■樹氷 ■蛍火 ■鶺鴒 ■浅葱

 □title list□
 ※水色部分にカーソルを合わせると
 メニューが出ます

scen1-04 elementaranalys


心配になって、予定より少し早めに、勉強を切り上げて図書館から戻ってきたマルティアスとウルリーカである。
「そんなに心配しなくても、オルヴァーは大人なんだから大丈夫だと思いますけど?」
「いや、でもさ!あの2人ってなんか似てるじゃないか、気質が。似たもの同士って、惹かれ合えばいいけど反発することもあるだろ?」

弟のことになると、こんなにも心配性だったのかと、ウルリーカは今更ながら、マルティアスの新しい一面を見たような気がしていた。
西の塔に戻ってきて真っ先に、今日からムネレイサス専属になったサーラを訪ねると、オルヴァーの研究室から出てきていないという。
「ほら、心配いらなかったんじゃないですか?」
「いや、でも、一応心配だから見に行こう」

そろそろと、4階まで上がってきて、こっそり研究室の扉を開いてみた2人である。
「あのさー、絶対この装置、先に脱水すべきだと思うんだけどー?」
「あのな、常識的に脱水は最後なんだっつーの!そんなことも知らねーの?」
「じゃーさー、硫酸やめて違う乾燥剤使えば?例えば塩化カルシウム。あとさ、この途中に酸化銅でも入れときゃ完全燃焼するんじゃない?」

「おお、酸化銅な!それならすぐ用意できるぜ、ちょい待て!」
「どうせー保存状態が悪くて酸化させちゃったとか言うんでしょー?バーナ―どこー?」
「ちげーよ!俺がそんなミスするか、あほ!赤銅鉱から取り出しましたー!バーナーはその台の下!」

「えええっ?ってことは(T)なの?」
「だって赤い方がキレイじゃん?…………黒くなってんだけどー?」
「ぷぷぷ、やっぱり保存方法が悪いんじゃん、ばーか!」

顔を見合わせて、そっと扉を閉じたマルティアスとウルリーカ。
「心配、いらなかったな」
「だから言ったでしょう?…って、私も、あそこまで気が合うとは予想外ですけれど」
むしろ、気が合いすぎることによる別の心配をしたくなったウルリーカである。

夕食の時間まで放っておき、2人に、実験の成果を尋ねたマルティアスだったが、何を言っているのかさっぱりわからなかったのは言うまでもない。

「なんで銅にTとかUがあるんだ?」
「……オルヴァーが説明しなよ、専門でしょ?」
「あ?俺?……えっとマルティアス様、遷移元素ってご存じですか?」
「繊維元素?糸とか布?……の原料?」

「…………」
ムネレイサスとオルヴァーは顔を見合わせて黙ってしまった。
「ああ、うん、なんか、ごめん。俺、昔から理科嫌いでさ」
「申し訳ありません、マルティアス様」
オルヴァーが頭を下げた。

「人には向き不向きってものがあるんだから、仕方ないですよ」
やりとりを黙って聞いていたウルリーカがとりなした。
「そもそもマルティアス様は向日葵を枯らしてしまうほど、理科分野の才能が欠如してるんです。理解しようってのが無理な話でしょう」

「ちょ、ウルリーカ!そんな昔の話するなよ!」
マルティアスは恥ずかしそうに横を向いた。

「向日葵枯らすって…。真昼に水やりでもした?」
「ご名答、さすがですね、ムネレイサス様」
どうせ寝坊して、昼ごろ起きて慌てて水やりしたんだろうなと、誰もが思った。

「マルティアス様、念押しになりますけど、俺の実験室、入らないでくださいね」
勝手に触られて、爆発事故でも起こされたらたまったものではない。
「あのね、兄上。僕も、悪いけど、僕の、実験用の畑に、入っちゃだめだよ、お願いします」

「ふ、二人とも、ひどい…」
半泣きになっているマルティアスだが、情に訴えられても、事故が起こってからでは遅いし、なによりオルヴァーの実験室なんかは、身の危険がある。ムネレイサスとオルヴァーは顔を見合わせてしまった。

「で、でもほら、マルティアス兄上。僕らだって法律とかわかんないもん、ね?お互い様だよね、オルヴァー?」
言ってから、オルヴァーなら法律も理解してそうだとムネレイサスは思ったが、彼は静かに頷いただけだった。

「そうだな。でも、オルヴァーが居てくれて良かったよ。誰一人ムネレイサスの話についていけないんじゃないかって、ちょっと心配してたんだ」
案外あっさりと立ち直ったマルティアスは、いつものように笑った。
とにかく『溶液の色を変える』程度の実験ですら、あまり好きではなかったマルティアスとウルリーカ。『実験結果に基いて計算で濃度を求める』なんて言われたら、問題文を読んだ時点で放棄してしまう程に。

************

「大丈夫だよ、1人で歩いて行けるから」
「でも…!」
廊下から聞こえた不自然な話し声で目が覚めた。こんな深夜に何事だろうかとウルリーカは部屋の外に出た。

よろよろと階段を降りていく2つの影が目に入る。
「どうしたの?」
後ろから声を掛けると2人は立ち止まった。

「ウルリーカ様、起こしてしまいましたか?申し訳ありません」
「ごめんなさい、起こしちゃって。ちょっと熱、出しちゃって」
確かにムネレイサスの顔が赤い。すっと降りて行ってウルリーカはムネレイサスの額に手のひらを当てた。

「あー、確かに熱いわ。薬は飲んだ?」
「はい。…一応、ヴェルナ先生のところに行こうと思って」
「そんなフラフラで、自分で歩いて行くつもりなの?」
ひょいと、ムネレイサスの左腕を掴んで自分の肩の上にウルリーカは乗せた。

「大丈夫ですよ、意識はハッキリしているし、苦しくもないので…」
発作のときは息が吸えなくて相当に苦しいと聞く。だから、そこが基準になるのも仕方ないことかもしれないが。

「下まで行きゃー誰かいるでしょ。サーラは戻っていいわよ、あなたも昨日からほとんど寝てないでしょう?」
「で、では、お願いします、ウルリーカ様」
一礼して、サーラは階段を降りていった。

「…サーラ、寝てないの?」
「部屋の準備とかいろいろあったのよ」
「そう、なんだ」
申し訳なさそうな表情を見せたムネレイサスだったが、何も言わなかった。何か言おうものなら、他人の心配してないで自分の心配をしなさい!と、ウルリーカに怒られたであろうが。

ウルリーカに身体を支えられながら1階に降りると、角に設置された場所に、王宮警備隊員が一人座っていた。椅子と小さなテーブル、テーブルの上にはランプ。西の塔への入り口はここ一箇所である。この一帯は常夜灯が焚かれ、常時ここには王宮警備隊員がいる。

「ウルリーカ様、…と、ムネレイサス様?発作ですか?」
「発作じゃないのよ、熱があるの。ヴェルナ先生のところまで連れていってあげてちょうだい」
専用のスペースの後ろにはカーテンが掛かっており、その更に奥は仮眠用の小部屋になっている。

「少々お待ちください、おーい、トビアスー!」
立ち上がった王宮警備隊員はカーテンの後ろに声を掛けた。

「どうしたんだい、パーヴァリ」
「悪ィ、ちょっと交代してくれっちゃ。俺、ヴェルナ先生んとこ行ってくるとよ」
奥から眠たそうに出てきたのはもう一人の王宮警備隊員。基本的に、警備は2人一組で当たる。

「あ、うん、わかった、行ってらっしゃい」
トビアスと呼ばれた青年は、ウルリーカとムネレイサスを見るなり表情を引き締め、すぐに交代の任務に着いた。
そして、パーヴァリと呼ばれた、茶色い髪の毛の青年は、軽々とムネレイサスを抱き上げ、そのまま行ってしまった。

後に残るはウルリーカと、優しそうな、気の弱そうなタレ目の王宮警備隊員のみ。
「疲れが出たのかな?いきなり移ってきて、緊張しただろうし」
「そうだと思うわ。それに、今日の昼間、なんだかオルヴァーと随分楽しそうに実験してたのよ」
「へぇ、そりゃ意外だ。マルティアス様の心配は杞憂に終わったってことだね」

トビアスの笑顔には、周りを安心させる不思議な力があるような気がする。
「まだわからないけど。歳の差いくつあるかわかってるの?ってくらいの言い合いするし」
「まったく口も聞けないような環境よりはいいと思うよ。……ウルリーカ、おやすみ」
ムネレイサスを抱えて行ったパーヴァリが戻ってきたのだろう足音が響いてきた。

「ええ、おやすみなさい、トビアス」
軽く右手を上げて、ウルリーカは階段を登って行った。

************

毎朝恒例の怒鳴り声が響く。
マルティアスを起こすのはオルヴァーか、ウルリーカの役目と決まっているのだが、この日マルティアスに怒鳴られたのは2人共、だった。

「ちょっと、ウルリーカちゃん優しくしてくんない?俺さぁ、腰が…」
「どうせ寝直すんでしょ?とっと自分の部屋に行ってちょうだい!!この、歩く成人指定!」
オルヴァーは、ベッドから引きずり降ろされた格好だった。無理矢理引っ張られたせいで寝間着が半分脱げかけている。

「機嫌悪いなぁ、お前。どした?彼氏と喧嘩でもしたのか?」
「あんたのコレ、二度と使い物にならなくしてあげましょうか?」
ベルトから抜いた短剣を、オルヴァーの腰の下に当てがって、ウルリーカは言い放った。
「ちょ!!お前、それは洒落にならんだろーがっ!!」
慌ててウルリーカを押しのけて身を翻し、オルヴァーは短剣の届かない距離まで離れた。

「イテテテテ。はいはい、すいませんね。マルティアス様、お早うございますと、おやすみなさいです」
まだ寝ぼけていて、ウルリーカに身体を揺さぶられているマルティアスの手の甲に唇を落とし、オルヴァーはふらふらと部屋を出て行った。
「マルティアス様、起きてくださいよー!」

オルヴァーとウルリーカの起こし方を比べた場合、ウルリーカの方が容赦がない。
マルティアスの目が半分開いたあたりで思い切り引きずるようにベッドから下ろし、そのまま脱がしてお風呂に放り込むのがウルリーカのやり方である。

湯船の縁から顔を出して、まだ寝ぼけているような時は水を掛けたりもする。
寝ぼけている時は散々怒鳴ったり暴れたりするくせに、水をぶっかけられて完全に目覚めたときは笑って『おはよう』と言うのがマルティアスなのである。

今日も、額に貼り付いた前髪から冷たい水を滴らせて、マルティアスは笑った。
「おはよう、ウルリーカ」
「報告があります」
顔と、両腕だけを湯船の縁に出した状態のマルティアスに、容赦なくウルリーカは告げた。

「昨夜、ムネレイサス様が熱を出されました」
「えっ!?」
まだ半分寝ぼけたようにへらへらしていたマルティアスの表情が瞬時に変わった。

「ヴェルナ先生のところに連れて行きましたので、仕事の後ででも迎えに行ってあげてください」
「発作起こしたのか?」
「いいえ、おそらく疲れたのでしょう。自分で歩いて向かおうとしていたくらいですから、さほど重症ではないと思います」

そのほかの連絡事項と今日のスケジュールを確認したところで、マルティアスは湯船から上がった。侍女たちが身体を拭いて、衣服を整えてゆく。
今日は週に一度、学院で法学の講義を行う日である。遅刻するわけにはいかなかった。

************

太い注射を1本打ってもらって、一晩ぐっすり眠ったら、熱はすっかり下がっていた。
「疲れて熱出したって、驚かねーってもんよ、西の塔の連中だもの」
「そ、そうですか?」
小さい頃から面倒を診てもらっているせいで、なんとも思わないのだが、とにかくこの医師ヴェルナは口が悪い。

「個性的と言えば聞こえはいいけど、要はただの変わりもんばっかりじゃないのよ。マルティアス様筆頭に。…あんたも毒されないようにね」
「はぁ…」
汗だくの寝間着を脱いで、蒸しタオルで身体を拭いた後着替えた。ついでに胸の音を聴いて異常なしという判断を下してから、ヴェルナは続けた。

「変わりもんのうちの一人に、ドMのオルヴァーがいるじゃない?あいつ、薬学の博士号持ってるわよ」
「あ、はい、昨日聞きました」
なんか、『ドM』とか聞こえた気がしたけど、とりあえず今はそこは気にしないでおこうと思った。

「あいつに発作の時の薬渡しておいてもいいかもしれないわよ?少なくとも説明の必要がないわけだし」
確かにその通りだと思った。昨日、サーラには発作が起きてすぐに飲む薬と、30分以上経って治まらなかった場合の薬は説明した。しかし、他の侍女達まで正しく理解してくれているかは、今のところは知りようがない。

「オルヴァーの師匠はウルリーカの母親のベアトリス様だから、あいつの知識と経験だけは間違いないわ。本人の性格には非常に難ありだけど」
「そうみたいですね。…昨日、ちょっと聞いたんです」
ムネレイサスはまた、『本人の性格には難あり』の部分は聞かなかったことにした。

ベアトリスは、それはそれは厳しくて有名な教官だったらしい。そうとは知らず、王宮に配属になって、昼間マルティアスやウルリーカが学院に行っている間『暇ならちょっといらっしゃい』とか言われて、付いて行ったら学院の研究所だったとか。

「あら、変わり者の親玉が迎えに来たわ」
ヴェルナはそれで、話を切り上げた。
「変わり者の親玉って、なに?なんの話?」

病室に顔を出したのはマルティアスである。どうやら一人で迎えに来てくれたらしい。
「あんたが馬鹿だって話しよ」
「えーっ、それは酷いよヴェルナー」

「じゃあ、馬鹿じゃないってことが証明できるとでも言うの?」
「あー俺、証明とか無理ー!証明とか相似とか確率とか集合とかもう全然ダメだったんだってー」
「やっぱり馬鹿じゃない」
「先生…」

あまりに馬鹿馬鹿言われる兄が可哀想だと思ったムネレイサスだが、なにも言えなかった。
口を出せば、次は矛先がこっちに向くことがわかっていたからだ。
「ありがとうございましたー」
兄と2人でヴェルナに頭を下げて、病院を後にした。


►next scen1-05 精霊事件




















No reproduction or republication without written permission.