかるような形で俯せに眠るムネレイサス。ベッドはいくつもあるというのに、1つのベッドでくっついて、2人は寝息を立てていた。

「昨夜ムネレイサス様は発作を起こされたようです。もう治まっているので、帰って頂いて構いません」
「もうこんな暖かいのに、まだ発作って、出るんですか?」
「むしろこれからが本番ですね。昨年までのムネレイサス様ですと、今くらいから夏至祭頃まで。3、4日に一辺は」
「そんなに?」
一緒に暮らしていなかったから当たり前なのだが、初めて知る事実に驚きを隠せない一行である。

「要するに、暖かい空気と冷たい空気が混ざり合ってる感じが苦手なんですよ。冬っていうのは、外と室内の気温差なんですね。それに比べて春は、ちょっと暖かくなってきたところに、まだ冷たい風が吹いたりするでしょう?」

「…って、ことは秋も駄目?」
「当然です」
「知らなかった…」
一番短い夏以外はほとんど駄目という衝撃の事実に、マルティアスはショックを隠せない様子だった。

「…なんで、俺じゃないんだろう」
「にーしゃん、そげなこつ、悩んでも仕方なかとね。考えるべきはそこじゃなかとよ」
「エルメル様の言うとおりですね」

ひと通り説明を聞いて、エルメルがムネレイサスの頬をつんつんつついた。
「ムネレイサスー。起きるとねー」

「オルヴァーの顔はなに?どうなってるの?」
ウルリーカが尋ねた。

「ヴェルナ先生によると、頬骨が折れているの可能性があるので3日程様子見だと。3日経って腫れが引かなければ、手術になります」
じぃっと、冷たい視線がマルティアスに注がれる。

「カルテには、馬鹿に蹴られたらしい、と書かれてました」
医師の言葉が追いうちをかけ、ますます冷たい視線が突き刺さる。

「にーしゃん、ほんっとにいっぺん、水被るか?」
「いや、あの、その、……ごめんなさい」
「言う相手が違うでしょ!!」
ベアトリスが叫んだ。その声で、眠っていたムネレイサスとオルヴァーが目を覚ます。

「…どうしたの?……はっ!!」
慌ててベッドから降りるムネレイサスは、オルヴァーにくっついていたのを見られたのが恥ずかしいようだった。おいでおいでと招いてくれたエルメルに抱きついて顔を隠す。

「エルメル兄上まで、どうしたの?」
「んー?俺は、にーしゃんに反省させに来たとよー」
本気かどうか判断できないような表情で、エルメルはへらへら笑っていた。

「マルティアス、様…」
頬の氷嚢を押さえながら、オルヴァーは起き上がった。

「オルヴァー、すまなかった。…俺、お前がいなきゃ、生きていけなかった」
「マルティアス様?……こ、これ、夢でしょ?こんな都合のいい!」
昨日出ていけと言われたオルヴァーが動揺するのも無理はなかった。

「夢だと思うなら、その顔触ってみたら?」
「お、おう!……痛くねーわ!やっぱ夢か!」
ムネレイサスが口を挟んだが、結論は思わぬ方向に出てしまった。

「あー、うん、相当強い痛み止め使ってますねー。そりゃ痛くないかも」
医師がカルテを見ながら呑気に言った。
「オルヴァー、夢じゃないから。信じてくれ。俺、反省したんだって」
ベッドの横に跪いて、マルティアスはぎゅっとオルヴァーの空いた右手を握った。

「はい!…俺だけは、たとえ世界の最後の一人になっても、世界中を敵に回しても、マルティアス様を信じてるって、言ったでしょう?」
夢か現実かもわからなくても、一寸の曇りなくそう言える馬鹿はやっぱりオルヴァーしかいないと、ウルリーカは思った。
エルメルの手を離れたムネレイサスが、ひょいとベッドの布団に潜り込み、オルヴァーの足の甲を思いきりつねった。

「イッテェ!!!えっ?なに、ちょ、夢じゃないのぉっ!!!」
「だから夢じゃないって。すまなかったオルヴァー。これからも側にいてくれ」
「はい!…って、当然です!」

「なんかプロポーズみたいだね」
再びエルメルにくっついたムネレイサスが囁いた。言われたオルヴァーは嬉し泣きしているし、確かにそうかもしれない。
「……って、ムネレイサス、相変わらずマセとーとねー」
「えへ」
妻との出会いや、その後の結婚までの付き合いを、根掘り葉掘り聞かれたことのあるエルメルだった。

「ちゅーかにーしゃん、そいくらいで泣かすって、いかに普段従者に感謝の気持ちば伝えとらんか、日頃ん行いのわかるっちゅーもんとね」

「全くその通りね。反省しなさいマルティアス様」
どこでどう育て間違えたのだろう?とベアトリスは呟く。

「すいません…。あと、もう1個反省があって。…ムネレイサス」
素直に頭を下げるマルティアス。びくっと身体を震わせたムネレイサスだったが、エルメルによってマルティアスの前に押し出された。

「俺が悪かった。見ての通り反省した。2人共西の塔にいてくれなきゃ困るんだ。帰ってきてくれないか?」
「…僕の方こそ、大っ嫌いなんて言って、ごめんなさい!そんなこと、思ってないからぁあああ」
「うん、知ってる。ありがとう」
マルティアスは膝を着いて泣き出したムネレイサスを抱き締めた。

「オルヴァーに、もう手も足も出さないって、約束して!」
「うん、約束する。剣術訓練とかで、当たっちゃうことはあるかもしれないけど…」
「そういうのは別でいいから!」
「そーそー、訓練はしてもらわんと、俺が優勝してまうとよー」
エルメルが言って、みんな笑った。オルヴァーも照れたように笑っていた。

「さて、帰ろう」
マルティアスが泣き止まないムネレイサスを抱き上げて、号令を上げた。
「しばらく休みなさい。見舞いには来てあげるわ」
ウルリーカはオルヴァーに言った。

「俺、最近休みすぎなんだけど…」
「罰は当たらないわよ」
「いいのよ。あなた、13年分の休日出勤の代休って考えたら、少ないくらいだわ」
ウルリーカとベアトリス2人に言われて、オルヴァーは渋々黙った。
オルヴァーがマルティアスの従者になって13年、自分から休みを欲しがったのは、姉の結婚式と妹の結婚式、たった2回だった。

「ねぇ、なんで急に、マルティアス兄上、オルヴァーに謝る気になったの?」
病院を出て、まだマルティアスに抱っこされたままぐずぐず言っていたのムネレイサスが尋ねる。
「うん。ユスティーナに、昔のこと見せられて。そうしたら…」
「えっ!?そうなの?」
マルティアスの言葉を遮るほど、ムネレイサスは驚いて大きな声を上げた。

「昔ってどれくらい?昨日今日じゃないよね?」
「そ、そりゃあ…」
「僕まだ帰れない!マルティアス兄上、来てっ!!」
無理矢理マルティアスの腕から降りたムネレイサスは、兄の手を引っ張った。何事だろうかと、3人もその後に続く。
ベアトリスだけが、何かを思い出しかけていた。

「ユスティーナ様は今、誰ともお会いになりません」
「その理由知ってんだからいいでしょう?」
侍女の制止を降りきって、ムネレイサスは屋敷の中へ入った。迷わず2階の、ユスティーナの寝室へ向かう。

「ムネレイサス、どうしたんだ?」
「マルティアス兄上、いいから黙って同意するって言って!…ユスティーナ、入るよ!」
ユスティーナは、本当に寝室にいて、ベッドに横になっていた。さっきまでなんでもなかったのに。

「ムネレイサス様、駄目でしょう?」
起き上がろうとするだけで、ユスティーナは腕に力も入らないほど、辛そうだった。顔色も悪い。
「駄目じゃないよ!ねぇ、マルティアス兄上、ユスティーナに力あげて!」
わけがわからずにいるマルティアスを押しのけて、前に出たのはベアトリスだった。

「思い出しましたわ。過去を他人に見せるには、相当な力を使うはず。そしてあなたは、他の精霊の力をもらって、自分の力とすることが、できたはず。さぁ、持っていって」

「そーゆーことなら俺のもあげるばい。暴れ損ねて余っとーとね、いっぱい持ってってー」
ベアトリスとエルメルは2人でユスティーナの手を握った。

「ありがとうございます」
その瞬間確かに力を抜かれたのがわかった。突然身体が軽くなって腰が抜けたような、そんな感覚だった。そして、その場にいた皆が、ユスティーナと同じ顔の精霊を、見たような気がした。

「マルティアス兄上も!」
「う、うん」
マルティアスは膝をつき、奥にあるユスティーナの左手を取った。

「ユスティーナ、マルティアス兄上なんか、西の塔に帰れる体力が残ればいいよ、いっぱい持っていって!」
「ムネレイサス酷い…」
「体力有り余りすぎてるから、オルヴァーのこと蹴ったりするんだよ!だって、僕そんなこと思わないもん!」
確かに、ムネレイサスは『体力なしのモヤシっ子』の代名詞と言ってもいいくらい体力がなかった。
「そうっちゃね、帰るには俺が担ぐけん、とりあえず足だけ動けば良か」

「ありがとうございます」
明らかに血色が良くなって、にっこり笑ったユスティーナだが、本当にマルティアスには容赦しなかったようだ。エルメルとベアトリスは心配そうに『もういいの?』『大丈夫?』などと言いながら立ち上がったが、マルティアスは立ち上がろうとしたその体勢のまま、すてんと転がった。

「…あれ?」
腰が抜けたみたいに、立ち上がれなかった。
相当怒っていたようには感じていたが、まさか本当にそこまでやるとは…と思ったのはベアトリス。そして、リューディアに生涯を捧げたユスティーナにとって、彼女の忘れ形見であるムネレイサスは、本当の息子にも等しいのだろうと思った。実の兄とは言え、その子を泣かせたのだから、当然かもしれない。

「にーしゃん、しっかりするとね!」
エルメルがマルティアスの腕を取り、でかい身体を支えて、歩き始めた。

「申し訳ありませんが、お二人先に行っててください」
ウルリーカとベアトリスは頷いて、ユスティーナの寝室を後にした。

「ムネレイサス様」
「なぁに?」
「マルティアス様からいっぱい力をもらってしまいました」

「オルヴァーがあんな怪我するほど蹴るんだもん!マルティアス兄上にはいい薬だよ!」
「そうね。おかげで私、今、力がたくさんある状態なの。少しくらい使っても、全然平気なのよ?」
「?…そうなの?」
「だから、あなたにいいものを見せてあげる」
ユスティーナは、ムネレイサスの目の前に、手のひらをかざした。

視界いっぱいに映像が流れる。
ここは、どこだろう。

2人の女性が、並んで座っていた。1人はお腹が大きい。
「本当に、よろしいのですか?」
言葉を発した方の女性が、今より少し若いユスティーナだと理解するのに、時間はかからなかった。

「ええ。この子はあなたが立派に育ててくれると、信じてるもの」
「ですが、リューディア様…」
(おかあ、さん?)

もう1人は、自分を産んですぐに他界したと聞く母と同じ名だった。
「マルティアスには弟がいないと駄目なのよ。あの子1人だと、危なっかしくて」
きっと私はこの子になにもしてあげられないから、せめて私の名前をあげましょう。この子と私が、いつでも共にあるように。そして、伝えてちょうだい

「永遠に、愛してるわ、ムネレイサス」
自分によく似た顔が、微笑んで、周りの景色ごと光の中に、消えた。

「また、いつでも遊びにいらっしゃい」
気づけば、ユスティーナの寝室に戻っていた。

「うん!ありがとう、ユスティーナ!ありがとう、ランタン」
それは古い言葉で『人目を避ける』という意味。その名を持つユスティーナの精霊。袖口で涙を拭って、ムネレイサスはユスティーナの寝室を飛び出した。
「いってきまーす」
階段で振り返ってユスティーナに手を振った。西の塔には帰る。だけど、ここも、僕の帰る場所であることは間違いないんだ。だから、いってきます。
マルティアスが、ほとんど引きずられているせいで、4人にはすぐに追い付いた。

「なに話したとね?」
「ナイショー!」
「よかよか。ムネレイサス、お母さんには、甘えておくもんとよ。ベアトリス様、そうですよね?」
「さぁ、どうかしらね。でも、ムネレイサス様なら、まだ未成年なんだから、甘えてもいいと思うわよ」

西の塔に到着した、なぜかエルメル含めた4人が最初にしたことは、食堂で昼食を食べる、だった。
お腹が膨れるとユスティーナにあげてしまった力の分も回復したのか、ベアトリスは暖炉から一瞬で、エルメルもひらひらと手を振って王宮警備隊の庁舎へと歩いて帰って行った。

唯一、まだ貧血のようにフラフラしているマルティアスだが、自力で歩けるようなので、ゆっくりと3人で4階に向かう。ウルリーカが言うには、どうせ今日は、予定は全て無しにしてあるから、このままマルティアスは寝てもいいらしい。言い換えるならば、取り消しても大丈夫な予定しか入っていなかったのだという。

「じゃあ、本当にユスティーナにほとんどの力あげちゃって大丈夫だったんだ」
「もしこの後、なにか避けられない予定が入っていたら、あそこでさすがに止めてます」
「実はそうだと思ったんだよねー」
ムネレイサスもウルリーカも、お互いの顔を見合わせて笑った。腹の探り合いは引き分けのようだ。

「そう言えば、昨日渡した手紙はどうされました?」
「あーっ!!まだ読んでない!だって、ちゃんと落ち着いてから読みたくて!」
「まさかあのまま広間ですか?…早く返事書かないと。フラれても知りませんよ」
「読む!返事書く!だから持ってきてくれよウルリーカぁ!」
「はいはい」
とりあえずマルティアスをベッドに押し込んでから、ウルリーカは広間へ向かおうとした。

「あなたも休んでいいわよ。発作起こしたなら、寝不足でしょ?」
「誰からの、手紙なの?」
つい、気になって尋ねてしまうムネレイサス。

「シャンナ王女、アンティアナ様からの恋文よ」
「こ、恋文!?」
「だって、付き合ってるんだもの、あの2人」
「し、知らなかった…」

「そう言えばそうね、あなたが来てから、手紙が来るのは初めてかも。ま、秘密の関係だからね。シャンナは女系の国、アンティアナ様は、次の女王だから」
それだけ言うと、ウルリーカは行ってしまった。

シャンナ王女アンティアナ様。
ムネレイサスが人生で唯一、自分から話しかけた女性だった。


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