scen1-21 拒絶
翌日の西の塔は、朝から昨日以上の大騒ぎだった。
「ちょっと、待ってお母様、ねぇっ!」
「マルティアス起きなさいっ!」
ベアトリスの大声が響いたかと思うと、窓ガラスがビリビリ振動で揺れた。
「うるせえよ!!」
返したのはいつもの、寝起きの悪さである。
「相変わらずね!」
ベアトリスが伸ばした手の先に炎の精霊。寝ぼけたマルティアスを風呂場に運んで、そのまま湯船に頭からたたき落とした。
「いや、お母様、それはちょっと…」
自分も起こす度に、ほとんど変わらないことをしていながら、さすがに顔がひきつってしまうウルリーカだった。
「……おはよう、ウルリーカ、ベアトリス」
湯船から顔を出したマルティアス。いつもと違って、身体が重そうなのはもちろん、寝間着を着たまま、湯船に放り込まれたからである。
「早く出てらっしゃい」
「なんだよ、うるさいな…」
「なんか言ったかしら?」
マルティアスが成長して、どれだけ大男になろうとも、8歳から育ての親代わりだったベアトリスには敵わないようであった。
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「そんな、眠れないほど痛いんだったら、早く言えば良かったのに」
そういえばオルヴァーは昨夜、夕食をあまり食べなかったなと思ったムネレイサスである。マルティアス兄上に『出て行け』と言われた精神的ショックだと、本人がいうからそれを信用していたが、本当は痛くて口が開かなかったのだろう。冷やしていたのは正解だったようだ。
「うるせー。別に、眠気が限界になりゃー、どんだけ痛くても眠れるって」
「お前の立派な御託は聞いてねえ。ほら、腕出しな」
昨夜同様、わざと大きめの注射を持ってきたヴェルナである。
「ちょ、まじ、だから先生、それ、デカくね?って!勘弁してください!」
「抑えろ。ムネレイサスも」
朝になって出勤してきた看護師と、ムネレイサス3人がかりでオルヴァーを押さえつけた。ムネレイサスは後ろから抱きつくような形で。
「やだ、まじ!もうやだって!お前、ちょっと、離せって!」
「オルヴァーは見た目にビビってるだけだって。慣れれば全然痛くないよ?」
「こんなもんに慣れたくねーよ!」
昨夜同様。いくら騒いでも容赦なく、二の腕を縛られる。
「慣れたくないって、いう暇もなく、物心ついた頃には慣れちゃってた僕に対する嫌味にしか聞こえないんだけどな」
「……っ!!」
その一言は、さすがに心に刺さり、オルヴァーは黙らざるを得なかった。
「だいたいお前、痛いの好きじゃないのか?」
言いながらヴェルナは血管の上を消毒し、返事も待たずに針を刺した。
「針が怖いなら、なにも見てることないよ」
オルヴァーが暴れなくなったから、ムネレイサスは両手でオルヴァーの目を覆った。
「――――――――っ!!」
本人が騒いだり喚いたりする時間に比べたら、案外注射を打たれている時間など、一瞬のものである。しかし、オルヴァーはなんだか、精魂尽き果てたような顔をしていた。
「あのなぁ。先に言っておくが3日間、朝昼寝る前、1日3回痛み止め打つからな」
「えっ!?いや、先生、あの、遠慮します!なんかもう、ほんっと、これだけは駄目なんだって!」
「聞いてねぇ」
オルヴァーの抗議は、バッサリと切り捨てられたのだった。
「そのうち慣れたら、どこに刺されたって全然平気になるよ〜?こことか」
まだ放心中のオルヴァーの隣に座ったムネレイサスが右手の手の甲を出して見せた。そこに、赤い点のように残る跡。それは、昨夜オルヴァーが注射された左腕に残るものとよく似ていた。
「ちょ、お前それ、もしかして、そんなところに、刺されんの?」
「そうだよ。昨夜の点滴ここ」
ムネレイサスは血管が細く、手の甲に刺されるのも慣れっこであった。
「お前…尊敬するわ…」
「そんなことで尊敬されてもなー」
入院を言い渡されたオルヴァーを残して、ムネレイサスは一旦ユスティーナのところへ帰ろうと思った時だった。
「ムネレイサス様、オルヴァー様」
離宮のユスティーナの侍女が、2人を訪ねてきた。
「ユスティーナ様より、連絡があるまで、帰ってこないようにとのことでございます」
理由は言われない。けれど、そう言い残して、侍女は去っていった。
「こないだお前助けに行った時も思ったけどよ、なんで離宮の侍女って、あんな強引なの?あん時も、『理由は後で説明するからとにかく早く来い』って感じでさー」
横になって、顔に氷嚢を乗せられたまま、オルヴァーがつぶやいた。
「僕に言われたって知らないよ。…でも、なんでだろ」
その横、ベッドの脇に座ったムネレイサスも不思議そうな表情を見せている。
「大方、バカ長男が弟返せって、暴れに来たんじゃねーのか?」
一瞬、誰のことを言っているのか考えてしまった2人だが、『ムネレイサスを返せ』と、マルティアスが来たのなら、むしろ早く帰って来いと言われそうな気がしていた。
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離宮を訪ねて来たのは、マルティアス一人ではなかった。
結局、ベアトリスでもマルティアスの心を変えることはできなかったのである。
「わかったよ。ベアトリスが言うように、本当にムネレイサスが俺のこと大事に思ってくれてるなら、帰ってきてくれるはずだろ?今から本人に確認しに行くよ『大っ嫌いなんて嘘なんだろ?』ってね!」
それどころか、ますますこじらせてしまったようだった。
「ムネレイサス様の返答次第では、離宮エリア壊滅しかねないわ」
心配したベアトリスがマルティアスに付いてきて、ウルリーカは万が一のために、応援を呼びに行った。
しかし、マルティアスとベアトリスを迎え入れたユスティーナは静かだった。
「ムネレイサスに会わせろ!」
マルティアスがいくら怒鳴っても、ユスティーナは眉一つ動かさない。振動で、窓は揺れ、テーブルの上のティーカップも動いていた。
「承諾、致しかねます」
「なんでだよ!」
「今のマルティアス様に、ムネレイサス様とオルヴァー様を会わせることはできません」
ユスティーナははっきりと、拒絶した。
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国王夫妻に王太子まで公務で出かけてしまって、すっかり暇を持て余している王宮警備隊庁舎である。道中や行った先での護衛は青服の仕事で緑服は出番なし。一応中央塔の警備はいつもどおりだが、守るべき人がいるのといないのでは大違いだ。
「暇なら鍛えてこんかーい!!」
班長のエルメルだけが、朝からいつも通りのテンションだった。
「エルメル様、お客様です」
「んー?誰とねー?」
訪ねてきたのは、もちろんウルリーカである。
「珍しか人が来たとねー。いらっしゃいちゃ、ウオレヴィ様」
「エルメル様、恐縮ですが、至急来ていただきたいところがございます」
「どげんしたん?」
「来ていただけるのなら、歩きながら話します」
エルメルは、兄の従者の様子から、ただごとではないものを感じて、ちょっとだけ、不謹慎ながらわくわくした。
「パーヴァリ。ちょい、行ってくるけん、後よろしく」
返事も聞かずに、エルメルはウルリーカを促して庁舎を出た。後を頼まれたパーヴァリは、学院時代エルメルの同級生だったというだけで、なんの権限もないのだが、時々こうやって、全権を任される。
「なんで俺がー!」
悲鳴のような声が、後ろから聞こえた気もしたが、ウルリーカも、それどころではなかった。
「実は、マルティアス様が離宮で暴れております」
「なしてそげなところで?」
「理由を話すと長くなるのですが…。とにかく、ベアトリス様も止めに行っているのですが、本気であの方が暴れたら、離宮エリアが壊滅しかねないかと」
「あー、なるほど。そいで、俺に止めて欲しかとね」
エルメルは水属性である。まして、マルティアスと似たような体育会系で力も強い。火属性のマルティアスを止めるのに、これ以上最適な人物もいない。
「ばってん、ベアトリス様でも止められん程暴れるっち、なしけんそげん、ブチ切れたと?ベアトリス様っち、あんたんお母様ちゃろ?火属性最強やなかったとね?しかも、確か相手の属性に関係なく、力をなかもんにできるんやなかったとね?」
「そうです。…いろいろ、あるのですが、簡単に言うと、ここ数日、ムネレイサス様とオルヴァーが、帰ってこなかったのです。どうやら、私の実家にいたようなのですが、なぜ、そんなことになったのか、聞いてはいけないと、私の母は主張しておりまして。…マルティアス様は、それが納得いかなかったと。…母も、万が一のためにエルメル様にぜひと、申しておりました」
「ふーん」
何故かエルメルは気のないような返事をした。今までの会話の中で、一番重要な話をしたつもりだったのだが。
「誘拐されたらしいって噂、本当だったのかもしれないな」
「……!?」
思わず、エルメルの顔を見上げてしまった。方言が消えたエルメルの表情から、ふざけた感じは一切なくなっていた。
「その噂は、どこから…?」
「んー?南三の塔の横の庭に噴水あるだろ?あの水って、実はあそこから湧いてて。あの湧き水に、シルラーっていう、水の精霊が住んでる。その子」
シルラーなんて精霊初めて聞いた。いや、その前に、庭の噴水が湧き水だなんてことも、湧き水だから精霊が住んでいるなんてことも、そもそもウルリーカには初耳だった。
「ただ、もう無事に帰ってきたって聞いたから、良かった良かったって、思ってたんだ、俺は」
そういえば、オルヴァーの同期の青服のヘルゲが、急な任務で誰かの救出に行っていて、振替休日をもらったとかっていう話を耳にした。お陰で父の帰りがいつもより少し遅かったと。それがちょうど、2人がいなくなったあの日の前後じゃなかっただろうか。
そもそも最初の日、マルティアスと一緒に学院の講義に行っていて、帰ってきたら2人がいなかった。サーラが、離宮から侍女が迎えに来て、2人で出かけて行ったと言っていたから、オルヴァーは護衛で、里帰りかな?なんてマルティアスと話していたのだ。あの時のサーラの様子は、確かに少し、変だった。
「ま、噂好きの精霊が言うことばってん、話半分、とよ」
ふたたび方言混じりの言葉遣いに戻ったエルメルだが、言葉の内容ほどに、表情は軽い様子がなかった。
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