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scen1-05 精霊事件


「今日は学院の後輩達に、法学の講義をしてきたんだよー」
ニコニコ笑って、そう話してくれる兄の隣を歩いていた。一緒に行ったウルリーカは、荷物を持って先に帰ったらしい。

「そうなんですか?……僕には講師の話は一切来なかったのになぁ…」
「ムネレイサスにはみんな、研究を続けて欲しかったんじゃないのか?お祖母様が賛成していたし」
「それだけならいいんですけど」
自分の教え方が悪いというか、人になにかを教えても『さっぱりわからない』と言われることの方が多かったムネレイサスである。講師の話が来なかった事実にも、ある程度納得はしていた。

「兄上ぇーっ、兄上ー!」
西の塔へ向かって歩いている途中で、突然声を掛けられた。
「久しぶりっちゃー!」
この南部方言は間違いなくエルメルである。振り返って、走って来る緑色の制服の2人を待った。

「マルティアス兄上、ムネレイサスお久しぶりですちゃ!」
「美の精霊よ」
「へっ?」
走ってきた緑色の制服は2人。1人はムネレイサスもマルティアスもよく知った第3王子エルメルである。そしてもう一人は、エルメルの部下であろうことは疑いようがないのだが。

「今ごろ森は大騒ぎだろうな…。だって美の精霊が1人、逃げ出して僕の所に来ちゃったみたいだからさ」
エルメルより先に来て、ムネレイサスの手を取り、かがんで甲に唇を落としながら、背の高い、制服の青年は瞳を見つめて続けた。いかにもリベラ人というエメラルドのような瞳がまっすぐ自分に向いている。

「君は僕のためにこの世に生まれてきたんだよ、ようやく出会えたね」
「あ、あの…」
「いきなり口説くんじゃなかっ!!」
突然の出来事に、なにがなんだかわからず動けなかったムネレイサス。だが、青年の頭を掴んだエルメルが、そのまま青年を投げ飛ばした。

「ちょ、あの、エルメル兄上…」
「先輩酷いですぅ〜」
思い切り廊下の壁に激突した青年だが、全く凝りていない様子だった。

「ルーカス。…ムネレイサスは男とよ」
「先輩が性別を気にするんですか!?」
余計なことを言ったルーカスと呼ばれた青年は、もう一発エルメルに殴られた。

「えーっ!だって俺、先輩ほど性別関係なく気に入ればとりあえず口説くって人知らないんですけどー!」
「ルーカス。…にしゃ、3ヶ月休みいらなかとね。ほーかほーか、見上げた根性ばい」
「えええええええっ!!!!」
騒々しいエルメルと青年のやりとりが面白くて、ムネレイサスはつい吹き出してしまった。おそらく、王宮警備隊に配属される以前から、この2人は知り合いなのだろう。

「マルティアス兄上、ムネレイサス。こいつは今年の新人で、俺の学院の後輩でもあるとね。ほれ、ルーカス挨拶しぃっ!」
ぺしっと、お尻を叩かれて、ルーカスは2人の前にまっすぐ立った。

「ルーカス・トニ・オールソンです。先週から王宮警備隊に配属になりました、よろしくお願い致します」
きちっと礼をしてみせた姿に、あ、この人やればできるんだと思って兄を見上げると、やっぱり同じような表情をしていた。

「第1王子のマルティアス様と、第4王子のムネレイサス様とね。せっかくばい、今すぐこの場で顔覚えんしゃい!」
「大丈夫です先輩!お2人とも美人なので、一発で覚えましたっ!」
さすがにマルティアスよりは少し小さいものの、リベラ人らしい長身でがっしりとした身体つきの青年は、ためらいもなくそう答えていた。おそらく本心なのだろうが、美人と言われて嫌な気はしないが複雑だ。

「でも、ムネレイサス様、こんなに可愛いのにほんとに男の子なんですか?もったいなーい!」
しかし、ちゃんと警備隊員の顔をしたのはほんの数秒だけだった。ムネレイサスの両手を掴んで泣いてみせる。おそらく泣いたフリではあろうが。
「余計なこと言うなちゃ!」
再び、エルメルのげんこつがルーカスの頭に入った。

セーモ人の血を引き、母親そっくりで髪の毛が茶色いエルメルは、ルーカスより少し背が低いのだが、そんなことは全く感じさせない。身分のせいで、昨年はいきなり班長にさせられてぶーぶー文句を言っていたエルメルだが、制服姿も板についてきた2年目である。

「そうそう、にーしゃん」
ムネレイサスは、エルメルが一瞬誰を呼んだのかわからなかったが、呼ばれた方はわかったようだ。

「こいつ、こんな馬鹿ばってん、けど、剣持たすと性格変わるとね。今から3ヶ月、みっちりしごくけん、楽しみにしといて欲しかとー」
「ほう、それは楽しみだ」
「俺もにーしゃんに黒星を付けられる逸材思って期待しとーとね。にーしゃんも鍛えといてなー」
5年連続優勝のマルティアスに勝てるかもしれないとは、なかなかの才能ではないか。

「先輩先輩、俺、先輩より卒業試験の、論文の成績良かってんけど」
「余計なこと言わんでよかっ!!」
再びボカッと殴られるルーカス。
「にーしゃん、楽しみにしとくとよー」
一方的にそれだけ言うと、エルメルはルーカスを引きずって帰っていった。

「ちょ!先輩!先輩ってば!エルメル様!痛いっ!そんなとこ引っ張らんといて!」
「せからしかっ!帰って根性叩き直しちゃる!」
最後の最後、去って行く時まで2人は騒々しかった。

「行くか」
「…はい」
マルティアスとムネレイサスは、再び、西の塔へ向かって歩き始めた。

「エルメルなぁ、小さい頃、ずーっと俺のこと『にーしゃん』って呼んでたんだよな。久しぶりに聞いた」
「そうなんですね。…3ヶ月みっちりしごくって、やっぱり武術大会のことでしょうか?」
「そうだろうなぁ。…ふふふ、楽しみになってきた」

自分に向けられるものとは違う笑み。マルティアスは、夏至祭の時に行われる武術大会で、5年連続優勝しているのだった。
西の塔に戻って、早速、エルメルからの宣戦布告の内容をウルリーカに説明し、武術訓練の日程を相談するマルティアスは、今からでも剣を振りに行きたいというような雰囲気を醸し出していた。マルティアスの場合、単純に剣を使って勝負するのが好きなのだ。

「ねぇ、オルヴァーは?」
なんだか静かだと思ったらそう、一人足りないのである。たった2日で、一人足りないと違和感を感じてしまうほど、この場に馴染んでいる自分に気がついて、ムネレイサスは驚いた。

「どうやら今日は、ヘルゲさんがいらしていたようです」
「え?そうなの?……じゃあ、あいつ明日も休みか?」
ウルリーカが出した名前には、聞き覚えがあった。オルヴァーの同期で、今は青服にいるっていう話を昨日聞いた、その人だろうか。

でも、ヘルゲさんが来たら、どうしてオルヴァーがいなくて、明日も休みなのか、その理由まではムネレイサスにはわからなかった。
「どうせ我々は明日、明後日と勉強会だからいいのですが」

ウルリーカとマルティアスが同時に自分の顔を見つめた。
「ごめんな、ムネレイサス。もし、明日オルヴァーが起きて来なかったら、適当になにかして、過ごしていてもらってもいいかな?」
「勉強会に来て頂いても構わないのですが……おそらくつまらないかと思いますので…」

「あ、そうそう、ユスティーナのところに遊びに行っても構わないぞ?そのまま泊まってきてもいい。俺達も、遅くなったら大臣のところに泊まるかもしれないし」
いきなり一人にさせちゃってごめんな、とマルティアスは膝をついて頭をなでてくれたが、ムネレイサスにとって、一人でいることは別に苦にならなかった。
むしろ、一人で本でも読んでいる方がずっと、性分には合っていた。だから、そんな心配はいらないのだ。

「大丈夫です、僕、一人は慣れてるから」
「そんなものに慣れさせたくなかったなぁ。今に、一人じゃ寂しいって、言えるくらい、一緒にいような」
マルティアスにそのまま、ぎゅうっと抱きしめられて、そう言われたが、ムネレイサスは言葉の意味が正しく理解できなかった。

************

翌朝。サーラと一緒に朝食を食べ、食堂を出ようとしたところに、マルティアス一行が現れた。オルヴァーも一緒である。ただし、酷く疲れた表情をしていたが。

「おはようございます、マルティアス兄上、ウルリーカ、オルヴァー」
「おはよう、ムネレイサス」
大きな手で兄が頭を撫でてくれた。
「ムネレイサス様、今日、こないだの実験の続きしたいっすか?」
マルティアスとウルリーカは、先に行って席に着いてしまったが、オルヴァーに呼び止められた。
「なんだかオルヴァー辛そうだから、今日じゃなくてもいいですよ?」

「そうしてもらえるとありがたいっす。もう若くないから回復遅いんすよ」
ごめんなさいねと言って、ひらひら手を振りながらオルヴァーもマルティアス達の席に行ってしまった。
ひらひら振っていたオルヴァーの手首に、くっきり痣が残っていたことに、どうして自分は気づいてしまったんだろう。しかもあれは、自分もよく知ってるものだ。

「ムネレイサス様、どうなさいました?」
サーラが心配そうに顔を覗き込んでくる。それでようやく、自分が変な顔をしてしまっていることに気がついた。

「な、なんでもないよ」
平気な顔を作って、サーラと一緒に部屋に戻った。

勉強会に出発する兄を見送ろうと思って、マルティアスの部屋のソファに座って待っていたら、王宮警備隊員が駆け込んできた。
「申し訳ありません、マルティアス様、北8番通りで暴れ精霊が出ているようです」
「んー?」
「剣を振り回し、炎を吐いているとかなんとか」
意味がわからず驚いたのは自分だけだったようだ。

「若草色から、今誰もいないからマルティアス様にお願いできないだろうかという申し立てがあったのですが」
若草色とは制服の色を表す。軍の第6隊、彼らは全ての町におり、街の治安を守るのが主な任務。

「北8番通りならちょっと遠回りすればいい、わかった、俺が行くよ。大臣のところには、遅れるかもしれないという連絡を」
「かしこまりました」
ウルリーカは直ぐに、マルティアスの部屋を出ていった。

「なにが、あるの?」
「あれ?ムネレイサス様知らないの?……見学に行きます?」
向かい側に座っていたオルヴァーの提案に、マルティアスが賛成した。

「そうだな、いずれムネレイサスにも回ってくるかもしれない仕事だしな!オルヴァー、ムネレイサスと一緒に行って、連れて帰ってきてくれるか?」
「かしこまりました!」

しかし、大臣への連絡を終えて戻ってきたウルリーカは渋い表情である。
「あんた、大丈夫なの?ムネレイサス様護れるの?」
普段のオルヴァーだったなら、そんなことは一切心配する必要もないのだが。

「大丈夫大丈夫!……イテテテ」
言ってるそばから、腰を押さえて立ち上がるオルヴァーだった。

************

北8番通りには人だかりができていた。
意味不明な叫び声を上げながら剣を振り回す男がその中心にいる。
若草色の制服も、野次馬達を押さえることしかできていない。
「はい、どきなさい。下がりなさい」
その、野次馬の列に、凛とした声が割って入った。

「青服だ!」
「青服がきたぞ!」
街の一般市民にとって、精鋭部隊たる青色の制服など、そうそうお目にかかるものでもない。
「下がりなさい!私は第1隊所属ウオレヴィ・ユリハルシラ。従わない者は斬る!」

「はいはい、どいてねー。どれどれ」
ウルリーカの後ろから現れたのはマルティアスだった。恐らく、野次馬達は、現れたのが第1王子だとは気づいていないだろうが、下手に騒がれるよりはマシなので、マルティアスも敢えて名乗らない。

マルティアスの口調や態度に、ムネレイサスは『あれでいいの?』と思ってしまったが、その前の、ウルリーカの『従わない者は斬る』が効いているようだ。野次馬達はおとなしい。

「なんだぁ、貴様ー!」
剣を振り回していた男が、絶叫と共に黒い炎を吐き出した。吐き出された炎は一直線、柱となってマルティアスに直撃する。
「おうおう、熱烈歓迎だね」
しかし、その炎の柱を、マルティアスは左手1本であっさりと受け止めた。
マルティアスの左手が、完全に火の中にあるが、熱さは全く感じていないようだ。

「見えてます?」
野次馬達の後ろ、少し離れたところにオルヴァーとムネレイサスがいた。馬術など習わなかったムネレイサスは、オルヴァーと2人乗りで、腰にしっかりとしがみついている。

「うん、見えるよ。あの男の後ろに黒い炎。あの子、兄上の高温の炎で焼いてやったら、正気に戻るんじゃないかなぁ?」
「ほー」
自分にも黒い炎の精霊の姿は見えていたが、対処方法まで答えたムネレイサスに、オルヴァーは素直に感心した。

「さーて、こっちから行くよー!」
マルティアスが顔の横で挙げた右手に、炎の塊がある。真っ赤な色の炎と、マルティアスの後ろに、マルティアスと全く同じ顔で、オレンジ色の精霊。

マルティアスから放たれた真っ赤な炎は、男を包み、そしてすぐに剣を離さない男の背後の高い空間で燃え盛る。
どうやら、意識を失ったらしく、パタンと倒れた男の上で、しばらく炎は燃え続けた。
ムネレイサスには、黒い炎が完全にマルティアスの真っ赤な炎に包まれて、蒸発したかのように見えた。

「はい、終わり」
マルティアスが空中に、指で円を描くと、燃えていた炎はあっさりと消えてしまう。マルティアスの背後にいた、マルティアスと同じ顔の精霊も消えた。そして、あまり見えている人はいないだろうけれど、マルティアスの手のひらの上に、名もなき小さな炎の精霊。

若草色の制服が、意識を失った男を保護し、野次馬達はようやく解散を始める。
小さな炎の精霊は、マルティアスに謝っているかのようで、外炎をぺこぺこ何度が下げた後、ふいっと消えてしまった。

時々、悪い気、というか、負の気に影響されてしまう精霊が出る。
力が弱く、名もないような小さな精霊程その影響を受けやすく、今日のような事件は月に数件起こるのだが、そんな時に呼ばれるのが、マルティアス達精霊使いなのであった。

とは言え、王子が呼ばれるようなことは滅多にない。国王直属の、専門部隊がいて、普段は対応しているという話だ。その、専門部隊の詳細についてはマルティアスでさえなにも知らない。
精霊によって引き起こされた事件であるから、あの、剣を振り回していた男には、全く記憶はないだろう。もしかしたら、あの男は、目覚めた瞬間から、変なものが見えるようになるかもしれないが。

「さて、行こうか」
マルティアスとウルリーカは、先ほど自分達が乗ってきて、若草色の制服に頼んでいた馬にそれぞれ跨がった。
「じゃあオルヴァー、弟をよろしく」
「寄り道しないで帰りなさいよ」

「はいはい、わかってますよ、しませんって、寄り道なんか」
「あ、あの、いってらっしゃい!」
勉強会へ向かうマルティアス、ウルリーカ組と、王宮へ戻るムネレイサス、オルヴァー組は、ここで別れた。


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