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誰かに抱かれている、安心感の中で、まどろんでいた。

カサブランカ・グッパイ


半分くらい頭は目覚めている。だけど、まだ起き上がりたくはなくて、寝返りを打とうとした。けれど、誰かにきつく抱きしめられた身体は、動かなかった。

(ああ、万斉だぁ…)
寝返りもできない程きつく、眠る時に自分を抱くのは万斉だ。トイレも行けねェって、殴って起こしたこともあった。

(…ってか、なんで万斉?)
そのことに気付いた時、急速に頭の中が冷めていって。昨夜のことを全部思い出した。

と言っても、万斉に変な薬を飲まされて、それから先は、多分ヤラれたんだろうなってことしかわからないのだけれど。

「おい、万斉」
頬を抓ってやらなきゃコイツは起きないんだよなと思って、ようやく身体と身体の隙間から出した手首には、痣が残っていた。

(コイツ、きっと無茶苦茶しやがったな…)
わざわざ薬を使うくらいだから当然なのだけれど。付き合っていた時から、薬で飛ばされて、ワケわかんなくなって覚えてもいないんだけど、身体の怠さだけが残っていた…そんなことが何回かあった。

記憶がないってのは怖いもんで『今度やったら別れるからなっ!』と、何度言っても、万斉は時々、ぶっ飛んだ状態の俺を激しく(たぶん)抱いたんだ…と思う。
俺自身、万斉のその強引さってものに惚れちまってたからさ。セックスしない予定で万斉の家に遊びに行ってるのに『やっぱり我慢できんでござる』とか言われて押し倒されて。結果、ヤってるところをまた子に見られたりしてんだけどさ。そんなとこも好きだったんだよな。

万斉が言うには、ぶっ飛んだ俺は普段より本能に忠実なんだってことだけどさ、そんなん言われたって、別れ話した時以外、付き合ってる間は一回も、いくら無理矢理でも拒否したことねェだろうが、俺は。

「起きろ、万斉」
頬を抓ってやったら、ようやく万斉は目を覚ました。

「晋助」
ますます強い力でぎゅうっと抱きしめられてさ。不覚にも、ドキドキしちまった。

「万斉、お前さ」
またなんか無茶苦茶やったんだろ、この痣なんだよ?って手首を前に出しながら言ったんだけど。

「ちょっと縛っただけでござるよ」
って、ちょっとでこんな痣ができるもんか馬鹿野郎。ムカついて、起き上がって頭を殴ってやった。

「…お前さ、新しい男いねェの?」
万斉に背を向けてベッドの端に座る。こんな質問、顔を見ながらなんか聞けなかったからだ。

「晋助にフラれた後は、1ヶ月で別れた男が2人」
どうしても誰かと比べてしまって、上手く行かないでござる、って。それって、間違いなく俺のことだろうが。だいたい、『俺にフラれた後は』って、その言い方はねェだろその言い方は。

「俺達さァ…」
「晋助」
別れてなかったらどうなってたんだろう、と。言葉にするよりも早く万斉に遮られてしまった。

「拙者、晋助との遠距離恋愛は無理でござる」
「…だよな」

俺も無理。寂しくて寂しくて、3日と空けずに電話してた高校3年の時。『会いたい』と泣いて、俺は何度も万斉を困らせた。

「でも」
シーツが擦れる音が聞こえて。起き上がったんだろう万斉が、後ろから俺の肩に両腕を回して抱き着いてきた。

「拙者は今でも、晋助が心配でござるよ」
「なんだよ、ソレ?」

意地っ張りのくせに寂しがりやで、言いたいことも言わないんでござろう?と。まるで見てきたかのように言う万斉に、俺はなんにも反論できなかった。

「万斉。…多分、俺は。…まだお前のことが好きだ」
多分っていうのは、自分のことがよくわからないからだ。今までにも、銀時とラブホから出てくるのを目撃したり、明らかに情事の後だっていう教授の研究室を見てしまったり、辰馬の首筋に不自然に残る香水に気付いてしまったり、…というのはあったけれど。

辰馬がハッキリ浮気していた現場。あれを見てしまった今、それでもまだ、辰馬が一番好きだと言える自信が、今の俺にはない。

「拙者は晋助が好きでござるよ。もちろん今も」
後ろから肩を抱かれているから、表情は見えないけれど、万斉の言葉に迷いはないような気がした。

本当に、あの時別れなかったらどうなっていたんだろう。遠距離恋愛だから寂しくて?寂しさを埋めるために、適当に沖田や銀時や辰馬とセックスして?そう、遊びでセックスするだけの相手なら、辰馬ほど都合のいい人間なんていないかもしれない。

「晋助、変なことは考えない方がいいでござるよ」
「なにがだよ?」

俺の沈黙を万斉はどう捉らえたのか。

「晋助は、遊びと本気を使い分けられる程、器用な性格じゃないでござる」
「お前なァ…」
「一度身体を許した人間を、嫌いになんかなれないのが晋助でござる」

俺だってさ、お前と別れて辰馬と付き合うまでの間、セフレくらいいたんだからなっ!別に、そいつに惚れたりはしなかったぜ。今も友達で、確かに嫌いになんかなってねェけど、嫌いになる理由がないんだから仕方ねェだろうが?

「だいたい、そんなこと言ったらお前、今のこの状況はなんだってんだよ?」
俺はまだ、辰馬と別れてねェぞ。なのに、裸で、裸のお前に後ろから抱かれてんだぞ。

「拙者には、何も言う資格はないでござる」
京都に住んでいる今のままでは、坂本と別れて自分のところに戻って来いとも言えぬと万斉は呟くように言った。

「ただ、拙者は」
「…なんだよ?」
「晋助には、これ以上泣いてほしくないでござる」

つつーっと一筋、涙が頬を伝って流れていった。泣かせてんのはお前だろうが。

「晋助が幸せにならなければ、拙者、何のためにフラれたのかわからんでござろうが」
「フラれたフラれた言うなよなっ!お前だってっ!」
納得して別れたんだろうが、あの時は!

「あの時はもちろん納得したでござる」

晋助が正しかったこともわかったでござる。もしも晋助と同棲していたら、多分拙者は今もメジャーデビューなんかできてないでござる!と、一気にまくし立てた万斉に後ろを向かされた。そして、正面に来た俺の顔を見てハッキリと万斉は続ける。

「でもそれは、こんなふうに晋助の泣き顔を見るためだったのではござらんよ」
「万、斉……」
そんな言い方されたらお前、泣くなって方が無理な話じゃねェか。

「……っ、ひっく、…うっ」
堪えきれなくなって、顔を覆って泣き出した俺を優しく胸に抱いてくれる万斉。

「今の晋助は、見ていられないでござるよ」

拙者も泣かせたけど、と。だからすぐわかったと。自分の知る限り、晋助が声を上げて泣いたのは拙者が浮気した時だけでござったから、と。

懺悔のような万斉の声を俺はどこか遠くで聞いていた。

俺って、結局浮気される運命なのかな。浮気者とか、遊び人が好きだなんて意識は全くないし、俺自身は本当は、四六時中でもベッタベタしていたいし、甘やかされていたいし。ただ、とてもじゃないけど、そんなこと口にはできないけど。

ただ、万斉とヤっちまった以上、もう俺に辰馬を責める資格はないんだってことだけは、やけに冷めた頭の中のどこかでわかっていた。

辰馬が浮気して、俺までこうやって浮気して。もう俺達、きっと駄目なんじゃねェか?もう戻れねェんじゃねェか?

そんな考えが、頭の中を巡っていた。
だからといって今更、いくらまだ俺を好きだと言ってくれていても、万斉のところへも戻れなかった。

***

泣いてる俺を抱き上げてキスしてくれた万斉の唇が、そのまんま首筋を伝っていく。

「ん…」
僅かに身をよじらせはしたけれど、俺は抵抗しなかった。

「痛ェっ!…お前、何したんだよ?」
胸の突起を口に含まれた時、有り得ない痛みに悲鳴が上がった。

「さっき噛み付いたでござる」
「お前な、やめろってホントに、そういうの!」
縛って噛み付いたとか、最低だ、本当にコイツ。

「もうしないでござるよ」
残念そうな顔してんじゃねェっての。

ベッドに俺の身体を横たえた後は、覆い被さってきて、普通にあちこち舐められて。気持ち良さにだんだん息が上がってくる。

「ァ、ばん、さいっ…」
なんの躊躇いもなく、好きだって言えたら、どんなにいいんだろう。お前しか知らなかったあの頃に戻れたら。無駄なことだと知りつつ、俺は願わずにいられなかった。

***

ラブホを出て、適当にファミレスで晩ご飯を食べた。

結局3回もヤっちまったから、もう俺は、動くのもかったるくて、今すぐにでも寝たい!って、思ったんだけど。滞在が24時間になるから1回精算して出てくれって、ホテル側に言われてしまっては仕方なかった。

と言うか。滞在が24時間になるってことは、俺が学校の委員会室でアレを見てからは軽く24時間以上経ってるってことだ。走ってあの場から逃げ出して。携帯も財布も家の鍵も、全て全て、委員会室にぶちまけてきて24時間だ。結局、せっかく近藤が誘ってくれたのに打ち上げも行かなかった。きっと今頃みんな、俺が行方不明だって、探してるんじゃないかと思ったけど、連絡する気にはなれなかった。

そういえば。

「万斉、お前さ、番号交換、…してたよな?」
誰と、とは言わなくてもわかるはずだろうと思って。

「交換してから一度も連絡ないでござるよ」
ただし、桂さんからなら、着信が合計5回、と。拙者が晋助を連れて行ったのだと、あの人が気付いてるとは思えないが、と。

「そうだろうな」
小太郎のことだから、純粋に『晋助がいなくなった、心当たりはないか?探してくれ』ってだけの電話なんだろう。それでも、着信5回ってことは、小太郎はそれだけ、俺のことを心配してくれてるってことなんだろうな。

「晋助」
テーブルの上に肘を付いて、顎を乗せた万斉が正面から俺を見つめていた。

「このままいつまででも、晋助に付き合っていたいとこなんでござるが」
明日の朝早くから仕事だと、万斉は言う。

「晋助の好きな場所まで送るでござるよ」
家でも実家でも。なんなら2、3日うちの実家に居てくれても、また子が上手く取り繕うはずでござる、と。
家になんか帰りたくない。だけど、そこまで万斉に世話になるわけには行かないと思った。

「そー言えばまた子って、学祭なんか来てて大丈夫なのか?」
あいつ高3だろう?と尋ねたら思い切り万斉に笑われた。

「あれはもう、進学が決まったでござるよ」
ファッション、アパレル系の専門学校だってさ。また子らしいっちゃーまた子らしいけどさ。

「あいつがかよ?だって、あいつ」
下から数えた方が早いくらいの成績だっただろうが?

「晋助が卒業してから、遊び相手もいなくて、仕方なく学校行ってたみたいでござるよ」
「なんだソレ?」
まるで俺が一緒にサボらせたのが悪いみてェじゃねェか。でも俺は、いくらサボってもまた子よりは成績良かったぞ。

「ところで晋助。どこまで送る…?」
「じゃーさァ…」
新宿二丁目まで、連れてって。

***

タクシーを降りる時、万斉が2万円渡してくれた。
「こんなにもらえねェよ!」
「じゃあ」

今度会った時に返してもらうでござるよって、ぎゅっと俺を抱きしめた後、軽く唇を重ねて。万斉とはそれで別れた。

今度会ったら、なんて。そんな日が来るかどうかわかんねェってのにさ。もうお前のところへは戻れないって、わかってるのに。こんなに優しくされたら、後が辛ェだろうが。

おぼろげな記憶だけを頼りに仲通りを歩く。確かこのビルの7階だったはずなんだけど…。ああ、あったあったオカマバーの『かまっ娘倶楽部』。

「あの、すいません…」
「いらっしゃ〜い、あら!」

1回来ただけで覚えてくれてんのかな、と思ったけど。その1回が先月だからか、忘れられてなかったみたいだった。運良くその場にいたのはこないだ会ってるあずみだったのもあるかもしれない。

「今日は1人?ソウ君元気してんの?」
「あ、ハイ。…あのね」

あずみさん沖田、ソウ君の携帯知ってますか?って。これで知らなかったらアウトだと覚悟はしてたけど。

「知ってるわよん。何、どうしたの?」
良かった。まだなんとかなるみたいだ。

「あ、俺、家に携帯忘れて来ちまったから、かけてもらえませんか?」
「いいわよォ」

ちょっと待っててね、そう言いながら、あずみは携帯を取り出して沖田にかけてくれた。
どうしてだかわからないけど、今は沖田しか頼れないような気がしてた。

***

十四郎の学祭には元々行くつもりしてたんで、それはいいんですがねィ。まだ学祭前だってのに、わざわざ電話してきた十四郎に『話がある』って言われて浮気を告白されて。まァ、それはもういいんだが、おかげで結局1週間も学校サボっちまった。
一応俺って、高3の受験生だったりするんでさァ。遅れを取り戻さなきゃってのに、今度は高杉がいなくなったとかって話で。しかも原因はまた、坂本の浮気ときてる。まー期間中あれだけ激しくあっちこっちでヤリまくってちゃあ、どっかでバレるとは思いやしたけどね。高杉を探すのは大学生の奴らに任せてるんだが、全く見つからないらしいでさァ。

前に、十四郎のところに連れて行ったのは俺だったからって、桂にいろいろ聞かれたが、今回ばっかりは俺だって何にも知らねェんでさァ。俺よりも、今回はあの河上じゃねェのかィ?って言ってやったんだが、何回か電話したけど出ないんだそうでさァ。なんかアイツ、プロのミュージシャンらしくて、仕事中で忙しいなら出ないだろうって話でさァ。

休憩のつもりでテレビつけたら、確かにCMが流れてやした。間違いなくアイツでさァ。セカンドシングル発売ってね。サイン貰っとくんだった。人気出たら高く売れやすぜィ。

なんだか色んなことが気になって、ずっと休憩ばっかしていたんだが、突然、俺の携帯が鳴り出した。画面に出たのは『あずみ』って。おいおい、アゴ美、営業電話ですかィ?お前は本当は、俺が高校生だって知ってんだろィ?

(…待てよ?)

そうだ、確かにアゴ美は俺が高校生だと知っている。だから、今まで営業電話なんかかけてきたことないじゃねーですかィ?

嫌な予感がして、俺は直ぐさまアゴ美にかけ直したんでさァ。

『あァ、ソウ君、元気してるぅ〜?』
オカマ独特の喋りは1ヶ月ぶりだな。

「営業だったら切りやすぜィ」
『違うわよォ!今ね、あの子来てんのよ!…えっと、シン君』

(!!)

『家に携帯忘れたって言うからさァ、代わるわねぇん』
アゴ美、お前、大手柄ですぜィ。
電話の向こうで、何も知らないアゴ美が携帯を渡す気配がしてる。

『沖田ァ…』
間違いなく、高杉だった。

「どこ行ってたんでさァ?」
『ん、ちょっと…』

財布も携帯も、全て委員会室にぶちまけていなくなった、ってのは俺も聞いてやしたからねィ。

「お前、どうするんでさァ?」
『……帰りたくない』

もーコイツ、俺に言えば何とかなると思ってやせんかィ?でも、言っておくが、十四郎の家はもう、坂本にバレちまってんだ、どうにもなりやせんぜィ。

俺ん家来てもいいけどよ、姉ちゃんが絶対いろいろ気にすっからなァ。

「とにかく、今から迎えに行くから、お前そこにいなせェよ」
『うん…』

まぁ、大丈夫だとは思うが、一応念のためって言葉があるか。

「ちょっと、アゴ美に代わりなせェ」

素直に電話を代わった高杉。俺はアゴ美に、そいつ、シンは昨日から行方不明だったんだって話をした。今から迎えに行くから、それまで絶対店の外に出すなって。それから、お前は何にも知らないフリをしろとも。辰ちゃんの話も厳禁だからなと言い置いて、1時間半もあれば着けるだろうから頼むと話して俺は通話を終えた。とりあえず十四郎にだけはこのことを話そうかと思ったけど、今はやめにした。1分1秒でも早く、高杉を捕まえることの方が、先だと思った。

***

高杉が店の外に出て、どっか行っちまったらもう探せねェって思って。あずみを言いくるめてまで、慌ててかまっ娘倶楽部を目指したんだが、そう焦らなくても大丈夫だったみたいだ。カウンターに突っ伏して、高杉は寝てたからだ。

「ああ、ソウ君!…なんか、シン君疲れてるみたいで」
1日とちょっと。どこに行ってたんだか知らねェが、自分の寝起きの悪さってもんを、十分理解してる高杉が、こんなとこで寝るなんざ、よっぽど疲れてんだろう。

「あずみ、コイツ寝てどんくらいですかィ?」
「今寝たばっかりよ」

何気ない世間話をしながらあずみは洗い物や片付けをしていて。返事がないなと振り向いたら、この状況だったのだという。

「じゃー、なんとかなりますかねィ」
まだ熟睡してないならば、少しは起こすのは楽か?

「起きろ、起きろ高杉っ!」
「…うっせェ」

揺さ振った瞬間に拳が飛んできた。わかってたから避けやしたけどねィ。突き出された拳を掴んで尚も揺さ振る。

「起きろ、こら、高杉っ!」
暫くそうやって格闘して、ようやく。ボーっと半開きの瞼のまんま高杉は上体を起こした。

「迎えに来やしたぜィ」
「…おきた?」
「そうでさァ」
俺だってことはなんとか認識できたらしい。

「沖田、沖田、沖田ァ」
急に俺にしがみついて泣き出しやがった。なんつぅ感情の起伏の激しさか。まァ、仕方ねェですかィ。

ひとしきり俺に縋って泣いた後で、パーカーの袖で涙をゴシゴシ拭いた高杉は。
「沖田、紙とペン貸して」
んなもん持ってねェと言ってやったら、あずみが出してくれた。チャームの、お菓子の下に敷いてる折り紙と伝票をつけるボールペンだけど。

見ちゃいけないような気がしたけど、性格が顕れる几帳面な細かい文字で、高杉がそこに書いていたのは坂本への別れの手紙だった。

「あの、ありがとう。あと、チェックお願いします」
ビール1本しか飲んでなかった高杉は1500円。俺が出そうと思ったら、高杉のポケットから、新品の万札が出てきた。

「ごめんなさい、これしかない」
「ソウ君、500円あると助かるなァ」
「ありやすぜィ」

財布も持ってなかったはずの高杉がお金を持ってる理由なんざ、すぐにわかりやしたけどね。やっぱり河上と一緒だったんだろう。
お釣りを受け取って、あずみに口止めしてから、俺と高杉はかまっ娘倶楽部を出た。

「どーするつもりでさァ?」
「うんと、とりあえず花屋知らねェ?」
「ハァ?」

よくわかんなかったけど。とりあえず俺は知ってる花屋まで高杉を連れてった。当然こんな街だから、花屋だって23時くらいまでは営業してる。

高杉が花屋で選んだのは、カサブランカっていう白い花。花束にして、さっきの手紙付けて、タツ宛てでC's BERに届けてくれって頼んでる。C's BERってのは、もちろん辰ちゃんこと坂本のバイト先だ。

「これで終わり。もー俺さ、どうなってもいいやー」
そのまま、近くのビルの間の路上に座り込んだ高杉の隣に、俺も腰を降ろした。

「なんでカサブランカなんですかィ?」
「なんかなァ」

古い歌なんだけど、と。『カサブランカ グッパイ 別れてあげると 小さなメモ』って歌詞の曲があったんだって。そこの一部分しか知らないんだけど、なんか別れなきゃって思ったら、それが浮かんで来たと高杉は宙を見つめながら語った。

「お前はそれで、いいんですかィ?」
「…続ける意味がねェと思って」

俺も浮気しちまったと高杉は抱えた膝に顔を埋めた。いや、そんなのとっくに気付いてやすけどねィ。だって、首筋にはキスマークがあるだろ?おまけになんですかィ、その手首の痣は。明らかに縛られてた跡だって、見慣れてる俺には一発で判別できるんですけどねィ。まーどうせ相手はあの河上だろ?確かにヤツは俺とおんなじような匂いがしてたでさァ。

「学祭に来てたツンツン頭のヤツいただろー?」
あれが3月に別れた元彼だって。
まだ好きだって言われちまった、と。独り言のように呟きながら、高杉はまた膝を抱えて泣いていた。んなこたァ高杉の態度でわかってやしたがねィ。
ってかあれで『友達だ』って説明を、真っ向から信じたのなんざ、近藤さん1人じゃねェですかィ?

「好きだって言われてヤっちまったってかィ?」
高杉は小さく頷いた。

「もう、死にてェ…」
「あのな…」

坂本があれだけ浮気しまくってんだから、たった1回元彼に甘えたくらいじゃ、どうってことないんじゃねェかと俺は思ったんだが、あいにく高杉はそんな性格じゃねェ。浮気されて、浮気し返すような真似をしてしまって。もうやっていけないと、頑なに思い込んでいるんだろう。元彼に甘えることになった経緯は知りやせんけどねィ。『まだ好きだ』って言った元彼の言葉が本当なら、こんな状態の高杉見つけりゃ、そりゃ連れて帰るだろうなと思うし。その割に今はどうしてんのか知らないが。

「俺最低だからさ。まだ万斉のこと、好きなんだァ。…もう、戻れねェんだけど」

そうそう確か。えらい長く、2年くらい付き合ってて、別れたのも嫌いになったわけじゃねェって言ってやしたねィ。知り合った時に、俺は高杉の身の上はいろいろ聞いてるんでさァ。あれ、確か元彼は今は京都に住んでるはずだったが。学祭のライブって名目で、わざわざ高杉に会いに来たんですかねィ。あ、いや、ちょうど仕事だったのかもな。

「でも、辰馬も本気で好きだったんだ。ずっと側に、いてほしかったんだ」
俺だけ見てて欲しかったんだ、と言いながら声を上げて泣き出した高杉に、俺は何も言えなかった。それを本人には言えねェのがコイツの性格だから、今更どうにもならねェ。

「これから、どうするんでさァ?」
言っておくが十四郎の家はバレちまってる以上、あんな手紙じゃ納得せずに坂本は迎えに来るぞ、と。それより、十四郎自身が坂本を呼ぶかもしれねェ。お節介でお人よしなアイツのことだから、どれだけ高杉の決意が固いものであっても、納得いかねェって、目の前で話し合いさせそうじゃねェですかィ。

「考えてねェ。…もう、死んでもいいし…」
「あのなァ。悪ィがウチは姉ちゃんがいるから駄目なんでさァ」

身体の弱い姉ちゃんで、元気な時のお前ならいざ知らず、今のお前なんか連れてったら自分のことみたいに心配するからって。

「お前、姉ちゃんなんていたんだ」
「言ってやせんでしたかィ?」

結構歳は離れてるんですけどねィと。駄目だ、姉ちゃんのことになると、俺は性格が変わっちまう。

「財布も携帯もなんにもねェもんなァ」
正直、働く場所によっちゃあ、その日から『寮』って形で寝床は提供してもらえる。でもコイツ、ウリ専は前に興味津々だったから連れてったけど、たった1日で『無理ー』って泣いて辞めてるし、ホストなんか余計。こんな口下手、できるわけがねェ。

「もう一回聞きやすが、本当に坂本んとこには帰らなくて、いいんですかィ?」
「どの顔して帰れって言うんだよ?」

もーだって俺さ、生きていたくねェんだァ、なんてぼやく高杉を殴ってやった。男と別れたくらいでなんだってんでィ。確かに、そういう俺も、十四郎がいなくなったら『生きていけねェ』って言っちまってそうだけどよ。

こんな状態の高杉でも、黙って置いててくれそうな当てが、実は1軒だけあった。そこなら、前に十四郎のところに連れて行った時のように、どこかで繋がって坂本が迎えに来るなんてことは、ほぼ100パーセントない。

「うちの近所に、変わりもんのジジイがいるんでさァ」
俺は大きく伸び上がって、高杉の腕を引いて立ち上がらせた。

「安心しなせェ。そのジジイ、ノンケだし」
近所で工場やってて。確か息子が1人いたはずだが、就職で…どこだったかな、どっかに行っていねェんでさァ。俺に工学部行って工場の後継げって、顔見る度に言ってくるような変わりもんなんですけどねィ。息子がいるだろーが息子が。

「…どこでもいい」
「了解でさァ」

泣きやまねェ高杉の腕を引っ張って、俺達はネオンの街を、後にした。

***

開店直後のC's BERの扉がノックされた。客ならばノックなどせずにそのまま入ってくるだろう。

「すいませ〜ん、花屋ですけどォ」
まだ客は誰もいないというのに、この時、店内には従業員(ミセコ)が2人いた。

「はァ?花屋?」
今日別に、パーティーもなんにもねェぞ?とぼやきながら対応に出たのは遅刻が多いスイというミセコだった。

「辰さん宛てです」
「ハァ?」

文句を言いながらも、受け取りのサインをし、渡された花束をカウンターに運んだ。

「なんでタツなんだよ?アイツ今日休みだぜ?」
「熱心なファンがいるということだろう。貴様も少しはそれくらい真面目に仕事しろ!」

ボックス席でゆったりしているのはイツキ。オープンの鍵開け当番がスイの日は、遅刻で店が開かないことを心配して、イツキはいつも、この時間から出勤していた。まだタイムカードを押していないため、イツキは時給が発生していない。だからのんびりとしているのだった。

「熱心なファンなら週に1回しか来ないヤツの出勤日くらい知ってるだろーが」
とりあえずどうしようもなくて、カウンターに座り花束を端に置いたスイは、小さな折り紙で手紙が付いていることに気付く。

「おー、なんかファンレター付いてるぜ」
「他人宛の手紙を読むなっ!本当にお前はデリカシーのないヤツだなっ!」
「でも折り紙だぜ?」

タツ宛の手紙を勝手に読み始めたスイに近寄り、取り上げようとしたイツキだが、明らかにスイの様子がおかしいことに気付く。どうやらただのファンレターではないらしい。

「おい、イツキ。…タツの彼氏、なんていった?」
「確か『シン』とか言ってただろう…?アイツいっつも惚気てるからな」

この2人、要するにタツの同僚なのである。夏休みに恋人ができてからというもの、タツは口を開けば『シン』という彼氏がいかに可愛いかと、そればかりを言っていて、正直2人共飽き飽きしていたのだ。そうそう『シン』のためとか言って9月は1ヶ月もの間出勤しなかった、それがタツなのだ。

「なァ、『シン』って、晋助の『シン』か?タツの本名だよなァ、坂本辰馬って?」

開いた折り紙を、カウンターの隣に座ったイツキに見せるスイ。悪いなと思いながらも、イツキはそこに書かれた小さい文字を読んだ。

「これ、タツに電話した方が良くねェか?」
「…そう、だな」


坂本辰馬様
勝手にいなくなってごめんなさい。
でも、俺はもう、辰馬を責めることはできません。正直、俺も同じことをしました。
こんな状態じゃ、もう付き合っていけないと思います。少なくとも俺は、辰馬に合わせる顔がありません。
だから、別れて下さい。
4月に辰馬と知り合ってから、今まですげぇ楽しかった。
だけどもう、やっていけないと思う。
俺なんかのこと、いっぱい愛してくれてありがとう。幸せだった。
でも、もう忘れて下さい。探さないで下さい。
今までありがとう。
高杉晋助


「なァイツキ、この花、なんか見たことあるなァ?」
イツキがタツに電話をかけている間、スイは白い花束をじぃっと見つめていた。

「そうだなァ…確か」
隣のスナックのママが好きな花じゃなかったか?確かカサブランカだよな?隣でパーティーやってる時に、その花だらけだったなァ、とイツキが答える。

「ああ、そうだ。カサブランカ・グッパイって、確か古ーい曲、あったよなァ?」
「お前のようなチャラ男がそんなものを知っているとはな」
心底驚いたという顔を見せるイツキ。

「せめてギャル男って言えよっ!」
だってさ、隣からよく聞こえてくるじゃねェかよ、オッサン達が歌ってんの。
確かに、スイの言う通り、イツキにも覚えがあった。それは、男女の別れの歌。

***

けたたましい音を立てて、タツこと坂本辰馬がC's BERに駆け込んで来たのは30分後の話。

「どれじゃっ!晋の手紙って、どれじゃ、スイっ!」
「お前苦しいよ…」

ボックスで接客中のスイの胸倉を掴んで詰め寄るタツの慌て様。そんな姿は、スイもイツキも、初めて見るものだった。

「タツ、こっちだ」
まだ出勤時間になっていないイツキがタツをカウンターの中へ引っ張り込む。

「花束と一緒に届いたんだ」
花束の中に戻されていた折り紙を読みながら、みるみるうちにタツの顔色は変わっていった。

「し、…し、ん」
手紙を右手に持ったまま、左手で顔を覆ったタツはそのまま泣き出した。

「間違いなく晋の字じゃ…」
「おい、お前らっ、外でやれっ!」
珍しく尤もらしいことを言ったスイの言葉に、イツキはタツを外へと引っ張り出し、非常階段へ出た。

「これ、いつ来たんじゃ?どこの花屋じゃ?」
「開店直後だ。多分キッズフローラだったと思うぞ」

すまん、と言いながら自分の肩に手を乗せて泣き崩れるタツの姿など、想像だにしなかった…というのが、イツキの正直な感想だった。

「恋人、出てったのか?」
「昨日から行方不明なんじゃ」

あちこち探してはいるが、なんせ昨夜は友達関係はほぼ全員同じ場所にいたのだ。他に頼れるような人は、思い当たらない。学祭に来てた高校時代の友達の河上君も、さっきようやく思い出して連絡したが仕事で暫くこっちにはいるが知らないと話していた。なにしろ財布も携帯も持っていないのだ。この花束の料金でさえ、どこから出たものなのかわからない。

「その折り紙って、きっとアレだよな」
チャームの下に敷いてるやつ、とイツキに言われてハッとなった。

「とりあえずわし、花屋に行ってみるぜよ。それから、もうこれしか手掛かりないんじゃけど」
晋助はどこかでこの折り紙をもらったはずだ。折り紙を使う店など数が知れている。探さなければ。別れるなんて考えられない。それだけがタツを突き動かしていた。

「でも、探すなって書いてあるだろうが」
「絶対嫌じゃ」

晋と別れるくらいなら死んだ方がマシだと、涙を流しながら、ひどく大真面目な顔でタツは言った。

「悪いのはわしじゃ。でも、もしほんに、この手紙にある通りなら」
自分の浮気現場を見た晋助もまた、浮気をしたというのなら。

「晋を殺してわしも死ぬしかないぜよ」
パンっとタツの頬が鳴った。イツキが殴ったからだった。

「お前、少し頭を冷やせ。簡単に死ぬとか言うものではない」
非常階段から店の中に身長差のあるタツをずるずる引っ張って行ったイツキは、無理矢理カウンターの一番端の席に座らせ水を飲ませた。
それも、結構大量に。

「お前の浮気癖が招いた結果だろうが」
「そうなんじゃけど。でもわしは、晋がいないと生きていけんのじゃ」

結局、花屋からも折り紙からも、高杉のその後の足取りは掴めなかった。それは、沖田に口止めされていたあずみが、知らないと通したからに他ならない。いや、口止めされていなくとも、高杉の思い詰めた本気の表情を見ていたあずみが、沖田と一緒だったと話すことはなかったかもしれない。


END



前回に続きまたまた懐メロです。鳥羽一郎です(笑←auの方はLISMOで歌詞検索でもしてみよう)しかしなんで晋ちゃんがこんな古い歌知ってんだよ高階っ(爆)

結局別れてしまった坂高ですが、このままでは終わりませんよ(今更か)

しかし、スイとイツキ、こんなところで早々とデビューしてしまうとは…。もちろん、南戸と北大路のことですよ(これも今更か)






















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