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scen1-20 静脈内注射


王太子アルフォンスに呼ばれ、中央塔に行っていたウルリーカは、帰ってくるなり、自分がいない3時間の間にあったできごとをサーラに聞かされた。
最初に、マルティアスとオルヴァーの間になにがあったかは憶測でしかないが、オルヴァーがムネレイサスに言った『安心しろ、なんにも話してないからな』という言葉と、それを聞いてムネレイサスが『僕の、せいだ…』と呟いて行動に出たことから、サーラの推測どおりで間違いないと、ウルリーカも判断した。

とりあえず今のマルティアスの様子を見るため、ウルリーカは広間へ向かう。マルティアスは、ムネレイサスが出て行った時のまま、執務机の前に座っていた。
「マルティアス様!」
「ウルリーカか…。ムネレイサスに、顔も見たくないって、言われちゃった」
落ち込んでるように見える原因はそこなのか!と突っ込みを入れたくなるウルリーカ。確かに、弟をここに引き取りたいと決めてからのマルティアスは、『目に入れても痛くないと言えるほど溺愛したい』とは言っていたのだけれども。

「じゃあどうして、聞いたんです?うちの母に、あれだけ、何も聞くなと言われていたではありませんか」
「なにも知らないままで、はいそうですかで、終わるわけないだろう!」
突然の怒鳴り声に、空気が震えちょっとだけ怯んだウルリーカだが、すぐに気をとり直した。そこはやはり、小さい頃から、幾度と無く喧嘩をしてきた仲である。

「あなたは、どうしても知られたくないこととか、ないんですか?」
「なんだそれ?そんなものあるわけないだろう?こんなに何日もいなくて、心配させといて、なにがあったか全く知らなくていいだなんて、俺はそんなにどうでもいい存在なのかよ!」

今回の件については、ウルリーカもほとんど知らされていなかった。ただ、母は『いずれ知ることになるかもしれないが、今は知らないほうがいい』と、はっきり言ったので、それをそのまま信用していた。マルティアスもそれで、納得したはずだった。

「どうでも良くない存在だから、知らせないのだと思います」
「意味がわかんねーよ。お前、実はなんか知ってるんじゃねーのか?そうかよ、お前まで俺をのけ者にするのかよ」

マルティアスは執務机を蹴り上げた。どうやら完全に頭に血が昇っているようだ。恐らく自分も知らないと言っても無駄だろう。
「マルティアス様」
「なんだっ!」

顔を上げた主人の頬を思い切り引っ叩いた。こんなことするのは多分自分だけだろうなと思いながら。
「ウルリーカ…」
「少し頭を冷やしなさい。そもそも、オルヴァーがいなくて、あなた明日から、どうやって生きていくんですか?」
叩かれた頬を抑えながら、なおもマルティアスは怒鳴った。
「別に、あいつ一人居なくたって!」

「私一人じゃあなたの世話は無理ですよ。私は、出かけてきます」
「が、ガキ扱いしてんじゃねーよ!!」
「でも、私があなたより、半年早く生まれたことは事実ですから。…そうそう、あなた宛に手紙が来てましたよ」
手紙を執務机の上に置いて、マルティアスの怒鳴り声を背に、ウルリーカは広間を出る。

3階で、明日はオルヴァーも自分もいない上に、特別予定もないから、マルティアスが起きなければ無理に起こす必要はないと、勝手に起きてくるまで放っておいていいことを伝えてから、自室に戻らず階段を降りて行った。

あそこまで怒って理性を失ったマルティアスは自分の手には負えない。もう少し、年長者に諭してもらわねばどうにもならないような気がしていた。しかし、国王は先日からシャンナに行っているし、王太子も明日からセーデン州だ。どう考えても、うちの母しかいないような気がする。それでなくても、とりあえずあれだけ『聞くな』と言われていたのに聞いて、言わなかったオルヴァーに当たったらムネレイサスごと出て行かれましたという報告は、母にはした方がいいような気がしていた。

(オルヴァーには出てけと言っておいて、ムネレイサス様の『大嫌い』で落ち込む、か。報われないわね)
一瞬、同僚がどれほど落ち込んでいるか考えたが、無駄なことなのでやめにした。オルヴァーは見返りなんか求めていないんだった。ただ側にいられれば、お仕えすることさえできれば、それでいいと、本気で思っているようなやつだった。マルティアス様のためだったら、喜んで死ぬようなやつだった。だから、あいつの代わりなんて、見つけることが不可能とか、そういう問題じゃなくてそもそも、この世の中に存在しないんだった。当然ウルリーカも、オルヴァーがこのまま戻ってこない可能性など、微塵も考えていなかった。

「随分今日は、賑やかだね」
1階に降りたウルリーカに声を掛けてきたのは王宮警備隊員のトビアスだった。

「マルティアス様が暴れてるだけよ」
「え?あの方が暴れたりするのかい?」
「久しぶりにね。あんなに怒ってるの、いつ以来かしらね」

学院を卒業してからは、ほとんどなかったような気がしているウルリーカである。ああやって怒ったマルティアスを見る度に、まさしく火属性なんだと思い知る。普段は片鱗も見せないどころか、のほほんとした春風なんじゃないかとさえ思うけれども。

「今、オルヴァーがいないのよ。私も出掛けるから、マルティアス様がまた暴れたら、あなた達が身体を張って止めてちょうだい。お願いするわ」
「いや、俺もうすぐ交代なんだけど。どこ行くの?もうちょっと待ってくれたら、送っていくよ?」

入り口を守っていただけではことの重大さはわからないのだろう。オルヴァーとムネレイサスも、ここから出ていったはずなのだが。
「実家に行くだけだから問題ないわ。引き継ぎの人に伝えてちょうだい。マルティアス様は見ての通り頑丈だから、多少殴る蹴るしてもいいって。むしろ、王子だからって手加減すると、あなた達が怪我するわよ。いっそ2人がかりで止めてちょうだい、って」

ウルリーカの言葉に、トビアスも何かを感じたようだった。なにか、いつもと違う事態が起きている。
「いくらなんでもそれは…」
「頼んだわ」
反論の余地を与えることなく、ウルリーカは西の塔から出て行った。

************

ユスティーナの屋敷の、ムネレイサスの部屋は、壁一面、床から天井まで全て、本棚だった。
「…そりゃ、不可能だわ」
西の塔に移って来る時に、荷物を全て持ってはこれなかったと聞いていたが。

「そうなんだよねー。…そのうち、国立図書館に、寄付でもしようかな。全部読んじゃったし」
「全部?お前、ここにあるの、全部読んだのかよ?」
「?読んだよ?内容も頭に入ってる」
「あ、そう…」
間違いなくお前は天才だよと、思ったオルヴァーだった。
寝てる間に地震が来て崩れたら嫌だなーと思いながら隣の寝室に移動すると、さすがに寝室には本棚はなくて安心した。

「なんか最近、オルヴァーとばっかり寝てる気がする」
「なんだよ、嫌なら俺は別に、床でも構わねーぞ」
「嫌だなんて言ってないでしょー。こんなに誰かと寝るなんてこと今までなかったから、変なのって思っただけだよ」

「…そうかよ」
そういえば、小さい頃ほど、ほとんど病院暮らしだった。生まれた時から母親もいないし、ムネレイサスの人生で、一番一緒に寝てるのがもし俺だとしたら、確かに変な感じだ。

最初はあんなに憎まれ口ばかり叩いて嫌がっていたくせに、いつの間にか当たり前のように腕枕を要求してくるムネレイサスに、半ば驚きながら腕を貸してやる。案外歳相応な一面を見つけると、なんだか嬉しくなる最近のオルヴァーだった。
その夜、ムネレイサスは久しぶりに発作を起こした。

薬を飲ませて、背中を擦る。真冬の一番寒い季節は過ぎたってのにどうしてだろう。荷物も何一つ持ってこなかったから、ウイントフックの花粉で作った薬はここにはない。
「オルヴァー様」
ムネレイサスの寝室の入り口に、ユスティーナが立っていた。

「病院はすぐそこです、連れて行ってもらえますか?」
「あ、そうか。そういやそうだったな」
この屋敷の、すぐ隣りの建物が、王宮内の病院塔だった。

「それから、オルヴァー様」
ムネレイサスを抱き上げたオルヴァーにユスティーナは、更に声をかける。

「あなたも、診てもらった方がいいと思います」
「は?俺?」
なんのことだかよくわからないまま、とりあえずオルヴァーは走った。

あっという間に病院に到着して、医師のヴェルナが迎えてくれた。
「あらあら、久しぶり。季節って感じね」
言われたベッドにムネレイサスを下ろすと、ヴェルナは手際よくムネレイサスの腕をまくり、注射を用意する。

(うわ、イッテぇ)
実はほとんどされたことがない故に、注射が苦手なオルヴァーである。見ていなきゃと思っていたが、つい、その場を離れて入り口のあたりに戻ってしまった。

「ムネレイサス様、終わったら呼んでね」
「…うん」

まだ咳は出ていたし、胸の音も聞こえていたが、もう心配はいらない。
「さて。そこのドM、ちょっと来い」
「ちょ!先生、なにその言い方!」
ムネレイサスのベッドを離れたヴェルナがオルヴァーを呼んだ。じろりと睨まれて仕方なく、言われた通りおとなしくオルヴァーは椅子に座る。

「お前それ、どうした?どこにぶつけたんだ?ずいぶんいい顔じゃないか」
「ぶつけたんじゃねーよ!」
間違いなく顔のことを言われていると思ったオルヴァーは応えた。どうもこの、口の悪い医者は苦手である。

「蹴られたんだよ、マルティアス様に」
「…あの馬鹿」

その声は、点滴を受けていたムネレイサスにまで聞こえていた。
(殴られたんじゃなくて蹴られた?だからあんなに腫れてるんだ)
けっこう腫れてきているなと思ったから、外の雪を持ってきてずっと、寝るまで冷やしてはいたのだけれど。

「それはもちろん、昨日だな?…3日様子見て、腫れが引かなきゃ手術。わかったな」
「えっ、ちょ、まじかよ!何言ってんだよ!?手術ってなんだよ!」
確かに、痛くてあまり眠れなかった。お陰で、ムネレイサスの発作にすぐ気づいたのだが。

「うるさい。頬の骨が折れてるかもしれねーんだよ。とりあえず腕出せ」
「な、なに?腕ってなにすんだよ?ちょ、やめろって、俺注射嫌なんだって、ちょっと!」
「やかましいわっ!!!」

逃げようとしたオルヴァーの太腿を、ヴェルナは踏みつけて、左腕を引っ張った。
「顔でも股間でも、好きなトコ踏んでやっからおとなしくしな」
「せ、先生…、それ、ちょっとチガウ…」
確かに踏まれるのは好きだけれど、むしろ恐怖で縮こまってます、はい。

そんなオルヴァーの恐怖などお構いなしに、二の腕を縛り、ヴェルナは注射を用意した。
「そういえば、お前、縛られるのも好きだったよな、うってつけじゃないか」
「先生、なんかそれ、太すぎじゃね?なんなのそのデカさ!いや、ちょ、まじ、先生、ホントやめて!!ぎゃーーーー!!!」

オルヴァーが打ってもらったのは、痛み止めの注射らしく、おかげでオルヴァーは、僕の隣のベッドで、すーすー朝まで眠っていた。


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