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scen1-10 休憩室の喧騒


「あ、ウルリーカ!」
「やっと来たわね」

湯上がり専用の着物に着替えた、3人が揃って休憩所に入ってきたのが見えた時、誰かに右手を取られた。
「どこから来たの?俺の家来る?」
そして、右手の甲に柔らかい感触。いかにもリベラ人といった容貌の、背の高い青年が自分の瞳をまっすぐに見つめていた。しかも緑色の制服じゃないか。
休憩所とは言え、ここは王宮内部の施設なのだから、緑色がどこにいてもおかしくはないのだが。

「僕ね、今自分の運命を恨んでるんだ。今日まで君と出会えなかった運命をだよ?どうして君は、そんなに僕の好きな顔に生まれてきたの?」
「あ……」

なにか言いたげな男たち3人の目の前で、握られていた右手を逆にとり、ウルリーカはそのまま勢い良く左足を引っ掛けて青年を引き倒した。
「えっ?」
まさかそんな行動を取られるとは夢にも思わなかったのだろう。意表を突かれ、体格差をものともせず床に叩きつけられる。なすがままに腕をひねられ、ウルリーカが馬乗りになったここまでわずか数秒。この青年は、もちろんあの、新人王宮警備隊員のルーカスである。

「あなた、制服ってことは仕事中じゃないのかしら?」
「…そんなことより、怒った顔も可愛いね」
「貴様…」

ウルリーカの表情が一段と険しくなった瞬間。
「ルーカスなにやってんだお前ぇえぇえぇえぇえ!!!!!」

猛ダッシュでもう一人の緑色の制服が飛びこんできた。
「ウルリーカ様、すいませんすいませんすいませんすいません!!こいつ新人なんで勘弁してやってください、腕折るのだけはやめてあげてぇえぇえぇえ!!」

額がそれこそ、床に着くのではないかというくらいにペコペコ謝るもう一人の緑色を見て、ウルリーカはようやく、馬乗り状態を解いた。
「トビアス・アッラン・ミルヴェーデン。新人の躾くらいちゃんとしておきなさい!」
「ごめんなさいごめんなさい、本当にごめんなさい!ほらっ、お前も謝れルーカス!」
トビアスは、ようやく開放されたルーカスの頭を一発叩いてから、首の後ろを掴んで引っ張りあげた。

「こんな素敵な女性をこの世にもたらしたあなたのお母さんに、せめて僕の感謝を伝えて欲しいな」
「ルーカスーっ!!!!」

トビアスの悲鳴と同時に、ウルリーカは握りしめた右腕を繰り出した、はずだった。が、何にも当たらなかった。それもそのはずだ、ウルリーカがルーカスを殴るより数瞬早く、騒ぎを聞きつけて飛んできたエルメルがげんこつをお見舞いして、ルーカスは床に伸びていた。

「ウルリーカ様、お騒がせしましたちゃ」
「エルメル様、あなたの部下なの?」
「はい、申し訳なかとです」

遠巻きに見ているマルティアス一行に気がついて、にこやかに手を振ってから。
「連れて帰ってばっちりしごき直すけん、お許しくださいとよ」
「…今度は許さないわ」
「申し訳なかとです。にーしゃん、お騒がせしたとよー」
目を回しているルーカスを引きずって、エルメルは行ってしまった。

「ほ、本当に、皆さん、申し訳ありませんでしたっ!!」
それぞれにもう2回ずつ頭を下げて、トビアスはエルメルを追いかける。

ようやく、休憩所は平然を取り戻した。
「ちょっとあんた達!少しは手を貸すとかないのっ!?」
ウルリーカの矛先は、こちらへ向いたようだ。

「だって必要ねーじゃん?…ねぇ、マルティアス様?」
へらへら笑いながら歩み寄ってきたオルヴァーは、近くの席に全員座るように促し、人数分の冷たい水をもらってきた。

「そうだな。それに、あの子、口説いてくるだけでそれ以上別になにもしないし、なぁ?」
そういうこっちゃないと思うんだけどっていうかその前に同意を僕に求められても困るんだけど!!…と思っていたら、ウルリーカとオルヴァーが『今の彼知ってるんですか?』と、すごい勢いでマルティアスに詰め寄った。

「え?…今年の新人だろ?こないだムネレイサスも口説かれたんだよなー」
それ言わなくていいのに、と思ったがもう仕方ない。
「そうなんです」
とりあえず肯定だけしておいた。ルーカスの話題になるのは別にいいが、自分が口説かれたとかっていう話はもう忘れて欲しい。

「でも面白いやつだよなー!え?ムネレイサス、お前、男だってわかってて口説かれたの?それとも、女に間違われたの?」
「さぁ、どうなんでしょう。エルメル兄上の学院時代の後輩らしいです。エルメル兄上が性別気にしないの知ってたんで、けっこう仲良しなんじゃないですか?」

おそらく最初は女に間違われたんだと思う。でも、エルメルに突っ込まれて、男だとわかってもやめなかったのだから、どっちでもいいのかもしれない。とにかくもう、そのことは忘れたい。

「ルーカスって、呼ばれてたっけ?」
「ルーカス・トニ・オールソン。多分マイエル州のオールソン伯爵家縁の人なんだと思います」
自分の話題から逸らすために、ムネレイサスは知っていることを話した。

「あれ?なんでそんなこと知ってるんだ?ムネレイサス」
前回初めて会った時に、マルティアスもいたはずなのだが。
「名前もアレですけど一番の決めては方言かな。こないだ『先輩より卒業試験の、論文の成績良かってんけど』って、喋ってましたから」

「そんな一言で判断したのか?」
「…まぁ。もうひとつ、『そんなとこ引っ張らんといて』とも言ってたので」

方言を隠さないエルメルと違って、ほんの少し語尾に方言が混ざっただけだった。だから『多分』と言ったのだ。そもそも、エルメルは、好んで母親の出身である、セーデン州の方言を使っているだけで、生まれも育ちもこの、ヴェスティン州ペーデル市なのであるが。

「さすがだなぁ。…なぁなぁ、オルヴァー、ウルリーカ。ムネレイサスって本当に頭いいと思わない?俺、なんて言ったらいいかわかんないくらい嬉しいんだけど?ムネレイサスの兄貴で良かったぁ」
「は?」
予想外の言葉に驚いたのはムネレイサスだけである。

「な、なに言ってるんですか?これくらいで、意味わかんない!」
「おいおい、なに照れてんだよ?マルティアス様、1日5回くらいこんなこと言ってるぜ?なぁ?」
「ええ、毎日聞いてます」
「うそっ…!」

耳まで真っ赤にして、顔を覆って俯いてしまったムネレイサスの頭を、面白がってオルヴァーがつんつん突いた。
「ほんっとお前、時々歳相応でカワイイよなー。いっつもそうしてりゃいいのに」
「う、うるさいっ!!」
怒鳴ってはぐらかそうとしてみたけれど、顔の赤さはどうにもならない。

「それより、そのときも仕事中だったのよね?…ったく。やっぱり腕の1本くらいもらっとくんだったかしら」
「やーめとけって。あいつの欠員分、余計に働かされる他の隊員が可哀想じゃん」
「あんた意外と優しいのね」
ウルリーカは、まだ怒りが治まらないようだ。

「ね、ねぇ!さっきのあれで、腕なんてそう簡単に折れるの?」
「んー?」
なんとかさっきの話題から逸らそうと、自分の話は忘れてもらおうと尋ねたムネレイサスの疑問に答えたのはオルヴァーだった。

「肘ってのはこの方向にしか曲がらないだろ?さっきの状態で押さえて、ウルリーカが体重掛ければ、反対方向にメキっ!…だぞ?」
「ひえっ…。あ、あの、僕、絶対ウルリーカには逆らわないからっ!!」
それを聞いて笑ったのはマルティアスとオルヴァーである。

「大丈夫だよ、ウルリーカが誰にでもそんなことするわけじゃないんだから。ムネレイサスにはしないよ」
「そーそー。それにな、アレは相手のほうがデカくて体格がいいからあんなやり方なんだって。お前だったらフツーに殴られてるって」

「オルヴァー、それまったくフォローになってない」
ピシャっと言い放つウルリーカだが、へらへらした口調のオルヴァーに毒気を抜かれ、だんだんどうでも良くなってきたのも事実であった。

「そう言えばさ、こないだ、エルメルに宣戦布告されたって話、しただろ?」
「ああ、ありましたね。有望な新人が入ったって」
オルヴァーもウルリーカも、その話を覚えていた。

「それが、今のあの子。剣持つと性格変わるらしいぜ。楽しみだなぁ…」
さっきまで散々、模造剣を振り回して来たというのに、まだ足りないらしいマルティアスである。
「しかし彼、マイエル州のあのオールソン家出身で間違いないんですかね?だったらなんで王宮警備隊なんでしょう?」

この日初めてルーカスを知ったオルヴァーが不思議そうな表情を浮かべていた。それもそのはず、オールソン伯爵家と言えば、国内でも10本の指に入るほどの名門である。次男や三男だったとしても、マルティアスに勝てるかもしれないほどの剣の腕前が本当ならば、いくらでも青服に入れたはずだ。

「そうだよなぁ。…でも、案外エルメルのせいだったりするかもな」
マルティアスが言うには、第3王子エルメルはかなりの『人たらし』であるらしい。
話しているうちに相手を『この人は信用できる』『この人になら、なにを打ち明けてもいい』という気持ちにさせるらしく、エルメルの回りには常に人が集まっているのだとか。

「そうかもしれませんね。本人が否定しているので皆口には出しませんが、8班はほとんどみんな、次の王太子はエルメル様がいいと思っているとかいないとか」
何かを知っているような口ぶりでウルリーカもマルティアスの言葉を引き継いだ。

「そうかー。次の王太子は別に、俺に関係ないからどうでもいいけど、その調子だと本当に武術大会までエルメルががっつりしごいて来るんだろうな!うかうかしてられないぞ!」
「へ?……」
マルティアスの口から飛び出した爆弾発言のせいで、後半はほとんど耳に入らなかったムネレイサスは動揺のあまりウルリーカとオルヴァーの顔を交互に見た。が、どうやら驚いているのは自分だけのようだ。

(関係ないからどうでもいいって、どういうこと?)
ムネレイサスの動揺に全く気が付かないマルティアスは尚も武術大会に心が向いているようだ。
「大会まで、あと3ヶ月あるからな、また練習に付き合ってくれよ」

「もちろんです!」
ウルリーカとオルヴァーが声を揃えて、とりあえずムネレイサスは、後でオルヴァーを問い詰めようと思った。いつまでもこんな顔をしているわけにもいかない。

「ムネレイサスも見に来てくれよな」
「!……は、はいっ!!」
それにしたって、兄がこんなに楽しみにしている武術大会の、練習に付き合うこともできないと、黙って下を向いていたムネレイサスだが、ちゃんと自分もそう言ってもらえたことが嬉しくて、とびきりの笑顔で応えた。

「そろそろ、戻るか。腹も減ったし」
「…!?まさか、この服装で戻るとか?だって、みんな汗だくだったよね?」
「そんなわけないでしょ、はい」

大浴場に来ていることは、西の塔の侍女みんな知っていたから、頃合いを見計らって新しい服を持ってきてくれていた。先に上がったウルリーカが3人の分も受け取ってくれていた。

「この、袋の中の新しいのに着替えて、さっきまでのをこの袋に入れて持って帰って洗濯に出すわけ、わかった?」
「了解!」
湯上がり着は、着用後の湯上がり着を入れる専用の箱が脱衣室の中にあった。
着替えを終えて、一行は、半日ぶりに、西の塔へ戻ったのだった。


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