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scen1-22 十三年の記憶


「お断り致します」
静かな声で、そう言ってのけたユスティーナは、少し下を向いていた。

(この人は、今とんでもなく怒っている…?)
ベアトリスは感じていた。自分達火属性が怒った姿というのは、まさに今のマルティアスである。残念ながら、自分もけっこう怒鳴ってしまう。
しかし、風属性の怒りというのは、自分達とは性質が違うはずだ。少なくとも、アルフォンス様や、リューディア様が怒鳴り散らす姿というのは記憶にない。つまり、ユスティーナは今、マルティアス以上に激怒しているかもしれない。

「マルティアス様は本当に、ムネレイサス様のお気持ちがわからないのでしょうか」
「わからん。俺ならなんでも話す。大事な弟に隠し事なんてない。話せないことなんてない!」
「さようですか」
それまで眉ひとつ動かさなかったユスティーナが突然立ち上がった。

「あなたには本当に、話せないことはないんですね」
「なにを…」
言いながら、ユスティーナは手のひらをマルティアスの目の前にかざした。『なにをするんだ!?』といいかけたマルティアスの目の前に、映像が流れた。

あれはまだ、小さい頃。南二の塔で、みんな一緒に暮らしていた。父上は忙しくてあまりいなかったけど、母上と、イレイェンとエミリアと。俺に、フレデリク、エルメル、パニーラ、ヘレーナ、それから、エッレンがまだ産まれたばっかりで。

「おやつにしましょう」
ユスティーナもいた。ウルリーカと、ヴィクトルもいたんだっけ。ほんと、みんな一緒に暮らしていた。

「マルティアス、弟ができたら嬉しい?」
「うん!弟欲しい!おれ、面倒みるよ!」
「そう!いっぱい可愛がってあげてね。お願いよ?」
「もちろんだよ!だっておれ、お兄ちゃんだもん!」
みんなでケーキを食べながら。あの頃は不安なんてひとつもなかった。

「にーしゃん、あー」
「エルメルくれるの?はい、あーん!おれのもあげるー」
「あー」
「エルメル落ちる!」

椅子から転げ落ちそうになったエルメルをフレデリクが抱き上げた。
「だぁー!」
エルメルは全然、じっとしていない子だった。おとなしくて、ほとんど外では遊ばないフレデリクと足して2で割ったらちょうどいいくらい。
あの頃が一番幸せだったかもしれない。

急に、周囲が暗くなる。そして聞こえる、すすり泣き。
「リューディア様、どうして」
「王太子妃様」

子どもだったけど、母にはもう会えないんだってことだけはわかっていた。
「リューディア様ぁあああ」
声を上げてフレデリクが泣いている。
おれ、お兄ちゃんだから泣かない。

ねぇ、おれ、頑張るから、またみんなで暮らそうよ!弟も一緒に、ねぇ。おれ、頑張るから。
おれの願いは叶わなかった。残ったのはウルリーカだけだった。

「第4王子のために、王太子妃が」
「リューディア様のお命を奪って産まれてきたとは」
「なんと罪深い子か」
今、弟にひどいこと言ったの誰!?

「今にも死にそうらしいですよ」
「何歳まで生きられるかわからないとか」
「罪深い子だ」
やめろ!!ムネレイサスは悪くないって、弟はいい子だって、母上言ってたもん!弟は、えらい子だって!母上が言ってたもん!

泣きたくなった。
突然、世界中が敵になったような気がした。だって弟を悪く言う大人は、一人二人じゃなかったから。
昨日までの幸せな日々はもう、戻ってこないんだ。

膝を抱えて泣いていたら、おれの横に、誰かが立った。こいつも、弟のことを悪く言いにきたのかな。悪く言うならおれにして。弟はなんにもわるくないんだから。

「どうしたんですか、マルティアス様」
だけどそいつは、おれの隣に座り込んで、でっかい手で頭を撫でてくれた。

「みんなが、弟のこと、悪く言うんだ」
「そんなおバカは放っておけばいいんですよ。マルティアス様の弟なんだから、いい子に決まってるでしょう?」

「オルヴァー」
「今日は体調がよろしいそうですよ。ムネレイサス様に会いに行きましょうか」
オルヴァーは、ひょいとおれを抱っこしてくれた。

「駄目だって言われたよ?」
「いいんですよ。俺が後で、ベアトリス様に怒られておきますから」
敵だらけになったおれの世界に、ひとりだけ、味方ができた。

「あの死にぞこないは、リューディア様の名前をもらったらしいぞ」
「なんて厚かましい」
聞きたくない言葉ばかりが耳に入ってくる。

「マルティアス様、灯りもつけずにどうしたんですか?」
「ねぇ、オルヴァー。ムネレイサスは、母上の名前をもらったんだって」
「マルティアス様は、名前以外のたくさんのものを、リューディア様からもらったでしょう?」
「そう、なのかな?」

「一緒に暮らしたし、一緒に寝たし、抱っこもしてもらったし、旅行も行きましたよね?」
「…うん」
「だったら名前くらいいいじゃないですか。ムネレイサス様は、お母さんに抱っこもしてもらってないんですよ?」
「…そう、なんだ」
なんだか弟が可哀想になってきた。おれも、まだまだ、母上に抱っこしてもらい足りないっていうのに。

「今日も、会いに行きましょうか」
「いいの?」
「はい!」
弟のところには、いつもオルヴァーが抱っこして連れて行ってくれた。
でも、せっかく行ってもおれ達は、ガラス越しにムネレイサスを見ることしかできなかった。外の空気で具合悪くなっちゃうんだって聞いたから、おれはそれでも満足だった。

「ムネレイサスが、はいはいしてる」
こないだは、寝てるだけだった弟が、四つん這いで、動き回ってた。病院の人相手に、おもちゃを持ってなんか言ってる。言葉には、もちろんなってないんだけれど。

「早く大きくなってこっちおいでって、応援してあげましょうね」
「うん!」
おれを弟のところに連れて行くたびに、オルヴァーはベアトリスに怒られていた。でも、オルヴァーはいつも、『大丈夫ですよ』って、笑って、そうしてまた、おれを弟のところに連れて行ってくれた。

「死に損ないは、リューディア様にそっくりらしい」
「なんて罪深い」
オルヴァー、もう嫌だ、聞きたくない。助けてよ。

「ムネレイサス様とマルティアス様、よく似てますね。さすが兄弟!」
「マルティアス様はなんでもできますね、さすがお兄ちゃんだ」
「上達してきましたねー!俺も手加減していられなくなってきましたよ」
不安を消してくれたのは、いつもオルヴァーだった。おれが泣きながら部屋に行くと、いつも朝まで抱っこしてくれて、一緒に寝てくれた。

弟が、酷い陰口を言われなくなったのは、学院に入学して、天才と騒がれるようになってからだったように思う。それでもまだ、身体が弱すぎて武術が免除になったことに対して、文句を言うやつはいた。それから、その才能を、妬んで、新しく、悪口を言うやつが現れた。

映像が終わり、再びマルティアスの意識は、ユスティーナの屋敷に戻ってきていた。
いつの間にか頬が濡れている。俺、泣いてた?昔のことを見せられて。

「お帰りください。私から申し上げることは、何もありません」
さっきまでと同じように、マルティアスの前に座ったユスティーナが、静かに告げた。

「…どうして、母上は、『弟だ』って、わかっていたんだろう?」
「私には存じ上げません」
ユスティーナは、俺に昔を見せる前と、何も変わらないように見えた。

そこでようやく、周りを見渡すと、いつの間にかウルリーカとエルメルが来ていて、ベアトリスの向こうに座っていた。3人が、心配そうに、俺を見つめていた。

「俺が、間違ってたと、思う」
言葉を噛み締めるように言うと、隣に座っていたベアトリスが大きく息を吐いた。

「俺も、ムネレイサスに聞かれたら困ること、話せないこと、あったわ」
ムネレイサスが産まれたばっかりの頃。祖父母と父と、ウルリーカの両親と、エミリアとオルヴァー以外の大人が全て、1回は口にしたと言っても過言じゃない。それだけ母が慕われていたことはわかってる。だけど母は、ムネレイサスを産むことを、自分で選んだんだ。それなのに、哀しみの捌け口に、みんなでムネレイサスを悪く言ったんだ。

そんなの、あいつは知らなくていい。もう知ってるかもしれないけど、いくら事実だからって、俺の口から話すことはない。
「ウルリーカ。俺、お前の言うとおり、オルヴァーいなかったら、生きていけないかもしれない」
「それは本人に言ってあげてください」
だから言ったでしょ。ウルリーカはそんな表情だった。

「俺が、哀しい時、寂しい時、いつも一緒にいてくれたのはオルヴァーだった。いくら泣いても、少しも、あいつ嫌がらなかった」
ベアトリスは確かに母親代わりだった。だけど、オルヴァーもそうだった。俺にとっては、時に母親であり、父親であり、兄だった。

そんなオルヴァーに、俺はなんて酷いことを言ってしまったんだろう。オルヴァーは、俺の従者だけどモノじゃない。オルヴァーにだって、心があるなんて、どうしてそんな、簡単なことまでわからなくなってしまったんだろう。あいつが話したくないなんて、よっぽどのことなんじゃないか。

「オルヴァーに、謝らなきゃ」
「…ユスティーナ様。お2人に会わせてあげてください。この子も反省したみたいなので」
「はい」
2人は病院だと、ユスティーナは告げた。

************

一行はユスティーナの屋敷を後にし、隣の病院塔へと向かった。せっかくだから、ムネレイサスの顔を見て帰るというエルメルも含めて。

「結局俺、出番なかったばってんな」
エルメルがつまらなそうに呟いた。

「あら、それだと、エルメル様はマルティアス様に、水をぶっかけたかったように聞こえますね」
「正々堂々許されて、にーしゃんに水ぶっかける機会なんてそうなかとね。楽しみにしとったとねー」
エルメルの右肩のあたりに精霊が現れて、『そうだそうだ』と言うように頷いている。その顔は、エルメルと同じ…はずだった。

「なんだよ酷いなぁ。……エルメル、お前の精霊って、女の子、なのか?」
3人同時に思った疑問を、口にしたのはマルティアスだった。

「そうよー。泉に住んでる水の乙女の親友ばってんなー」
エルメルの精霊がにこにこ笑って、また見えなくなった。

「精霊って、契約した人間と同じ顔になるもんだと思ってたわ」
「うん、俺も」
「でもうちの子、基本的な顔のパーツは俺と一緒ばい。美人ちゃろ?」
ケラケラ笑うエルメルの前に、マルティアスの精霊がふんぞり返って現れた。

「顔の話をするならな、俺の子だって負けてないんだぜ?」
マルティアスの精霊は、マルティアスの見てくれがたいそう気に入っているらしい。ちょっとした力を使うくらいでも、すぐ出てくるのはそのせいなのだ。

「おふたりとも、うちの子自慢はそのくらいにしてください。着きましたよ」


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