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scen1-18 喪失感


3人の前に現れた風の乙女は、北の山から吹き下ろす強い風の化身だという。
「僕なんか簡単に吹き飛ばされそうなくらい強い風だし、風だったら行動範囲広いかな強い風なら尚更広いかなとか、あと、ドーグラス様が火なら、火と風は相性いいからお願い聞いてくれるかな、とか」

ムネレイサスが一か八かの可能性にかけたのには色々理由があったようだ。
好き嫌いが激しく短気で気難しいと有名(らしい)ソーディオは、ドーグラスに連絡してくれた。しかし、ドーグラスは、
「第4王子とあんたの部下と、娘の同僚がこの場所にいるわよ」
としか聞かなかったそうだ。

ムネレイサスに言わせるとそれでも上出来すぎるくらい上出来で、そもそも呼んだら姿を現してくれた、この時点で自分達は強運だし、風の乙女もかなり、機嫌が良かったらしい。

「前に会った時に名前教えてくれたから、嫌われてはいないんだろうとは思ってたんだけど」
本人の前でそんなこと言おうものなら、風速40メートルで吹き飛ばされるかもしれないとムネレイサスは言う。

「俺達そんな、怖い精霊の名前なんて知らないよな?な、ヘルゲ」
「だ、大丈夫ですよ、俺達が彼女を呼ぶことは絶対にありません」

精霊にとって名前を知られることは、自分の能力を相手に教えることになる。それはつまり、自分の弱点をさらけ出すことにも繋がるため、精霊使いたちも皆、自分が従える精霊の名を、他人に教えることはまずない。ただ、オルヴァーがマルティアスの精霊の名を、ムネレイサスがユスティーナの精霊の名を知っているように、ごく親しい間柄であれば、教えることもないわけではない。

そんな状況だったから、約束を引き受けてくれた風の乙女が、今日中にドーグラスに伝えてくれるなんて、3人は全く期待していなかった。

また、知らせを受けたドーグラス側も、3人がどうしてそんなところにいるのか、何のために自分に知らせてきたのか、なぜ自分なのか。全く理解できなかったため、話を聞きに行くしかないと判断、3人の前に暖炉の火の中から現れたのだった。

「隊長!!良かったぁー!」
「…お久しぶりです、ドーグラス様」
「こんなに上手くいくと思わなかった!」
仕事を終えてそのまま来たため、オルヴァーやヘルゲが普段着ているのと全く同じ青服のドーグラスである。ただ、左胸に付いている勲章の数は比べ物にはならないが。

3人の歓迎ぶりに、ドーグラスは戸惑いを隠せなかった。そもそも、この3人はどういう組み合わせなのかと。聞きたいことは山ほどあったが、とりあえず一言しか言葉にはならなかった。

「何を、しているのだ?」
「俺が説明します」

話す役割を買って出たヘルゲとドーグラスが隣の部屋に消えてからもう1時間以上になる。残された2人は、することもなくベッドに転がっていた。2人しかいないというのに、1つのベッドにくっついて。

「お前、身体もう大丈夫か?」
「うん。…案外平気。…いつもよりやられた回数少ないしね」
「…そっか」

その言葉に、どうしてもっと早く助けてあげられなかったのか…なんて思ってしまうオルヴァーである。出会ってもいなかった自分には、どう考えても不可能なのだけれども。

「オルヴァーこそ平気なの?」
「まぁ、まだ痛ぇところはあるけど、大勢に影響はねぇよ」
「そう」

ムネレイサスが何を考えているのか、オルヴァーには想像することしかできなかったが、自分の身体にしがみついてくるものだから、ずっとそのまま抱っこしてやっていた。マルティアスも小さい頃、よくこうやって自分に抱きついてきたなぁなんて思い出しながら。

「僕に、力があれば、こんなことにならなかったのにね」
「…お前、またそれか?それ以上言うと、怒るぜ?」
「だって、そうじゃない」
力のあるなしはお互い様だと思う。ヘルゲが言う通り血筋があまり関係ないのなら、ムネレイサスだけが『力がないせいだ』と自分を責めるのはおかしい。

「あのさ、これは俺の勝手な想像だけど」
「…なに?」
「そーやって、『自分は駄目だー、自分なんかー』って思ってるうちは、お前の前に精霊さんって現れてくれないんじゃねーの?」

「え…!?」
そんなふうに、考えたこともなかったムネレイサスは言葉を飲んだ。

「だってよ、けっこうすごい力を手にするわけじゃん?しかもいきなり?自分は駄目だーって思ってるようなやつに、扱えんのかなって」
一番身近な精霊使いであるマルティアスを思い出してみる。オルヴァーの言うとおり、マルティアスは少なくとも『自分が駄目だ』なんて思ってはいないような気がする。マルティアスの声で『自分は駄目だー』と言っているところを、再生しようとしてみても不可能だった。

だけど、それはマルティアスだからじゃないのか。長身で顔も整ってて、友達にも恵まれて病気もなくて、人生で自分にについて悲観するようなこと、ひとつもないじゃないか。明らかに自分とは違うからだと、ムネレイサスは思った。

「言っただろ、俺の想像だって。でも、お前はもうちょっと、自分に自信持った方がいいんじゃねーの?なんせ天才なんだろ?」
「僕、あんまり自分が天才だなんて思ってないんだよね。単に、武術が全く駄目だった分、使える時間が、人より多かっただけで」

「それはさすがに卑下しすぎだわ。お前は、お前が思ってる以上に凄いやつだと思うよ。俺は、そう思ってるから。あ、だけど、一番はマルティアス様な!だいたい、マルティアス様の弟だろ?凄いに決まってんじゃん。後ろ向きになるんじゃねーよ」

「……変なの」
自分なんか信じたってどうしようもないと思うのに。本当に兄弟なのかなって、今でも不安になりながら、暮らしてるのに。

ようやく隣と、この部屋を隔てた扉が開いた。
「話は聞きました。2人共、無事で良かった」
ムネレイサスを抱っこしたまま起き上がったオルヴァーの前に、ドーグラスは歩み寄って膝をついた。ムネレイサスはいいけど、俺このままでいいのかな?と一瞬考えて、立ち上がろうとしたオルヴァーだが、ドーグラスは制した。

「ただ、3人連れて帰るとなると、私には力不足なのです」
「え…?」
精霊使いさえ呼べればなんとかなると思っていた自分達の認識の甘さを思い知らされた気分だった。

「お2人さえ、構わないのであれば、今からベアトリスを呼びます」
ドーグラスの話だと、同じ火属性でありながら、ベアトリスには自分の倍以上の力があるという。

「ベアトリス様なら、俺は構いません。ヘルゲがどこまで話したかわかりませんが、俺は、かつて公爵に身体を買われていたなんて事実を、マルティアス様にだけは知られたくありません。それだけです」

オルヴァーの言葉にドーグラスは眉を潜めた。その表情に驚きはなかったようだから、恐らくヘルゲは過去のことまで話したのだろう。仕方ない、ここまできて隠し通せるものでもなかった。それに、変な噂をたくさん流されていた自分のことだ、ドーグラスも驚きは少ないだろう。ムネレイサスと比べて、だけど。

「僕も。…僕もマルティアス兄上には知られたくない。兄上に、ばれなきゃ、なんでもいい、よ」
肩を抱いてくれているオルヴァーに横から抱きつくような形で座っているムネレイサスは、俯いたまま応えた。

「かしこまりました、ムネレイサス様」
ドーグラスが暖炉の炎に向かって指を動かした。ゆらゆら揺れた炎は、一瞬文字の形を取ったかと思うと、すぐに元に戻り、また盛んに燃えた。

「どうやら、手が空いていたようです。すぐ来ます」
暖炉に浮かんだ文字は『今ここにいる』という、とんでもなくシンプルなものだった気がしたが、それで意志の疎通が叶うらしい。
しばらくして、ベアトリスもやはり、暖炉の炎の中から現れた。ベッドの上のオルヴァーとムネレイサス、暖炉の横に立つドーグラスと部屋の隅に控えるヘルゲを見て。

「なにしてるの?あなた」
「だいたいこんな内容だ」
不思議そうな顔で尋ねたベアトリスに、ドーグラスが差し出した手のひらの上の炎を受け取って、すぐに炎が消えて数秒。

「わかったわ。とにかく西の塔に連絡しましょう。2人はしばらくうちにいますって」
ベアトリスはさらさらと空中に炎の文字を書き、その文字を暖炉の火の中に投げ込んだ。マルティアスも火属性だから、それで十分なのだそうだ。

「ヴィクトル様にも連絡しましょう。迎えに来られて、誰もいないんじゃ可哀想だわ」
「しかし、ヴィクトル様はグランクヴィスト公爵に見張られている可能性があるって言うじゃないか」
「大丈夫よ」

ゆらゆらと揺れる暖炉の炎が、たまたま文字の形に見えた、それだけよ、と笑って、ベアトリスはやはり炎の文字を投げ込んだ。本来なら、属性の違うヴィクトルには、手紙などの別の手段を講じるらしいのだが、それだとやはり地属性のステーンに悟られてしまうそうだ。

「炎の文字が、公爵に悟られることはないのか?」
「大丈夫よ。随分燃えているなあ、ちょっと熱いかも…って、暖炉を向いた一瞬で終わるわ。不自然な動作はないし、炎が文字の形に見えるのはヴィクトル様だけよ」
ベアトリスが従えている精霊は、マルティアスの精霊より強いらしいということは知っていたオルヴァーだが、改めてその強さを思い知る。

「では、行きましょう。戸締まりOK、食べ散らかし、ないわね。お風呂は…ここから湧いてるのね。匿ってもらって、汚して帰るわけにはいかないわ」

暖炉の火は、自分達が去った後に勝手に消えるらしい。
「忘れ物ない?」

まず、ドーグラスが先に、炎の中に消えた。それから、若い頃のベアトリスの顔をした炎の精霊の姿が一瞬見えたかと思うと。
4人は既に、ノルダール及びプルシアイネン両伯爵邸に到着していた。

急な特殊任務についていたことにしてもらったヘルゲは帰宅し、ムネレイサスとオルヴァーはそれぞれ部屋を用意される。が、結局その日も、ムネレイサスはオルヴァーのベッドに潜り込み、2人一緒に寝たのだった。

************

3日後、ようやく2人は西の塔に戻った。
『何があったか2人に聞かないこと。それができないなら返しません!』と、ベアトリスが言い張ったらしく、マルティアスもしぶしぶ承諾したそうだ。だから安心して帰るように…といわれたものの、若干の不安は残るオルヴァーである。

「マルティアス兄上ただいまー!」
「おかえり。…お前がいなくて寂しかったんだぞ」
「ごめんなさーい」

2人でマルティアスを尋ねた時、彼は2階の広間で一人で仕事をしていた。ウルリーカは出かけたのだろうか。ムネレイサスを抱きしめ、ひと通り頭を撫でてから。

「サーラも心配していたから、挨拶しておいで」
「はーい!いってきまーす!」
ムネレイサスはぱたぱた足音を立てて、広間を出て行った。

さすがに何日も休ませてもらっただけあって、ムネレイサスはちゃんと平気な顔をしていたし、マルティアス様もなにも聞かなかった。良かった良かったと思いながら、オルヴァーは扉の前に立ち、ムネレイサスが出て行くのを見ていた。

「マルティアス様」
「オルヴァー、座れ」
にこにこ弟が出て行くのを見ていたマルティアスの表情が、扉が閉まった瞬間、変わっていた。

(あ、やっぱり)
なにも聞くなと言って、納得するような人じゃないと思っていた。たとえ相手がベアトリスでも。

「なにがあった、話せ」
自分が仕事をするときの席に座ったオルヴァーの前に、マルティアスが立ちはだかった。

「…言えません」
「お前は誰の従者なんだ?」
「…マルティアス様です」
「じゃあ言え。命令だ」

ここまで怒っているマルティアスは、長い付き合いのオルヴァーでもなかなか見たことがなかった。空気が震えて、窓枠やテーブルが小刻みに揺れている。火属性はみんなそうらしい。ベアトリスが怒るときも、こんな感じだった。
話すつもりはないが、たとえ言ったとして、きっとこの人は今以上に怒るんじゃないだろうか。

「言えません」
答えた瞬間、目の前に火花が散って、身体が後方に吹っ飛んでいた。
さすがに、手より先に足が来るとは思っていなかった。殴られるくらいは覚悟していたのだけれども。

「出て行け!二度と俺の前に顔を見せるな!」
(……え?)
「マルティアス様、私は…!」
「聞こえなかったのか?出て行けと言ったんだ」

取り付く島もない、ハッキリとしていて、強い拒絶。蹴られた顔の痛みもわからないほどに。
「失礼、致します…」
なにも考えられなかった。だけど、ここにもいられない。オルヴァーはよろよろと、広間を出て行った。

************

3階の廊下で、笑いながらサーラと話していたムネレイサスは、突然の怒鳴り声に驚いた。
『出て行け!二度と俺の前に顔を見せるな!』

ムネレイサスが慌ててサーラと一緒に階段を駆け上がると、すでに広間の扉の前には人だかりができていて、それから、ゆっくりと扉が開いて、オルヴァーが出てきた。

「オルヴァー、どうして?なんで!?」
「…おう」
駆け寄ったムネレイサスに応えたオルヴァーは、唇の端が切れて血が垂れていたが、本人は気づいていないようだ。

「安心しろ、なんにも話してないからな」
ここ数日そうだったように、オルヴァーはムネレイサスの頭を荒っぽく撫でて、ふらふらと階段を登って行った。
何があったのかよくわからないがとりあえず終わったらしいと、集まっていた人だかりは徐々に減ってゆく。

ムネレイサスは理解した。兄が、なにがあったか聞いたのだろうと。そして、断ったオルヴァーが出て行けと怒鳴られて、あの様子だと殴られた?

「僕の、せいだ…」
「ムネレイサス様?」
「僕が…」
「お待ちください、ムネレイサス様!」
サーラの腕を振りほどいて、ムネレイサスは広間の扉を開けた。勢い良く。

「?……どうしたんだ?ムネレイサス」
兄はちょっと疲れた表情だったけど、さっき自分を迎えてくれた時と変わらないように見える。普通に、さっきと同じように、執務机の前に座っていた。椅子がひとつ、部屋の隅に転がっている以外はさっきと変わらない気がする。だけど。

「マルティアス兄上なんか、大っ嫌い!!僕、離宮に帰るからっ!!」
ムネレイサスは、今まで自分が出したことないような、精一杯の大きな声を出した。
「えっ?ムネレイサス、なんで?ちょっと待て」
「来ないでっ!」
慌てて立ち上がる兄に追い打ちをかけた。

「二度と顔も見たくない」
さっき聞こえた、オルヴァーが言われたのと同じ言葉を吐き捨てて、そのままムネレイサスは広間を飛び出した。
扉を開けっ放しにしていたせいで、また人が集まってきている。

「ムネレイサス様!お待ちください、ムネレイサス様!」
唇を噛み締めて、ムネレイサスは黙って歩いた。野次馬達は道を空けてくれて、その後ろをサーラだけがついてくる。

「なんで…。なんで…」
広間では、残されたマルティアスが一人、うなだれて同じ言葉を繰り返していた。
中央塔に行っていたウルリーカがようやく戻ってきたのは、その後だった。


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