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※かつて拍手で連載していたものです

誰かの願いがかなうころ


01:土方十四郎

今日は思っていたよりずっと早く、生徒会の仕事が終わった。
まだ5時前だ。アイツ、まだ帰ってないよな?
こんな時くらいしか、「一緒に帰ろう」なんて声はかけられないから。
ほとんど真面目になんて来ない奴だけど、なぜか来たらいつも帰りは遅いみたいだから。
今日は俺も部活がないから、近藤さんも総悟も帰っちまっただろうしな。
…あいつの行動パターンなんて知らないけど、なぜかその時、あいつがまだ教室にいるような気がしてたんだ。

「ふざけんじやねェ!!」

ホラ、やっぱりいた。でも1人じゃないらしい。
廊下にまで響き渡った怒鳴り声のせいで、俺は教室の中に入れなかった。
恐る恐る、中を覗いてみる。

「ここは学校じゃよ、高杉」
「関係あるのかよ?」

(あ…)

「わかったわかった、もう1回だけぜよ」
「さっさとしろよ」

特徴的な話し方は隣のクラスの担任の坂本で。どうして隣のクラスの先生がウチの教室に?なんて、考えにまで頭は回ってくれなくて。
俺が見ているのにも気付かず、彼は壁を背に、坂本の太い首に、縋るように腕を回していた。
さっきの会話から、高杉が迫っているようだったけど、壁際に追いつめられてるようにも見えて。
ただひとつ言えるのは、この2人が、お互いをどう思ってるかっていうことが嫌という程伝わってきてしまって。

…俺はその場から動けなかった。



02:山崎退

羽球部の練習も終わって、さぁ帰るとしましょうか。
面倒くさいからこのままジャージで帰っちゃえ。

大事なラケットをしっかり持って、玄関に向かっていたとき、廊下の向こう端に土方君の姿が見えた。しかも1人。もしかして俺ってラッキー?
一緒に帰ってくれるかな?誘っちゃおうかな。
あれ?でも今日は剣道部は練習ないって言ってたのにな。
それに土方君は、なぜか玄関とは反対方向に向かっていて。
教室に忘れ物かな…

「あっ!!」

ヤバいよヤバいよ、土方君って、こういうこと疎いから、絶対知らないよ、あの噂。

この時間のウチのクラスの教室はマズいんだって!知ってる生徒はみんな近づかないようにしてるんだって!
俺は慌てて土方君を追いかけた。

「ふざけんじゃねェ!」

階段を一気に駆け上がっている途中で案の定怒鳴り声が響いてきた。
遅かった?俺こんなに走ったのに?
土方君、俺、身体を張ってでも守ってあげたいって、気合いだけはあるんだけど、それでも、俺、高杉には勝てないよぉ!!
それでも階段を上がり、廊下の角を曲がる。

「あれ…」

土方君は教室の外に立っていた。怒鳴られたのは、たぶん土方君じゃなくて。

じゃあ、どうして土方君は逃げないんだろう。教室の中には高杉がいるはずだ。…隣のクラスの坂本先生と。

前々から、あの高杉が坂本先生の言うことだけ聞くのはおかしいって噂はあったんだ。それが決定的になったのは…そうそう、新八君が目撃したんだっけ。
ゆっくりゆっくり、土方君に近づいて行くけど、全く俺に気づいた様子はなくて。ただただ、教室の中を茫然と見つめていて。
俺は、その時気づいてしまった。土方君の頬が赤いこと。

「どうして…?」

口の中で呟いた言葉は声にはならない。
俺は、こんなに、こんなにもアンタの側にいるのに、アンタが好きなのに、それなのに。
アンタは高杉の奴が好きだって、そう言うんですか?



03:土方十四郎

いつも通りの煩い3年Z組の教室、休み時間。
俺の携帯が見当たらない…と思ったら、やっぱりそれはヤツの手にあって。
「おい、こら、総悟っ!」
「なんでさァ、土方」
「てめェ、それ俺の携帯だろっ!」
「それがどうかしましたかィ?」

土方の怒鳴る声などどこ吹く風、だらしなく足を組んで自席に座った沖田は、それでも携帯の画面から目を離さない。

「てめェ、人の携帯で違法薬物のサイトなんか見てんじゃねェー!!!」
「あァ、これなんか苦しまずに死ねそうでさァ。…あ、苦しんでもらわなきゃ面白くないですかねィ」
「総悟ッ!!」

総悟がいつの間にか俺の携帯を持って行って勝手に変なサイトを見てるのはいつものことだ。全く、なんでコイツは俺の携帯ばかり狙うんだ?
あまりにいつもの光景と化してしまった俺達の言い合いでは、教室中に響きわたる俺の怒鳴り声も、ほとんどの生徒が気にした様子はない。
要するに、これが普段のままの、3年Z組の教室の中。

「いい加減にしろ、総悟ッ!!」

ラチがあかなくなって手を出した俺のパンチを受けた総悟の手には携帯が握られていて。

「あっ…」

勢いよく総悟の手を飛び出した携帯は、大きく弧を描き、教室の後ろのドアの方へと飛んで行く。

ガラッ…

そこへ、タイミング悪くドアが開いて1人の生徒が姿を現した。



04:高杉晋助

「ああ、ダリィ…」


俺は、登校途中で買ったハンバーガーをかじりながら廊下をダラダラ歩いていた。午前中から学校に来るなんて久しぶりだ。
辰馬の野郎、こういう時だけ教師面しやがって。
3限目の銀八の授業で小テストするから、それだけは出ろって。出なきゃ補修だって。銀八の野郎も、補修すんのが面倒なだけで辰馬に頼んだに決まってる。

「ああ、ダリィ」

そこまでわかっていて、素直に学校に来てしまった自分にもムカつく。
いつもやかましい3Zの教室の、ドアが珍しく閉まっていた。煩い声が響いているのは変わらないが。どうせ、たまたま最後にこのドアから出入りしたのがヅラか志村の弟かってとこなんだろう。

ガラッ…

残り少なくなったハンバーガーを頬張りながら、そのドアを開いた。

ガツンッ…

開けた瞬間、顔面向かって飛んできた物体が右目のすぐ上に激突した。

(マジで痛ェ…)

痛ェと叫ぶのはプライドが許さなくて、俺は、歯を食いしばってハンバーガーと一緒に声を飲み込んだ。
ってか、もうちょっと場所ずれてたら、唯一マトモに世界を映してる俺の右目に当たってたんだけど。
それまでうるさかった教室が、一瞬にして静まり返る。

教室の前の方で騒いでいたらしい神楽やキャサリンも、相変わらずしつこい近藤に鉄拳をお見舞いしていたらしいお妙も言い争っていたらしい沖田と土方もみんな、自分の方を注目して固唾を飲んでいる。

俺は教室をぐるりと見渡した。
『しまった』という顔をした人間は1人しかいなくて。
あぁダリィ、たまに学校来るとコレだ。
俺は、一番近くに、ラケットを持って立っていた山崎に、薄っぺらい鞄と、もう一口残ってるハンバーガーを押し付けて、床に落ちた携帯を拾い上げた。



05:沖田総悟

まったく、すぐにムキになるところが可愛いいんでさァ。
無防備に置いてあった携帯を取り上げて今日もイタズラしてやる。

「おい、こら、総悟っ!」
「なんでさァ、土方」

すぐに予想通りの反応がある。全く可愛いお人でさァ。
こうやって2人でやり合ってるのが楽しいなんて言ったら、アンタはどう応えるんですかねィ。
「いい加減にしろっ」

甘いですぜィ、アンタのパンチなんか簡単に避けてやりまさァ。
「あ…」

土方が狙ったのは携帯を持った俺の手だった。携帯が勢いよく飛んで行く。そこにタイミング悪く入ってきた高杉。
ガンッ…
(いくら高杉でも今のはめちゃめちゃ痛そうでしたねィ)

チラっと横を見ると、土方の額に冷や汗が滲んでいた。
高杉は山崎に鞄と食いかけのハンバーガーを押し付けて、携帯を拾い上げると無言のまま真っ直ぐに土方の元へと歩み寄ってくる。
「コレはテメェのか?」
小柄な高杉は土方を見上げ、鋭い視線を突き刺した。

(あ…高杉、目の上切れてる。相当強く当たったなコリャ)
「あ、あァ」

うわずった声で土方が答えた。
ドカッ…!!
「…!?」
いきなり土方の腹めがけて、高杉の膝がめり込んだ。どちらかと言うと、土方も口より先に手が出るタイプだけど。

「痛ェじゃねェかよ」

携帯を放り投げながら低い声を響かせる高杉。
身体を2つに折り曲げ、痛みを堪える土方。その時に、きっと本当に無意識なんだろうけど、土方の右手が、だらしなく全開に開いた高杉の制服を掴んだ。
いつもの土方なら、とっくに倍以上にしてやり返しているはずだった。

(アンタ、なんでやり返さないんでさァ?)
膝をついたまま、唇を噛み締めた土方の鋭い漆黒の双貌だけが、高杉を睨みつけている。
「高杉ィ、その辺にしときなせェ」

尚も土方の襟首を掴んでいた高杉の腕を捕まえた。
土方が反撃しない理由が、なんとなくわかってしまって。俺はどうしょうもなく腹が立って。
「おーい、お前ら、とっくにチャイム鳴ってんの!さっさと座れコラァ」
やる気のない、間伸びした声で、険悪な雰囲気を壊したのは、このクラスの担任である銀八だった。



06:高杉晋助

「高杉ィ、その辺にしときなせェ」

俺の腕を掴んだ沖田の瞳孔が開いていた。腕を掴む力も相当強い。

ま、いいか。どうせ、土方を殴ったところで俺の傷が治るわけでもねぇからな。沖田とやり合うのはちょっと面倒だしな。

それにしても沖田の奴、ずいぶん本気で掴んじゃってくれてんだけど。離れようにも、土方が俺の制服掴んでんだけど。とりあえずコイツに放してもらわねェことにはどうにも…と、土方と沖田を交互に見た俺は、何かに気付いてしまった。

(ああ、そうか、そういうことかよ)

答がわかってしまえばどうということはねェ。
土方よォ、お前、わざと俺に反撃しねェんだろォ?そんな土方見て、相当ムカついてんだろ?沖田。
お前ら、デキてたんじゃなかったんだな。

「高杉、お前何やってるんだ!」

幼なじみの桂が後ろから俺を羽交い締めにして2人から引き離した。

「離せよヅラ」
「ヅラじゃない、桂だ!」

他のクラスメート達は、銀八に促されるままに、それぞれ席に戻ってゆく。どうせ、唯一俺とマトモに話ができるヅラが止めに入ったことで安心したんだろう。基本的にクラスの奴らは俺に近づかないし、話かけてもこない。ヅラだけは、昔から知っているせいか、何かと世話を焼いてくるんだが。

「おー、高杉ちゃんと来たかァ」
「ぁア?」

銀八がいつもの調子で、のらりくらりと俺達の方に歩いてきた。心なしか、嬉しそうな顔をしているように見えるのは、気のせいか?
別にお前の言うことを聞いて、おとなしく来たわけじゃないんだけど。

…あぁ、やっぱり真面目になんて来るんじゃなかったなァ。
そう思ったら、なんだか急に腹ただしくなってきた。

「帰る」

まだ、入り口の前で鞄とハンバーガーを持ったままオロオロしていた山崎から、荷物を奪い取ると、来た時同様最後の一口のハンバーガーを頬張りながら、俺は教室を出た。
さて、どこで暇をつぶそうか。小テストなんて知るもんか。



07:高杉晋助

「ちょっとちょっと高杉!お前聞いてるんでしょ?小テスト」

銀八が廊下まで出てきて俺を呼びとめる。

「うるせェ銀髪パーマ」
「あ、なにソレ?先生傷ついちゃうからね!好きでこんなにハネてんじゃないんだからね!」
「触んじゃねェ!天パうつんだろ!」

掴まれた腕を振り払い、食べ終えたハンバーガーの包み紙を丸めて投げつけた。

「天パはうつりません!」
「高杉、廊下に物を捨てるな」

ヅラまで廊下に出てきて、俺が投げつけたハンバーガーの包み紙を拾う。

「じゃあお前が捨てておけ、ヅラ」
「ヅラじゃない、桂だ!お前、いい加減にしろっ!!」

ちょっとからかっただけで、本気で怒るんだからな、ヅラって相変わらずだよな。昔から、この生真面目な性格は変わらないんだもんな。

「はいはい、いい加減にしたぜ、コタ」
「高杉っ!!」
「アンタ達!授業始まってんだからね!他のクラスに迷惑だろーがぁっ!!」

教室から顔を出した志村が怒鳴っている。

「てめェが一番うるせェんだよダメガネ」
「ちょっとォ、なんでメガネってだけで馬鹿にしてんのォ!!」
「志村、本当にお前うるさいぞ?」
「もー、新八うるさいよ、お前何しに出てきたの?」

これ以上付き合いきれない。俺はまだわめいている3人に背を向けてさっさと廊下を歩き始めた。

「仕方ない、俺の言うこと聞く高杉じゃないからね〜」
「先生!」
「アンタ教師としてそれでいいのかよ!?」

あきらめたらしく、3人は教室へ戻って行ったようだ。
あーなんか、デカい声出したら、さっき携帯がぶつかったところの痛みがズキズキしてきて、気になり始めた。
触れてみると、ぬるっとした感触と赤い色。

「…最低だな、オイ」
とにかく俺は保健室に向かうしかないようだった。



08:陸奥

「元気な人間が寝るベッドはないぜよ」

保健室の扉を開けた生徒の姿を確認するやいなや、そう言い放った。

「頭ごなしかよ、ひでェなァ、陸奥せんせ」

肩をすくめてみせても、全然反省の色なんてないのだ、この不良学生は。

「ってかせんせ、今日はマジで俺、怪我人なんだけど」

何を言ってやったところで懲りないこの不良学生は、文句を言いながらソファに座ってきた。
仕方なしに振り返ってやると、なるほど確かに右目の上が切れて血が滲んでいる。

「どこの誰とやり合ったんじゃあ?相手はもっと重傷じゃろ?」

仕方がないから、私は、高杉の目の上の傷を消毒しながら聞いてやった。

「違ェよ!教室の戸開けたらいきなり携帯飛んできて当たったんだよ」
「白々しいの」
「てメェほんとに教師か?生徒の話くらい聞け」

いくら凄まれても、全然怖くないと感じてしまうのは、日頃馬鹿からいろいろ聞かされているせいだろうか?この、校内一の不良生徒を恐れて、近寄りもしない教師がほとんどだと聞く。
確かに、一旦暴れ出したら、手がつけられないのかもしれないが。
右目に被らないように、大きめの絆創膏を貼ってやると、高杉はさっそくベッドへと移動した。

「せんせ、昼休みになったら起こして」
「わしは目覚まし時計じゃないんじゃき、誰がお前の昼飯の為に起こすか」

全く、保健室をなんだと思っているんだ、コイツは。

「違ェよ、飯じゃねェよ。5限目、世界史なの」

ああ、そういうことか。案外可愛いいところがあるじゃないか。
高杉のことを、校内最凶だなんて言ったのは、どこの誰だった?こんな奴、ただの甘えたがりのガキじゃないか。
ベッドに潜り込んですーすー寝息を立て始めた顔を見てみたってそうだ。こんなガキが怖いなんて言う大人はどうかしている。それとも高杉は、私が全部知っているのをわかっていてこの態度なんだろうか。

とりあえず、後でウルサイから、馬鹿にはメールだけ入れておこう。どうせ授業中のはずだ、休み時間になったらすっ飛んでくるんだろうな。



09:土方十四郎

なんとか小テストは乗り切った。けど、蹴られた腹が痛い。

「土方君大丈夫?保健室行った方がいいんじゃない?」

机に突っ伏していると、山崎が心配そうに声をかけてきた。

「どうせ保健室行ったって寝かされるだけだろ」

保健室は病院じゃないんだから。
いきなりだったとは言え、あの細くてちっこい高杉の身体の、どこにこれだけの力があるんだろうと思った。
あの時、俺はやり返さなかったんじゃない、やり返せなかったんだ。

アイツに、なにもかも見下したような冷たい目で、あんな顔をさせてしまったのは俺なんだと思ったら。
自分も悪いと思っているのかどうか、いつも煩い総悟はこの時間全く俺に寄ってこない。そういえば、高杉を最初に止めてくれたのも総悟だったっけ。あとは桂と銀八だけど。
あーやべェ、微妙な吐き気は空腹のせいなんかじゃないような気がしてきた。

「土方君、横になってた方が楽だと思うよ」

相変わらず山崎は、俺の席の横にしゃがみ込んで心配そうに覗き込んでくる。

「そこまで言うなら行こうか」

立ち上がり、一瞬フラついた俺を支える山崎。コイツは本当に、懲りもせず俺なんかの側にいつもいるなと思う。

「あー、後で教えるきに!職員室来てくんろ!ワシ、陸奥先生に急用じゃ」

廊下に特徴のあるデカい声が響いたと思ったら、ものすごい勢いで、隣のクラスの担任が走って行った。
br 「教師が廊下を猛ダッシュって」

山崎が隣でぼやいている。

「山崎ィやっぱ俺、保健室行くのやめるわ」
くるりと振り返って、また自分の席に戻った。

「え?なんで?大丈夫じゃないでしょ土方君!」

保健室に行くくらいなら、教室で耐えていた方がよっぽどマシだと思った。
あの、いつもおおらかな坂本先生が、なりふり構わずダッシュで保健室に向かう理由なんて1つしか見つからない。きっと俺は、その場にいることが耐えられない。
俺じゃ駄目なんだと思い知らされるから。

「土方君大丈夫〜?」
「大丈夫だ山崎」

あの時掴んだ校則違反の制服。薄いTシャツ1枚挟んで触れたアイツの細い身体。その感触が今でも残ってる。
今は、蹴られた腹なんかよりも、別の場所が痛い。
俺の視線の先の、アイツの視線に気付いたのはいつだった?



10:坂本辰馬

「…で。お前なんでいんの?」

寝起きの悪い晋助は、やっぱりいつも通り機嫌が悪かった。

「し、晋が怪我したって聞いて飛んで来たんじゃ」

本気で4階から走ってきたもんだから、まだ息が荒い。

「せんせ、ここ学校」

晋助は、保健室の薄い布団の中から顔だけを出して、冷静に言い放った。。心配で心配で走ってきたんだから、もう少し、優しい言葉をかけてくれてもいいんじゃないかとは思うが、2人きりではない上に、寝起きの晋助に求めても無理な話だろう。

「高杉、痛くないがか?」

晋助の頭をくしゃくしゃっと撫でた。サラサラでまっすぐな髪の毛が、指を滑って心地いい。ずっと、そうしててあげたくなる。

「そこ、痛ェって」

やっぱり不機嫌な顔で晋助はジロリと鋭い視線を投げかけた。

「おんしら、やるなら外でやれ」
「俺はなんにもしてねェよっ!」

うっとおしそうに陸奥がわしの頭をパシっと叩いた。晋助もワシの手を払って、また頭まですっぽりと布団の中へ潜り込んでしまう。
全く、人前での晋助は本当につれない奴じゃ。

「坂本、さっさと職員室に戻れ。おんしのようなデカいのにおられたら邪魔じゃ」
「ひどい言いようじゃ〜!第一わしを呼んだのは陸奥じゃろ?」
「呼んでなどないわっ!ちゃんと本文読めェ」
「高杉に何かあって、ワシが黙っとれると思っちゅーがか?」

確かに、陸奥からのメールでは、『高杉が目の上を切って保健室に来たが、たいしたことはないから心配するな』という内容だったのだが。心配するなと言う方が無理だ。

「おめェらうるせえんだよっ!!」

布団に潜り込んでいた晋助が怒鳴り声をあげた。これではどっちが教師なんだか。

「高杉、また後で来るきに」
「うっとーしーから来んな!」
「恥ずかしがりやじゃのう、高杉」
「ウゼェ…」

とりあえず、授業の終わった教室からそのまま来たもんだから、まだ教科書やら資料やらをそのまま持っていた。陸奥は怒らせたらうるさいし、(何より高杉が保健室にいるって情報を流してくれなくなったら困るし)ここは一旦職員室に戻るとしよう。
わしは、既に4限目が始まった廊下を、職員室に向かって歩き始めた。



11:土方十四郎

今日の部活は、総悟と思い切りやり合った。

「なんでそんなにムキになるんでさァ」
「それはテメェだろうがっ」

総悟はなぜかずっと、不機嫌そうな顔で、いつも以上に本気で竹刀を打ちつけてくる。
不機嫌になりたいのはこっちだというのに。
昼間見た、ダッシュで保健室に向かう坂本先生の姿。その前に、『帰る』と言って教室を出て行った、怪我をした高杉。考えられることは1つしかない。
あの時、無理矢理にでも自分が保健室についていくべきだったのだろうか。それも不思然だし。

「何をボーっとしてるんでさァ」
「うるせェな」
ようやく今日の練習が終わって、着替えようとするこの時間まで、突っかかってくる総悟。俺の気持ちなんか全然知らねぇくせに。

「あっ…」

やっぱりどこか抜けてるみたいだ。教室に電子辞書を忘れてきた。
辞書くらい置いて帰ろうか…いや、明日英語の授業あるからなぁ。
だけど、放課後の教室には行きたくない。高杉は、『帰る』って言って教室を出て行ったけど、実際に帰ったのではないだろうし。

「近藤さん、帰ろうぜ」

ならば、1人で行くのだけは絶対に避けよう。不機嫌な総悟とは行きたくないし…。
しかし、我が部の部長の近藤さんは、まだ志村妙に話しかけて、殴られてを繰り返していた。

「近藤さん、帰ろうぜっ!」
「おおっ、トシもう着替えたのか?早いなー」

ようやく諦めて更衣室に向かってくる近藤さん。

「近藤さん、俺教室に忘れ物したんだけど、取りに行くから一緒に来てくんねェか?」
「トシ、それはいいが、もうすぐ最終下校だぞ?着替えたら追い掛けるから先に行っててくれ」
「…、それも、そうだよな…」
1人で教室に行きたくない理由を近藤さんに話しても仕方ないだろうし。
俺は、すぐに近藤さんが追い掛けてきてくれることを祈り、荷物をまとめて、校舎に向かった。



12:高杉晋助

「…おっせェなァ、辰馬の野郎」

俺は、教室に1人で、辰馬を待っていた。
今日は仕事が残っているから遅くなるとは言われていたが、もうすぐ最終下校の時間じゃないか。
先に辰馬のマンションに帰っていてもいいとは言われていたし、合い鍵だって当たり前に持っているが、一緒に帰りたい、なんて女々しいことを考えてしまっている俺がいる。

「はァ」

何度目かの溜め息をついた時、教室の扉が開いた。

「さ、………土方」

教室に入って来たのは待っていた人物ではなくて。なんだ、とは思ったけど、これはもしかしたら、暇つぶしにはなるかもしんねェな。

「ああ、高杉。まだいたのか」
声だけで反応して土方は一切俺を見ないで自分の席に向かう。
「忘れモンかァ?」
「あ、あァ」

聞いてやると土方の肩がピクっと反応を見せた。
…もしかして、コイツって、もの凄くわかりやすい奴なのかもしれない。鋭い視線と、開き気味の瞳孔で、少し近寄り難い印象を受ける土方だけど。
俺は、座っていた窓際の自分の机から飛び下りて、忘れ物を鞄に入れている土方に近づいて行った。

「土方ァ」
「たか…すぎ…」

なぜか、ゆっくりと後ずさっていく土方。何も取って食おうってつもりはないんだけどよ。

「お前、俺のコト好きなんだろ?」
「!?」

ああ、やっぱりだ。限界まで目を見開いた土方の顔が『どうして知ってるんだ?』って顔をしてる。
「あれだれ見られてたら気付くっての」

自分より背の高い土方の首の後ろに右腕を回して、耳元で囁いてやった。
ビクっと身体が震えたところを見ると、コイツ耳は性感帯なんだろうなァ。わかりやすい。
チュッと唇が触れるだけのキスをお見舞いしてやった。

カバッと身体を離した土方が赤くなっている。カワイイやつ。
ちょっとくらいなら、付き合ってやろうかな。
廊下から、話しながら近づいてくる辰馬と近藤の声がする。2人とも声がデカイからすぐにわかる。

「じゃあ、また明日な、土方」

俺は、鞄を持って廊下に出た。



13:坂本辰馬

「ちょっとちょっと、辰馬ァ」

職員室でボーっとしていたら、隣の銀八に声をかけられた。学校で、下の名前で呼ばれるなんて珍しい。

「なんじゃあ?」
「お前さ、ハニーにどういう躾してんのよ?」
「…は?」

ハニーだなんて呼べるような、親密な相手は現在は晋助1人しかいない。

「お前、知ってんの?」

言いながら椅子を近づけてきた銀八は小声で続けた。

「最近土方が授業サボるのよ。高杉と一緒に、屋上で」
「…ほう」
「ほう、じゃねェよ。土方は俺が狙ってんだからな」
「イデデデデ」

あくまで小声の銀八に思い切り耳を引っ張られてデカイ声が出た。

「…って、まさかそんな仲じゃなかろー?」

Z組の土方君を思い出しながら応えてやる。優等生の土方君は、わざわざ晋助と仲良くなるようなタイプでもない気がするのだが。同じく優等生の桂君とは仲がいいが、あの2人は幼なじみだから別物だし。

「だったらいいんだけどよー。でも」

銀八は席に戻り溜息をついた。
br 「でもさー、ここんとこ、毎日一緒に屋上で昼飯食ってんだぜ?」
「ほう…」

毎日一緒にお昼を食べるとは。一体どんな会話をしているのだろうか。晋助は、仲良くなった特定の人以外とはあまり接触したがらないし、土方君もあまり口数は多くないような気がする。
喫煙室に行くためか、煙草を持った銀八が立ち上がり、何気なく窓の外を見て動きを止めた。それと同時に携帯のバイブが振動を始める。

「坂本ォ」

銀八が振り返った時、坂本はメールでも来たのか携帯を開いて目をパチパチさせていた。

「おい、坂本?」
「銀八ィ…」

同僚を呼びながら立ち上がった瞬間、目に銀八が見ていたものが飛び込んできた。
まだ授業があるというのに、正門から堂々と帰って行く晋助と、土方君の姿。

「銀時、ちょっと資料室付き合うぜよ」
「おい、辰馬っ!」

携帯を握って、銀八の腕を無理矢理掴んで職員室を後にした。

『今から土方と遊びに行ってくるわ。遅くなりそうだったらまた連絡する』



14:土方十四郎

ゲーセンで遊んでいるうちに降り始めた雨は、一向に止む気配を見せなかった。

「土方ァ、お前ん家、駅から近いか?」
「ああ、5分くらいだけど」
「じゃ、行くか」
「え…ええっ?」

あまりに突然の言葉に目を丸くする俺の腕を引っ張る高杉と電車に乗った。
1人暮らしの俺の部屋は、ロフトつきのワンルームマンション。ここに、誰かを呼ぶなんて久しぶりだ。

「お前、1人暮らしだったんだな」
「あぁ」
駅から2人ダッシュで来たものの、びっしょり濡れてしまった制服を脱ぎながら高杉が言った。その制服をハンガーにかけて、自分の学ランの隣に干してやる。並べてみると、やっぱり高杉の制服は俺のより一回り小さくて。
渡したタオルで頭をがしがし拭いている高杉の姿をぼぅーっと見ていたら、なんだか、だんだん気持ちが治まらなくなってきた。
学ランの中に、いつも派手な色のTシャツ1枚しか着ていない高杉は、雨に濡れたせいで細い身体の線が、余計にはっきり見えてしまっていて。

「高杉…っ」

俺は、勢いのままに、華奢な身体を抱きしめて壁に押し付け、覆いかぶさるように唇を重ねていた。

「っ…かはっ…」
力の抜けた高杉の身体が壁伝いに崩れ落ちてゆく。
「たか、すぎっ…」
頭を床に打たないように支えてやって、もう一度唇を重ねる。こうなってしまったら、もう止まらなかった。深く唇を押し付けて舌を絡める。

「んっ…ふっ…」
押し倒される形になった高杉の吐息が鼻に抜けてますます欲情が煽られた。
「…、土方ァ」
じっくりと長いキスを味わって、ようやく唇を離すと、高杉の腕が俺の足の間に延ばされて。

「お前、もうこんなんなってんだな」
「…ァっ…!」
ぎゅうっと制服の上から自身を握られて、声が漏れた。
「お前、俺とヤリてェのか?」
手を上下に動かされてがくっと力が抜ける俺の背中に腕を回した高杉に、そのままぐるっと転がって体勢を入れ替えられる。

「抱いてやるよ」
耳元で高杉に囁かれて、身体がピクンと跳ねた。

「ァあ…高杉…」
俺は身体の力を抜いて全てを委ねた。



15:山崎退

土方君と、高杉が一緒にいる姿を、よく見掛けるようになった。
土方君が幸せなら、俺はそれでいいんだけど。でも、相手は、あの高杉で。

2人が男同士だからどうこうと言っているわけではなくて(そんなこと言ったら土方君を好きな俺だってしっかり男だし)、じゃあ何が問題なのかと言うと。

高杉と、隣のクラスの担任の坂本先生が、どうやら特別な関係らしいということは、1年の頃から密かに噂になっていた。校内史上最凶の不良と言われた高杉が、唯一、坂本先生の言うことだけは聞くっていうのは誰もが知ってる事実で、坂本先生と仲のいい銀八先生なんかは、それを上手く利用して、何とかかんとか高杉を登校させたりしてるみたいだけど。

放課後の教室で、坂本先生にキスを迫っていた高杉が(部活の後に一度目撃してしまって、俺は逃げたよ)、何を考えて土方君と一緒にいるのかが、俺にはわからない。

高杉と土方君が一緒にいることが、気になるのは俺だけじゃないみたいで、俺の前で弁当を食べている沖田君も、最近口数が少ないし、土方君にちょっかいを出すことが、極端に減ったように思う。
昼休みになるとすぐ、土方君は教室を出て行ってしまった。高杉は3限目の途中にフラっと登校してきて、4限目にはもういなかった。きっと屋上あたりにサボりに行ったんだろうけど。そして、土方君は、昼休みを高杉と一緒に過ごすために、さっさと出て行ったんだろうけど。

真面目な優等生だった土方君が、授業をサボるようになったのも、高杉とつるむようになってからだ。

…俺は、高杉が羨ましいのかもしれない。

俺なんか、ずっと前から土方君のことが好きだったっていうのに、いきなり現れて、土方君の心を掠って行った高杉が。
ずっと前から、好きだ、と思いながら、一切、その気持ちを表には出せなかったことを、今更悔やんでも遅いのだろうか。
でも俺は、土方君と、どうこうしたいとか、そんなことは考えてないんだけどな…。



16:高杉晋助

薄暗い体育館倉庫のマットの上に、2人並んでぐったりと横になった。

雨の日の土方のマンションで、初めてヤった時は、少し痛がっていたくせに(経験はあったみたいだけど)、今では自ら腰を振って俺をイカせようとするコイツは、実は相当エロい。おカタイ風紀委員なんかやってるくせになァ。

辰馬と付き合うようになってから、浮気らしい浮気は、ほとんどしてないし、ウリもやってないから、タチるのは久しぶりだったけど、そうやって積極的になられたら何の心配もなかったし、我慢なんてできなかった。

「たかすぎ…」

半身を起こして、煙草を吸い始めた俺の腰あたりに腕を回して土方がくっついてきた。まだ火照った顔で、そうやって名前を呼ばれると、コイツって、本当に俺のこと好きなんだろうなって気持ちが伝わってくる。

(なんで、俺なんだろう…)

さんざんヤっといて、ひどいなと自分でわかっていながらも、そう感じずにはいられない。

右手で煙草を持ちながら、俺は、いつも辰馬がしてくれるみたいに、土方の頭を撫でてやった。
そう、土方と一緒にいても、俺の中にいるのはいつも辰馬で。辰馬がいてくれたから、俺は土方の気持ちに気付いたし、今こうやって、甘えさせてやることもできるし。
正直、罪悪感は拭えない。辰馬に対しても、土方に対しても、だ。
「高杉ィ」
身体を伸ばして、近づいてきた土方の頬に手を添えて唇を重ねた。キスだけで感じる土方に、「もう一回」と迫られるのがわかっていて。

「もう、昼休み終わっちまうぜ」
耳元で囁きながら、耳たぶに舌を這わせ、乱れたままの制服のシャツの中に手を突っ込んだ。

「…ァっ、た、かす、んっ」
ぎゅっと瞼を閉じたまま、そんな掠れた声を出されたら、収まらなくなる。いや、やってるのは、感じさせてるのは俺だけど。

「ホラ、ケツ出せよ」
真っ赤な顔のまま、さっき後処理をして履かせてやったばっかりの下着を下ろす土方を、マットの上に四つん這いにさせて、後ろから抱きしめた。



17:坂本辰馬

マンションに帰ると、いつものように晋助が先に帰っていた。最近は、土方君と帰ることが多いから、放課後遅くまで自分を待っててくれるというようなことは少ない。
土方君と帰っていると言っても、時間から考えて、本当にただ、一緒に駅まで歩いて電車に乗るだけのようなのだが。2人きりで帰る姿を見ることもあったし、Z組の近藤君や沖田君らと一緒の時もあって、3年の、この時期になってようやく、晋助はクラスに馴染めたのかと思ったら、少し嬉しかった。
晋助は幼なじみの桂君と、1年の時一緒だったうちのクラスの河上や来島以外とは、あまり接したがらないと思っていたから。

「辰馬、おかえり」

スーツを脱ぐ後ろから、抱き着いてくる晋助は、いつも通りのように思えた。

「晋、そんなんされたら着替えられないぜよ」
「ィャ…」

背中にぴったりと身体をくっつけてくる晋助は、今日はずいぶん甘えたいようだ。

「晋…」

最近よく、職員室で銀八が晋助と土方君のことを言ってくる。銀八の話を信じるならば、どうやら、ただ友達として仲良くなっただけではないようなのだが。

「晋、覚えといての」
背中に晋助の体温を感じながら、静かに語りかけた。
「わしは、晋だけじゃからの」
ぴくん、と、お腹の前で組まれた晋助の腕が反応した気がした。

「わしが好きなのは晋だけじゃ」
腕を取って正面に向き合って。細い身体を抱いてやると晋助は顔を伏せるように胸に押し付けてきて。
「俺も、辰馬がスキ…」
小さく小さく、呟くように返してくれる晋助がたまらなく愛おしい。

「晋助、わしは信じとるからの」
「!!……たつ、ま」
あまり口数は多くない晋助。銀八はじめ、多くの教師達が、何を考えているかわからないと距離を置き、あまつさえ恐れる晋助。だけど、本当は、ほんの僅かな表情の変化が、僅かな声のトーンの変化が、如実に感情や内面を現していることを、自分は知ってしまっている。
ああ、きっと。銀八の話は本当のことなんだろうと、皮肉にもこの時確信してしまった。

自分は、どうしたらよいのだろうか…。



18:高杉晋助

「…かすぎ、高杉」
「ん?」

ボーっとしたまま体育館倉庫の宙に視線を泳がせていたら、名前を呼ばれて我に返った。一体どれくらい、意識を飛ばしていたのだろうか。隣で一緒にサボっている土方を放っぽって。

「何考えてたんだよ?」
不安そうに瞳を覗き込んでくる土方は、きっと全然悪くない。わかってる。

「悪ィ」
答えにはなっていない返事を返す自分はズルイと思う。
「高杉、しよ」
薄暗い体育館倉庫には2人きり。だからなのか、土方の態度が、教室の、みんなの前なんかとは全然違う。

「悪ィ、そういう気分じゃねェや」
わざわざ2人でここにいるのはそのためなんだから、求められて当たり前なのだけれど。

「なんでだよ、高杉ッ」
言いながら、ぎゅうっと抱きついてきたものだから、とりあえずそのままにしておいた。
(なんでだと聞きたいのはコッチの方だ)
どうして俺だ?あの腐れ天パーの銀八に、沖田と山崎と、それからあのメガネ(名前は忘れた)まで、揃いも揃ってみんなお前のコト狙ってんじゃん。それは、自分に対する視線の冷たさとか日々感じる悪意とか、そんなもんでわかってしまう。
そして、そんな俺には、2年も前から辰馬がいる。
「悪ィ、俺、帰るわ」
「高杉?」

抱きついたまま見上げてくる土方の不安げな表情。
「お前は風紀委員なんだから授業に戻れよな」
不満たっぷりの土方に、とりあえず軽く唇を重ねてやった。それだけで、真っ赤になるんだもんなコイツ。
体育館倉庫を出て、土方は教室へ、俺は玄関へ。家に帰ったら電話するという約束で。
生徒玄関に到着して、靴を履き替えようと思ったら、しゃがみこんで銀八が煙草をふかしていた。なんでこんなところにいるんだよ、コイツ!

「体育館倉庫の前まで行ったら、お前が『帰る』って言ってんのが聞こえたんだよ」
俺は銀八を無視して、さっさと外に出ようと思った。

「なんでお前なワケ?」
俺だって知りてェよ。そんなに気になるなら本人に聞けよな。
一言も応えない、目も合わせない俺の背中を、銀八の声だけが追いかけてくる。
「高杉、辰馬に言いつけるからね」
好きにしやがれよ、この野郎。



19:坂本辰馬

『明日eXのナイト行かない?』

職員室で隣の席に座る銀八から、携帯にメールが届いたのは授業の空き時間だった。その文面から明日の土曜日の夜、eXというクラブでイベントがあるらしいと知る。
お互いに空き時間で、隣に座っているのだから、普通に話せばいいはずなのに、わざわざメールが届いたのには理由があった。銀八も自分も、男が好きだなんて、職員室の中ではお互い以外に誰も知らないことだから。

チラリと隣を見やると、教科書の下にマナーモードにした携帯を隠しているようだ。
『明日、何のイベントかの?』
こちらも、声は出さずにメールで返信を送る。すぐにまた、銀八から返事が届いた。

『野郎祭り。お前の好きなタイプはいないかもしれないけどー』
『わかってて、なんで誘うんじゃ?』
『いいじゃん、オトコ漁りに行こうよぅ!カワイイ子いるかもしれねーじゃん』
最近、微妙な感じになってきているとは言え、一応自分には、ちゃんと付き合っている相手がいて、わざわざ新しい相手を探す必要もないのだが、と思いながら、返事を躊躇っていた。

『気晴らし気晴らし。付き合ってよ』
返信しないままでいたら、もう一度、銀八からメールが来た。

『わかったぜよ。でも奢らんからの』
『えー!!なんでよぅ?フライヤーあるから500円引きだって』
『割引になるなら、尚更自分で出しぃ』
自分にたかる気満々の銀八の態度に、溜め息をひとつ零した。
『頼むよー!銀さん金欠なのよ〜』
金欠なら遊びになんか行かなければいいじゃないかとか、どうせパチンコで負けたんだろうとか思ったけれど、言わなかった。

『頼むよー、辰馬お願い!』
さてどうしよう。お金もないくせにここまで銀八がしつこいのは、本当に気晴らしのつもりなのかもしれない。それも、こっちの。最近恋人と上手く行っていないことを知っている(なんせ情報源だ)銀八のことだから、自分が、そろそろ飲みたい気分になっていると察知して、先回りなのかもしれない。

『わかったぜよ』

そう、返信を送ると、ニンマリと笑みを見せた銀八と、無言のまま目が合った。
さて、明日飲みに行くことを、どう伝えようか、恋人に。



20:高杉晋助

明日は飲み会だから遅くなるという辰馬からのメールに気付いたのは日付も変わりそうな時間だった。
ずっと、マナーモードにしっぱなしだった携帯には、他にメールが3通と着信が6件入っていた。メールの1通と、着信は全て土方からのものだった。俺が出ないからって、何度もかけてきて、結局最終的にはあきらめたのか『おやすみ』というメールが入っていた。
眠る前に声が聞きたかっただなんて、土方のヤツ、相当きてるよな。
「なに、見てるの?」
さっきまで俺に抱かれていたサラリーマンが裸のまんま、やっぱり裸でベッドの端に座って煙草を吸いながら携帯をいじりだした俺の身体に逞しい腕を回してきた。

「ツレから電話いっぱい鳴ってた。明日でいいや」
なんだか頭の中がぐちゃぐちゃで、学校の後街に出た。たまたま入ったパチンコ屋で、3万円勝ってしまった。それじゃあ、この金で飲みにでも行こうかと知ってる店で1人で飲んでいたら、カウンターでたまたま、隣合って座ったのが、このサラリーマンだった。
年は20代半ばから後半。ノンケっぽくて長身で、キッチリとスーツを着こなしていて、身体もそこそこ鍛えていて、たぶん仕事もできるんだろうなァって感じのそのサラリーマンに、飲みながら露骨に太腿の内側を触られて。コイツになら抱かれてもいいや、なんて思っちまって、そのままホテルに入った。
どういうわけか、俺の方が攻めることになってしまったけれど、まぁ、いいや。
とにかく、明日はここから辰馬のマンションに帰ろうと思っていたけれど、遅くなるのなら仕方ない。昼間、辰馬が部活で学校に行っている間くらいなら、1人で待っててもいいけれど、夜中まで1人なんて嫌だ。

「なァ、明日って、どっかでイベントやってる?」
今日の飲み代は、このサラリーマンが払ってくれたから、俺はパチンコの3万円がまるまる残っている。
「ああ、明日ならeXで野郎祭りだよ」
明日もまた飲みに出るつもりなの?と俺にくっついたまま苦笑を浮かべるサラリーマン。よっぽど、俺がタイプらしい。

「へェ」
野郎系にはあんまり興味ないなァ、と思いかけて。そこで俺はふと思いついたことがあった。
(土方連れて行ったら、どうなるかな、アイツ)
何か悪戯を思い付いた子どものような顔になってるよと、サラリーマンが抱き着いたまま俺に言った。



21:坂田銀八

「ちょっとちょっと辰馬ァ!少しくらい楽しそうな顔しろよー」

昨日、半ば無理矢理つき合わせることになった辰馬とクラブに来てる。今日はさすがに『野郎祭』なんて名前がついたイベントだけあって、野郎系ガテン系のオトコが溢れかえっている。
辰馬がつまらなそうにしてるのは、そりゃもちろん、野郎系は辰馬のタイプじゃないからだ。辰馬の奴、今時ジャニ系のカワイイ子が好きなんだもんなァ。ま、そういう俺も、カワイイ子は嫌いじゃないんだけど、ちょっとばかり辰馬とはタイプが違っていて。やっぱ、少しくらいは筋肉が欲しいわけですよ、俺としては、相手に選ぶなら。

「銀時ィ、わし、あっちで飲んでるぜよ」
「あ、そう〜?」

辰馬は、早々とダンスホールから引き上げてしまった。奥のバーでひたすら飲むことに決めたらしい。ああ、もったいねェ…。辰馬なんて、俺より身体ガッチリしてんだからさァ、今日なんか黙っててもモテるはずなのになァ…。

ま、いいか。さてさて俺はカワイイ男の子の品定めでも…って、グラスを持ってウロウロし始めた時だ。見覚えのある顔が、数人にナンパされている。

(おい、ちょっと!)

なんで高校生がこんなトコ来ちゃってんのー?ああ、しかもナンパしてきてる相手に、満更でもなさそうじゃん!まったくあの不良、こんなとこで補導されたらどうするつもりだよ?担任の仕事増やさないでよっ!
俺は、少し離れたところから、結構いろんな人に声をかけられている赤毛を見つめてた。
そして、あることに気付いてしまう。
(アイツが声かけられて嬉しそうにしてるのってさァ…)

奥のバーに行けばお前のタイプにドンピシャな坂本先生がいるんですけどぉ〜?ああ、待て!この場であいつら鉢合わせたらややこしいことにならない?
辰馬と高杉。両方共泣くような気がして俺は頭を抱えた。
だから、俺は遊びに来たんだっつーの!ったく!
後で面倒になるよりは…と思って、仕方なく俺は赤毛に声をかけた。

振り返った瞬間、高杉の目の色が変わる。



22:土方十四郎

高杉に『遊びに行こう』って誘われて。もちろん2人でって言うから、嬉しかったんだけど、ちょっとだけ、不安もあって。
その不安が、今まさに的中してしまっているこの俺の現状。

『ナイト行こうぜナイト』

まず俺には『ナイト』という言葉の意味もわからなかった。『夜?』それとも『騎士?』

『ァあ、クラブのイベントだよ。男ばっかりの』

ちょっと待て高杉!クラブって〜!!なんて思っている間に手を繋がれて。嬉しくて振りほどけないままに結局連れてこられてしまった。

『今日は野郎祭だから、ま、あんなんばっかり』

と高杉が示したのは、ガタイがよくて短髪で…。言うならウチのクラスの近藤さんみたいな外見の男達の集団。
まっすぐ奥のバーに俺を連れて来た高杉は、さっそくカシスソーダを頼んで飲み始めてて。それ酒だろうがっ!もちろん俺は烏龍茶。

『あっち行く?』

なんて高杉が指さしたのはどう見てもダンスホール。派手な音楽と派手な証明で、みんな踊ってる。

『え、高杉踊るのか?』
『何言ってんだ、ナンパされに行くんだよ』
『えっ?ちょ、ちょっと…』
『土方が行かねェんなら、俺1人で行ってくらァ』

俺が動揺している間に、高杉はさっさとダンスホールへ行ってしまって、あっという間に人波に飲まれて行方がわからなくなってしまった。
カウンターに1人取り残された俺。当たり前だけどこんな場所初めてで。
高杉はナンパされに行くだなんて言ってたけど、俺は声なんてかけられても、どうしたらいいのか全くわからないから。
たまたまなのか高杉がわざと選んだのかはわからないが、座った場所が一番端の席だったから。
俺はひたすら壁の方を向いて時間が経つのを待った。

頼むから早く帰って来てくれよ高杉ィ…。



23:坂田銀八

再入場のスタンプを手の甲に押してもらって。膨れっ面の高杉を、とりあえず外に連れ出した。
「満更でもなさそうだったよね」
eXを出ると目の前はラブホになってる。もちろん、こんな週末はとっくに『満』の文字が点灯してるんだけど、繁華街のド真ん中だけあって駐車場は空いてたから、俺はそこの隅の方に高杉を引っ張った。

「こんなとこで何するつもりだよ?」
もー、どういう警戒の仕方?ナンパされまくってたからってさ、調子に乗るんじゃないよ、コーコーセーが!
「先生、他人のモンには興味ありませんからァ」
「じゃあ何だってんだよ?停学なりなんなり、好きにしろよ」

停学ってお前ね。そんなことになったらさ、家庭訪問とかしなきゃならなくなって面倒臭いじゃないのよ。

「お前、1人で来たの?」

ツンと横を向いた高杉は答えない。ま、これは予想通りなんだけどさ。

「実はさ、俺、辰馬と来たんだよね」
「!!」
ほぅら、顔色が変わった。
「でもさ、お前もナンパされて嬉しそうだったんだから、お互い様だよね」
「………」
ぎゅっと唇を噛み締めたまま顔を伏せた高杉は小さく震えていた。やっぱコイツ、結局辰馬のこと好きなんだよね。

「アイツ、飲み会だって…。なんで、なんでそんな嘘…」
(…アレ?)
あ、ヤバイ!こいつ泣きそう?もしかして。ちょっとキツかった?
「俺が無理矢理誘ったんだって!俺がこのイベント来たかったけど、金なかったの!アイツは、来るだけ来たけど、カウンターで飲んでっから!」
アイツは出会いには興味ないからって言ってたんだからさ、って。必死で取り繕って、ようやく高杉は顔を上げた。

「カウンターに、土方がいる」
「え?マジで?」
お前ってば、お前と違って遊び慣れてない土方君1人にさせてんの?まァ、土方君はナンパについて行くような子じゃないとは思うんだけどさ。って言うか、これって、やり方次第で、俺の思いどーりだったりしない?

「高杉さ、辰馬と別れるつもりなんて、ないんでしょ?」
わかってた話だけど、一応念を押して聞いてみた。またそっぽを向いて『お前には関係ねェ』なんて強がる高杉だけど。
「高杉、あのさ」

今は教師って立場を忘れて。だからお前を停学なんかにはしないからさ。だから…



24:高杉晋助

死んだ魚のような目で、万年やる気のないこの担任は、今だけ教師であることを忘れると言った。そして。

「前から土方君のこと、カワイイなと思ってたんだけど」

とんでもないことを言い出しやがった。いや、教師と付き合ってる俺に、そんなこと言う資格はないんだけど。

「俺が土方君と帰るから、お前は辰馬と帰れよ」
「なに?交換条件ってワケ?」
「そういうつもりじゃないけどさ」

でも、お前がやってることは二股だよ?どっちも傷つけてんの、わかってんでしょ?だと、偉そうに銀八の奴。そんなこと、テメェに言われなくたってわかってんだよ、自分が一番。

「残念ながら、それでも土方は俺がいいんだとよ」
「そこは銀さん、頑張っちゃうよ。これから」

確かにな。今こうしている間にも、不安そうに俺が戻るのを待ってるだろう土方の姿は目に浮かぶ。それがわかっていて放ったらかしにした俺は、アイツを大事にしてるなんて言えない。

「お前が、辰馬より土方君がイイってんなら、諦める」
銀八に言われて言葉に詰まった。辰馬とはもう長い。1年の時から『好きだ好きだ』言われ続けて、俺も好きになって。今更離れられるのか、なんて。

「もしかしてさ、お前自分で気付いてないのかもしれないけどさ」
「なんだよ?」
「こんなイベント来たくせにさ、お前のタイプって、短髪野郎系じゃないでしょ?」
「え…?」

俺がナンパされて嬉しそうにしてたのは、全員もっとキレイ系だったって銀八は言う。

「お前さ、無意識に辰馬みたいなキレイ系のリーマン追っ掛けてない?」
銀八の話に、何も言い返す言葉が出てこなかった。そういえば、昨日のサラリーマンだって、背が高くてかっちりスーツを着こなしてて。

「ガテン系が寄ってきても無視してたよねェ?」
そうだ、確かに俺は。
俺は、無意識に一晩ヤルだけの相手にまで辰馬の面影を見てたってのか?辰馬と一緒にいるうちに、辰馬が、俺の好きなタイプになってたって、そういうことなのか?
そんなこと、銀八に言われるまで全く気付いていなかった。俺は。

「俺は…」
「辰馬なら、お前の浮気くらい笑って許してくれるって。戻んなよ」

顔を上げたら、普段学校で見せてるのとは全然違って、しごく真っ当な表情で俺を真っ直ぐ見つめる銀八がいた。
辰馬と離れるなんてやっぱり想像もできなくて。やっぱり辰馬とは別れたくなくて、だって、今の俺があるのは辰馬がずっと一緒にいてくれたからで。

「今から辰馬に電話してさ、どっかの店に先に行っててもらうから。お前は土方君連れといで」
「…ちゃんと土方連れて帰れよ!アイツ、置き去りにしたら迷子になんぜ」
「わかってますー。お前と違って遊んでなさそうだもんね、土方君」

お前と違ってっていうのはちょっとムカついたけど。俺は銀八の話に乗った。
辰馬は、本当に俺を許してくれるのだろうかと思いながら。



25:土方十四郎

やっと高杉が戻って来て『出るぞ』って。良かった、早く帰りたかったんだ、こういう場所からは。
飲みに連れて行ってくれるなら連れて行ってくれるで、もっと落ち着いたような、さ。ちゃんと2人で話せるような場所が良かったんだ、俺は。居酒屋すらほとんど行ったことのない俺に、いきなりクラブでいきなりゲイのイベントなんてキツすぎる。

俺の烏龍茶が、2杯目になっていたことに気付いたのか高杉は無言のまま5千円札を1枚くれた。『昨日パチンコで3万勝ったから出してやる』だって。パチンコまでするんだ、高杉って。なんだかまだまだ俺の知らないことばっかりで、同級生のはずなのに高杉が少し大人に見えてきて。階段を昇るのに、高杉の手を握ろうと思ったら、高杉の手の甲になんだか見慣れない色が着いていた。さっきまでは明らかになかったものだ。
その正体は出口ですぐにわかったけれど。
(再入場のスタンプ…?)
ダンスホールでナンパされに行ってたんじゃなかったのか?高杉、どこ行ってたんだ?

「高杉…」
「悪かったな、土方」
俺の言葉を遮るように、なぜか高杉が謝った。それが1時間以上放ったらかしにされたことを言っているだけかと思ったのに、どうしてか高杉は真剣な顔つきで。嫌な予感がする。こういう時の嫌な予感ってのは、たいがい当たるんだ。
「もて遊んだつもりはなかったんだけどな」
「高杉…っ」
「何言われてもしょーがねェ」
「やめろって」
それ以上聞きたくない。だってお前、やっとデートに誘ってくれたのに?なんだよ、あの場に馴染めなかった俺が悪いのかよ?
叫ぼうとした声を俺は飲み込まざるを得なかった。高杉の後ろから、近づいてくる銀髪頭が見えたからだ。

「銀八…」

俺は下を向いてる高杉と銀八を交互に見る。
「安心してよ土方君。今、俺は先生じゃないから」
煙草に火を点けた銀八はのんびりとした口調でそう俺に告げた後、高杉の耳元で何かを囁いた。
「じゃーな、土方」
それが、いつもの『また明日』って言葉なんかとは全く違う意味を持ったものだってことはすぐにわかって。

「待てって高杉っ!」
「おっと、駄目駄目、土方君はこっち」
くるりと背を向けて歩き始めた高杉を追い掛けようとしたら、銀八が抱き着くみたいに俺の身体ごと押さえつけて止められて。
「た、かすぎ…」
どんどん小さくなる背中は振り返ることなく角を曲がって見えなくなる。俺は銀八の腕を振りほどけなかった。

「土方君だって本当は知ってたでしょ?アイツが坂本先生と付き合ってんの」
ああ、知っていたさ。そんなこと最初から。だけど、だけどそれでも好きだったんだ。いつかは俺の方を向いてくれるって、信じたかったんだ。
「土方君、ちゃんと送ってっから、帰ろう」
高校生がこんなとこ来ちゃ駄目だよって銀八の言葉は聞こえてはいても俺の今の頭では理解できなくて。
何にも見えない。
たぶん俺は、泣いていた。



26:坂本辰馬

銀八からの着信があって、とりあえず出てきてくれと言われた。ちょうど、つまらなくてどうしようかと思っていたところだったから、再入場のスタンプを押してもらって外に出る。もう一度入るつもりなんかなかったけれど一応だ。
カウンターで飲んでるだけでも声をかけられたけれど、やっぱり今日はイマイチ好みのタイプは少ない。いや、タイプの子を見つけたからといって、どうこうするつもりは全くないのだが。
どうせ飲むなら場所を変えようと銀八に言いかけたところで、真剣な顔つきの銀八が先に声をかけてきた。

「辰馬ァ、先にどっか行っててくんない?それから、お金貸して」
「なんじゃなんじゃ?」

自分だけカワイイ子見つけたんかァ?と突っ込みたかったけれど、どうもそういう雰囲気でもない。

「んじゃ、わしは西郷どののとこでも行っちょるぜよ」
話し相手をしてもらえる分、ここよりは全然マシだ。
「辰馬、絶対返すから!………サンキュー」

一万円札を渡してやると銀八はホッとしたような表情を見せて。

「辰馬」
パークアベニューの方へ向かって歩き始めた自分を銀八は呼び止めて。
「俺じゃないヤツが、お前を迎えに行った時は」
「おんしじゃないヤツって、どういう意味じゃ?」

なんの説明もなく、わけのわからんことを言うなとしか、その時は思わなかったのだけれど。
「怒んねェで『おかえり』って言ってやれよ」
「ハァ?」
「んじゃ」

銀八が手を振るものだから、首を傾げながら1人堂山のメイン通りを歩いて行った。
おかえり、おかえり、おかえり…?意味がわからないその言葉を口の中で反芻しながら。
ふと、その言葉の意味に隠された可能性に気付いたのは西郷の店の扉を押した瞬間だった。

「いらっしゃァい!あら、坂本っちゃん!」
(まさか…?)

今日は飲み会だと言っておいたから。昨夜は何時まで待ってもウチには来なかったからメールを送っただけだったのだけれど。メールしたのが夜中だったせいかそれに返信がなくて、明日も連絡がなかったらどうしようかと考えていたのだけれど。

「坂本っちゃん、1人?カウンターでいい?」
「おう、構わんぜよ。後からもう1人来るんじゃけど…」

おかえりと言ってあげられるような相手は自分には1人しかいない。



27:高杉晋助

恐る恐る、西郷の店の扉を押した。イベントのせいで、いつもよりは少し混んでる店内で、辰馬はカウンターの一番右端に、1人で座っていた。
「いらっしゃァい!あ〜らスギ君、久しぶりィ」

甘ったるいような声を出しながらすぐに寄って来たのは西郷のママ。ホントに久しぶりだってのに、よく覚えてんな、この人も。
扉の前で突っ立ったまま動けなかった俺を、とりあえず座るよう西郷のママが促した時、カウンターの一番端にいた辰馬と目が合った。
「坂本っちゃんも10分くらい前に来たとこよ」

この人は、俺と辰馬が付き合ってるのを知ってるから、何のためらいもなく俺を辰馬の隣に案内しようとするんだけど。俺は辰馬の隣に座る資格があるのか?それに、辰馬だって銀八に無理矢理頼まれて一緒に行ったって言ったって昨日のメールで嘘をついて。
場合によっちゃあ今から別れ話とかしなきゃなんないんじゃないかって。銀八は辰馬なら笑って許してくれるって言ったけどそんな保証どこなもないし。重たい足をなんとか動かして椅子の前まで歩く俺に身体ごと向いた辰馬が微笑んだのはその瞬間だった。

「晋、おかえり」
ふわっと両手を広げた辰馬。その表情は、いつもの笑顔。
「た、つま…」
感極まって名前以上の言葉が出てこなかった俺を、立ち上がった辰馬がゆっくり抱きしめてくれて。ジャケットからはいつも通り変わらない辰馬の匂いがした。俺を安心させてくれる、唯一の。

「たつ、…たつ、ま。ごめん…っ」
人前で何やってんだ!とは思ったけど、辰馬の腕の中で辰馬の広い胸に顔を埋めて。涙が止まらなかった。
「もう泣かんでえいから」
辰馬のデカい手が頭を撫でてくれる。そう、やっぱりこうされるのが一番好き。辰馬じゃなきゃ、俺は駄目。

「あらなによ〜?アンタ達、喧嘩でもしてたのォ?」
「まァ、そんなトコじゃのぅ」
ほれもう泣かんでえいよって、カウンターの椅子に座らされて、辰馬も隣にくっついて座って手を握られて。

「わしも、嘘ついてごめんの」
今日は銀八とeX行っとったんじゃって、あまりにも正直に辰馬が本当のことを話すもんだから、責められなくなった。
「知ってる。俺もいた。…土方と行った」
土方の名前を出した瞬間、やっぱり辰馬は辛そうに少し目を伏せて。

「ごめん、俺浮気した」
辰馬なら怒るか泣くか、どっちかだと思ったのに。
「わしんとこに帰って来てくれたんじゃろ?………じゃったらもうえぇよ」
俺が泣きながら頷いたら、辰馬はまた頭を撫でてくれて。

「じゃから、わしは信じとる言うたじゃろ」
「辰馬ごめんな」
笑ってではなかったけど、まさか俺の口からはっきりと本当のことを話しても辰馬が許してくれるなんて思わなくて。
「もうしない。やっぱり、辰馬がイイ」
「おっ、再確認してもらえたんなら、上出来じゃのう」

ようやくいつも通りアッハッハーと笑った辰馬の声に、どれだけ俺は救われたんだろう。
(ごめんな、土方。俺だけ…)



28:山崎退

−後日談−

なんとなく元気のない土方君が授業をサボらなくなって、すぐに俺はピンときてしまった。高杉と別れたんじゃないかって。別れたもなにも、付き合ってたのかどうかすら微妙な2人だったけど。だって高杉には坂本先生がいるんだから。
1週間くらいは、何を話しかけても上の空で、一緒に帰っても全然しゃべらない土方君だったけど。今、落ち込んでいるなら、今ならもしかしたら俺の方を向いてくれるんじゃないかって。そりゃー考えたけど、そんな人の弱みに付け込むみたいなやり方は俺にはできなくて。結局、沖田君や新八君と、馬鹿話で気を紛らわせてもらうしか俺にはできなくて。
高杉は相変わらず学校に来たり来なかっただったから、ほとんど土方君と顔を合わせることもなくて、1ヶ月もすれば土方君は今まで通りの元気を取り戻していた。

ただ、唯一気になったことと言えば。

「ひっじかたくーん!ちょっと放課後職員室来てェ」

担任の銀八が、やたら土方君に構うようになったってこと。

「うっせェな!用事があったらテメェが来いや」
「なんでそんな冷たいこと言うのよー?」

こんなやり取り、前からあったっけ…?

「土方君に渡すものあるんだけどォ」
「今じゃ駄目なのかよ?」

国語の授業が終わって、チャイムが鳴ってるってのにまだ銀八が教室にいた休み時間。
バンって、勢い良く教室の扉が開いて。顔を見せたのはいつかと同じ、ハンバーガーを頬張りながら今頃登校した高杉だった。

「……邪魔だ。イチャつくなら外でやれ」

教卓の前で言い合いをしていた銀八と土方君を涼しい目で一瞥した高杉の口から出てきた一言に、それまでうるさかった教室が、一瞬にして静まり返った。

「ちょっと高杉!今何時だと思ってんの!」
「ァあ?6限だけ来ちゃァ悪ィのかよ?1日サボった方がマシだっつぅのか?」
「そうじゃなくて!お前はっ!」

銀八が高杉の席まで追い掛けて行って我が3Zの教室はいつもの喧騒を取り戻したんだけど。
真っ赤な顔で立ち尽くした土方君を見た瞬間、俺は悟ってしまった。

(弱みに付け込むみたいで嫌だなんて言ってたら駄目だったのね)

ま、俺は今まで通りの友達で、全然問題ないんだけど。

「うっせェな、わかったよ、じゃあ帰るぜ!帰ればいいんだろ?」
「そんなこと一言も言ってないでしょーが!なんなのお前はっ!」

普段は死んだ魚みたいな目をした担任が、そういえばやる時はやるんだった、って思い出したのは今更だったけど。
この結果が、いいのか悪いのか、俺にはわかりません。


END



やっと終わりました…。長々お付き合い下さいまして、ありがとうございました!
もう2度と、連載なんかやりません!






















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